*子どもたちの転生が、霊界で決められることは理解できるのですが、二人がカップルになるというような決定は、生まれ変わった後に、いつも物質界でなされるのではないでしょうか。
確かに最終決定は転生してからなされるが、見ず知らずの二人が、何十億という人の中で出会うというのは、どれほどの確率だろうか?偶然であろうか?その環境が整うには、つまり、特定の人たちが出会って知り合う機会ができるには、無数の状況が重なる必要があり、実はこれが霊界で調整されているのだ。それに、自分の人生において、ある人が重要な人になると予感できるのは、前世の記憶からの感覚によるのだ。
*お話から推察すると、各転生で違うパートナーになるかもしれないのですね。
もちろんそうだ。君たちの進化レベルの世界ではそれが普通であるし、おまけに多くの場合、霊性進化のために変える必要があったり、前世の行為の結果として変わることがある。
*どういう意味ですか。
霊的に完全に似通った双子の魂の場合でも、愛情よりも欠点が勝ってしまって、それを認識も修正もしたくなければ、一時的であるにせよ、別れてしまうこともある。人は、失ってから初めて大切なものに気づくことがあるからね。そうして、次生では余り似てはいないが、悪習を修正するために役立つ人を相手に選ぶことになる。君たちの世界では、大半の人が内面をほとんど気にかけていないので、愛によって結びつくカップルは非常に少ない。大多数は、物的または情緒的な必要性や便宜、性的な魅力などによって一緒になり、魂の要請に従って結びつく者はごく一部だ。我欲の大部分を取り除き、魂が気持ちと一致している進化した世界では、大半の結びつきが愛に基づくものだ。それは、類似する魂同士が相手を見間違えることがないためであり、物的な欲望がどれほど満たされようと、相互の愛情ほど幸せを感じさせてくれるものはない、と知っているからだ。その世界では、私欲によって相手を選ぶ男女は皆無だし、双子の魂ではないカップルには滅多にお目にかかれない。
*「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」という有名な言葉があるので、世間では、ただ一人だけを伴侶にすることが最も霊的だと思われてきました。それなのに、あなたは、多くの相手を持つのが「普通」で、霊的にも有益となり得ると言われました。矛盾するのではありませんか。愛の絆と結婚の絆とは別物なのだ 。
ある程度の時間が経つまでは夫婦にははっきり分からないものの、地上の90%の結婚に真の愛は存在しないのだ。だが、一枚の紙に署名してしまったために、どうやら人には、考えを変える権利がないようだ。自分たちの関係を感情に基づいて選ぶようになれば、進化した世界のように、君たちの関係も永続的なものとなろう。しかし、その世界で二人を結びつけているものは、義務ではなく、愛情なのだと知らねばならない。人には誰もに、相手を選ぶ自由と同じく、自分で決意するなら別れる自由があるし、自己の決定については誰にも言い訳をする必要がない。はっきりさせておきたいのは、二人を結びつけるものは相互愛であるが、それぞれが個人の自由を完全に保持しているということだ。司祭の前であろうと宗教遺物と花で飾り立てられた祭壇の前であろうと、サイン入りの契約書では結びつかないのだ。そのようにして二人を結びつけているものは神ではなく、君たちが作り上げた法律や習慣によって、君たち自身がそうしているのに過ぎないからだ。神が本当に与えてくれたものは、愛せる能力と、愛を体験して幸せになるための双子の魂であり、自らの運命を決定できる自由だ。だが、君たちの世界では、愛情で結びつく僅かな夫婦も、まだそれぞれの我欲を克服する必要がある。多くの場合に我欲が勝ってしまい、感情を押さえつけるからだ。それゆえ、「人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」という常套句は、真の幸福を体験したい者の助言となり得る、「愛が結び合わせたものを、我欲が引き離してはなりません」というより適切な文言に置き換えられるだろう。
*それでは、霊的な観点からは、離婚は肯定できることなのですか。キリスト教の大半が離婚に反対なので、いつも悪いことなのだと思ってきました。
宗教と霊性とは異なるものだ。誰と一緒にいたいか、またはいたくないかを選ぶ自由があるのは、いつも良いことだ。自由意志を行使できるので、肯定的なことだ。霊界は、いつも自由意志の味方なのだ。ただ紙に署名をしたというだけで、なんの愛情もない相手といることを強制したり、気持ちはあっても、理由はともあれ、一緒に暮らすことが不可能な人を強要することは、自由意志の侵害となる 。 君たちは、夫婦になるということは、自由意志の一部を放棄することだとまだ思い込んでいるが、そうではない。たとえば君たちは、結婚したり同棲すれば、絶対に果たすべき義務であるかのように、相手と性関係を持たねばならないと思っているが、それは違う。人は、嫌だったり望まないのであれば、ただ結婚しているという理由だけで、性関係を義務づけられたりはしない。また、単に性関係を持ったというだけで、その相手と一緒になる義務もない。さらに、どんな状況で一緒になったにせよ、自分にない気持ちを感じなければならない義務もない。そして、これが一番重要なのだが、そのために罪悪感を覚える必要はない。感情とは強制されるものではなく、自発的に湧き出なければならないのだ。霊的な観点からは、全ての上に自由意志があり、他のあらゆることに勝るのだ。執着を手放さない限り、愛の至福を味わえはしない。愛にとっての執着とは、鳥にとっての鳥かごなのだ。