私が婚活を始めたのは2018年のちょうど今頃

私の住む地域には結婚相談所が無い。

普通に生活していても同年代もしくは若い女性に出会うことはまず無い。

というのも ここはド田舎で 若くて美人な女性は大概、都会に出て

夢を追う。

いたとしても、離婚した出戻りやなにかしら問題のあるビッチばかりだ。

 

私の年収は600万超 身長は182cm 細身の筋肉質で、顔立ちは整っている方だとおもう 

40代半ばだが、他の男性と比較しても この地域では高スペックに入る。

 

そもそも前妻と離婚しなければ こんなことにはなっていなかった。

前妻の名前は月永彩香 

学生時代の友人で社会に出てから付き合い始めた。

正直 私の好みではなかった。

顔が個性的(ブス)なうえに低身長、スタイルも悪い 喘息もちなくせにタバコを吸うバカな女で

取り柄とすれば従順なところくらいだ。

そんな彩香と付き合うことになったのは、女日照りだったからだ。

当時の私は車の販売会社に入社仕立て、営業として歩き始めたばかり。

業績はおもうように上がるはずもない

金が無いから実家を出ることも出来ない、そんな男に女が寄り付くはずもない。

 

そんなある日、彩華から自宅に電話があった。

会わないかという誘いだった。

特別なにかしようと思っていたわけではないが、私は会いに出かけた。

何回か会うことを重ねるうちに彼女の方から誘ってくるようになった

週一で会い、食事をし、セックスをすることが2年ほども続いた。

ほかに意中の女がいなかったらだ。

今 おもえば、誘いに乗るべきではなかった。

なぁなぁの関係が続き、同棲から結婚へと流れていった

結婚を決めた時、私には好きな女が他にいた。

彩香とは違い、かわいく頭も良い、職場の後輩だがお互い好いていたとおもう

そこは分かれ目だった。

義務感や責任よりも自分の心に従うべきだったと後悔している

 

結婚生活が始まり、2年が過ぎた頃 彩香は子供がほしいと言い始めた

毎晩 辛いばかりのセックスをすることになった

1年後 男の子が生まれた

そのことをきっかけに実家の両親が家を新築し同居することを提案

つっぱねれば良かったが、私は受けてしまった

生活が楽になるという甘えた考えからである

このことをきっかけに結婚生活は破綻に向かっていく

 

私は両親が大嫌いだ

私の生家は農家であったから米や野菜 食べものには不自由しなかったが

娯楽と言えばテレビだけ、家も山の中だった為 満足に友達とコミュニケーションを

取ることも出来なかった。高校までずっとである。

両親は、今は他界した祖父母と同居していた。古い慣習からの名残だろう

長男である父は初めから実家の農業を継ぐことを決められた人生。

学歴は必要ないという祖父の判断で中学校に行っていない。

故にまともに文字を書けない。

武家社会のような家庭だった。 

そんな家庭に嫁いできた母の口癖は

いびられていた祖父への愚痴や罵りである。子供の前でである。

そんな環境で育った人間が親を愛せるだろうか?愛せるはずがない。

私には二人姉弟がいて、表向き彼らは父母と仲良くしているが、心の底では

知れたものではない。

私にとって父母は軽蔑の対象であり、貧困と失敗の象徴である。

 

父母と同居を始めて、4年ほどは円満だったようにおもう

だが徐々にお互いに気に入らない部分が見え始めてくる

2世帯住宅にしていなかったため 生活は混在し

古い世代の父母は、プライベートというものを理解しなかった

子育てや私たちの生活に介入するようになってきた

私も彩香もそれを嫌い、家庭内の収支をしっかりわけようとしたが

収入の少ない父母がうけいれるはずもなかった

最初の約束では、父母は自分たちで建てた家屋に寝泊まりするはずだった

その約束はいつの間にか破棄され、ギスギスとした日々が続いていた

 

子供が小学生に上がった頃から私たちは寝室を別にした

ただセックスはしていたし、お互いよく体を休めるためと問題にしていなかった

ただ彩香はそうはとっていなかったようだ

彩香は毎年、お盆休みを実家で過ごしていた

私が行くことに反対すると泣きだすほど固執していた

私も3度ほど行ってみたが、過疎の港町の狭っくるしい路地にたつ

狭く汚らしい一軒家だ。

その一軒家にお盆になると彼女の親戚が一堂に集まる

多いときは20人ほどにもなったそうだ

私はこの会合が嫌いだったため 参加したのは1度切りだ

 

父母との不和 寝室を別にしたこと 私が彼女の親戚が嫌いであることについて

彼女に考えが芽生えていたのは確かだろう

 

子供が就学し、手がかからなくなったことをきっかけに彩香は再び働きに出る

彼女が初就職した当時は携帯電話が普及し始めた頃で

携帯電話の販売会社で店長を務めていた彼女の年収は600万程にもなったこともあった

それが基準になっていたのかは分からない

彼女は職場を転々とし、アルバイトとして雇われた店に出勤した初日に

万引きの疑いを掛けられ、そのことをきっかけにふさぎ込むことが多くなった

友人に誘われ、新興宗教の団体に加入しようとするのを止めたこともあった

私もその頃は、転職したばかりだったが、上司に理由を話し 彼女のフォローに努めた

その頃の私は彩香のことを愛していたし、家庭を守りたい気持ちでいっぱいだった

ある日、彩華は突然パニックに陥った

精神科を受診するとうつ病との診断

 

その日から 私の生き地獄が始まった

 

上司からは嫌味を言われ続ける 家に帰れば家事と育児、自分勝手な両親とのやりとり

話しかけてもなんの反応もない妻の世話

貯蓄はみるみる減っていく

今の職場では理解や協力を得られないと判断した私は 転職を決意する

新たな職場では、上司に恵まれ、家庭を維持しつつ自分のキャリアアップもでき

生き直せると希望を胸にしていた 

 

そんなある日 私はうつ病を発症してしまった

もらい鬱というやつである

 

3か月の療養休暇の後、私は復帰したが おもうように業績が伸ばせず

翌年 事実上の左遷を受けた。毎日することもなく ただ上司の運転する車に同乗して

回るだけの毎日。

その翌年、私は解雇された。うつ病は再発、悪化し、私は部屋にこもるようになった

 

数か月後 彩香はそんな私を見限り 出ていく前夜 私に別居を告げ、翌日には出て行った

数年、彼女を看病した私をである。

 

調停を経て、協議離婚は成立。

 

裏切りであると私は泣き喚き、アルコール依存になり精神科に通うこと3年

 

自分の心に踏ん切りをつけ、裏切った彩香を見返してやるとうつ病を克服した

 

そこからの私は奮起した 

 

国の支援を活用し事業を立ち上げ努力すること5年、ようやく経営者として今は独り立ちし

婚活をしている。

 

女というものは 所詮裏切る動物である

夫よりは自分が腹を痛めて産んだ子供を優先する

子供の為なら 夫を裏切ることなど意にも介さない

他の女性は違うかもしれないが

彩香は間違いなくクソ女=ビッチである

 

数か月前 近くのスーパーで働いている彩香を見つけた

野菜売り場で野菜を並べていたようだが 最近みかけないところを見ると

バカな彼女のことだ。また職場を転々としているのだろう

あの醜い見かけと心の女はこれからを生きていく

そういう意味からも 月永綾香は社会の底辺の人間である  

 

冒頭にも書いたが、今の私の年収は600万超え

逆転人生とはこのことだ。

今の私の生活ぶりをあの夜の彩香が知っていたら、出て行っただろうか?

分かるはずもない。バカなのだから。