つらつらと綴る日々の思い -2ページ目

つらつらと綴る日々の思い

ブログの説明を入力します。

私には、
結婚して11年、諦めかけた頃できた息子がいる。
彼を身篭ったのは、父が心も身体も病み、母が姑と父のダブル介護で倒れた頃だった。
真っ暗な実家に、希望の光となった息子。
父と母には、たった一人の孫。

今年高校生になった息子は、なぜか、電車で30分かかる我が母校を選んだ。

このことが、残りわずかな母の人生に、光となった。
学校に行った日は、必ず帰りに病院に寄ってくれた。
上手なことは言えない息子だが、ただ顔を見せるだけで十分だった。


父の病院は、一人では行けないところだったので、一度しか連れて行けなかった。
点滴だけで命を繋いでいる、手足もまがって膠着した父のことをどう感じるか心配したが、
「そんなに変わってないじゃん」
と、あっさり。

小学校の頃は、ピアノを弾いてあげるために、何回か施設に行ってくれたことがあった。その頃から、全介助が必要で、孫の顔もわからない父だったので、そんなに違和感はないらしい。

たった一人の孫だけど、ちゃんと孫として出来る限りのことをしてくれた。


今日は、ここまで。

義父の葬儀も無事終わり、このブログを再開。

9月に両親、忌明けして一週間で義父の死。

これから前に進むために、自分を見つめるために、少しずつここに記録しておこう。

義父のことは、とりあえず、おいといて、、、


主治医のA先生は、8月18日から一週間、夏休みを取ることになっていた。
そして、8月18日に、母の具合が急激に悪くなった。夕方には高熱を出して予断を許さない状態になった。

夕方、いったん帰宅し、泊まり込みのための準備をしながら、初めて私は号泣した。
「両親、義父母、4人の中で一番苦労をしていて、自分を犠牲にして生きてきて、、、そんな母が、どうして一番早く逝かなくてはならないのか?」

その後、容態が安定したから、今夜は来なくて大丈夫だと弟から連絡があった。


いつ亡くなるかわからない状況であることを、改めて痛感した私は、全ての予定をキャンセルして、できるだけ母のそばにいることした。


今日は、ここまで。
両親が余命ひと月くらいと分かったのと同時期に、義父も入院。こちらは、昨年から入退院を繰り返し、徐々に弱っていきていた。このときは、2週間の入院で退院できたが、、、

今朝、息を引き取った。義父の件でも、昨年からのいろいろを書いたら、長くなりそうなので、またいつか。

そして、ちょっと忙しいので、ブログの更新は、少しお休みします。


今日は、ここまで。