つらつらと綴る日々の思い

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ここまで来て、ブログが進まなくなった。やはり、その時のことを思い出すのは、辛くなってきた。

最近、突然、涙があふれて、止まらなくなってくる。


でも、今日は、少しがんばろう。


89日(月)

父の退院後のことについて、病院、施設と面談。退院日は、19日に決定。


8月11日(水)

いつものように母の病院に行くと、あわただしくベッドの交換作業をしてくれていた。なんでも、朝から何も食べていなかったのだが、激しい嘔吐をしたそうだ。本人は、ぼんやりしている。


その後、主治医のA先生がいらして、私を呼び出した。実は、転院希望を出している緩和ケア病院の家族面接が翌日の予定だったのだが、

「明日の家族面接は、キャンセルされた方がよいと思います。」

との言葉。すぐにピンと来た。

「それは、そんなところに行っているよりは、母のそばにいた方がよいということですね。」

と、たずねると、いつもの穏やかな表情でうなずかれた。


これから、起こるであろう出来事を一通り説明してくださった。


そのあと、母は、前日に喜んで食べたイチジクのコンポートを二口だけ食べた。

明らかに不安そうな顔をしていたが、言葉にすることはなかった。


今までの水筒では、うまくお茶が飲めないから、困っているようだったので、赤ちゃん用のマグを近くのドラッグストアに買いに行った。その前後、もう少し優しい言葉をかけてあげれば良かったのだが、「仕方ないよ。これでいいでしょ。」的な事務的な言い方しかできなかった自分。


あまり言葉がかけられないから、ここのところは、毎日ハンドトリートメントをしてあげていた。ローズマリーのインフューズドオイルにローズオットーの精油を入れた、とっておきのトリートメントオイル。その香りは、喜んでくれていた。この日も、それは、うれしそうにしていた。


夕食は、やはり、食べれなかった。今、思えば、体を起こすのもしんどかったに違いない。ぼんやりしているかと思うとボソッと変なことを言う。


そして、私に向けられた言葉、その後は、はっきりした言葉を発することはなかったので、それが最後の言葉。


「そんな憎たらしいことをするなあ!」


ご飯が食べれなかったので、

「じゃあ、またイチジク食べる?」

と、私がイチジクのコンポートの開けようとした時だった。

目を見開いて、はっきりと、、、


「え?どうしたの?ごめん。」

しかし、その後、母から言葉が出ることはなかった。


かつて、母が義母を介護していた頃、よくぶつけられていた言葉。もともと歓迎されなかった嫁は、どんなに尽しても虐げられていた。


ここに来て、その頃のことが浮かんでしまったのか?


悲しすぎる。



と、書いていたら涙が止まらなくなったので、今日はここまで。


8月29日、父の入院先の主治医との面談。
長寿医療専門の病院であったので、少しでも、回復の見込みのあることを試したいということで、やっていただいていたが、やはり良くはならず、いよいよ、今後の栄養補給についての選択、そして、退院を迫られた。
自分の意思で口から飲み食いできなくなって久しい。もちろん、身体を動かすこともできない父。
私たちは、このまま、そっと見守ることを選んだ。
これまで、ずっとお世話になっている施設が、最後まで見ていただけるということで、その方向で動くことが決まった。

そして9月になった。
この頃から、母が時折、おかしなことを言うようになった。
「もう12月」とか
「ここに来て3か月」とか

自分の命があと僅かであることは、わかっているはずだが、相変わらず、誰にもそれについての恐怖や悲しみをこぼすことはなかった。

9月3日
全く想定外の出来事。
母の愛犬の死

このときのことは、以前に書いている。


どうして先に?

https://ameblo.jp/ae86726/entry-12519831873.html


母には、言えなかった。
母は、亡くなるまで、
「あすかに会いたい」
と言っていた。


今日は、ここまで。
母の癌がわかってから、葬儀まで、ずっと私たち家族の支えになってくれた二人のいとこがいる。

一人は、元看護師のMちゃん。
4人の子の母親で、公私ともに忙しい中、たびたび母の見舞いに来てくれた。
母の喜びそうなお菓子やフルーツをもって。
そして、母の話をいつも笑顔で聞いて、元看護師ならではのアドバイスをしてくれた。
母もMちゃんの言うことは、絶対で、いないときも、
「Mちゃんがこう言ったから、、、」
と、うれしそうに話していた。

私が感謝の思いをつたえると、いつも、
「おばちゃんには、母のとき、本当にお世話になったから。まだまだ恩返しが足りない。」
と、言ってくれた。
数年前、彼女のお母さまが亡くなったとき、私は、何もしてあげられなかったが、母は、いろいろお世話していたそうだ。

Mちゃんは、私の病院や看護師に対する不満や愚痴も聞いてくれて、対処法をアドバイスしてくれた。
私が、取り留めのない思いをこぼすと、
「無理せず、心のままに。」
と、言ってくれた。


もう一人は、Tくん。
遠く離れた母の長兄の次男。
こちらで就職し、世帯をもっている。
近くにいても、あまり顔を出さないから、いつも母は、
「〇〇(母の故郷)より、遠いねえ。」
と、嫌味を言っていた。

私とは同級生なので、会えば、軽口を叩く仲ではあった。
母が癌で入院したことを知らせると、すぐにとんできた。
そして、彼も仕事が忙しい中、たびたび病院に来て、母を元気づけてくれた。明るい性格の彼が来ると、母も私たち家族も元気になれた。


彼らがいなかったら、私と弟は、もっと落ち込んでいただろうし、苛立ち、喧嘩をしていたと思う。
一緒に、寄り添ってくれた二人のいとこには、感謝しかない。

そして、今後、もし彼らに何かあったときは、できる限りのことをしたいと強く思っている。


今日は、ここまで。