こんにちは

朱美です


緑という色について考えていると、

いつも「境界」という言葉に行き着く。 


文明と自然。 

秩序と野性。 

完成と未熟。 


 そのあいだに、緑は静かにある。


 ⸻森へ誘う色 

アーサー王物語の中で、女王が緑の衣をまとい、騎士たちを森へと誘う場面がある。 


それはただの外出ではない。 

城という秩序の空間から、森という未知の領域へ踏み出すこと。 


森では、肩書きや誇りは通用しない。 

人は迷い、自分の本質に出会う。 


緑は、その入口の色だ。 


安全でも危険でもなく、ただ「こちらからあちらへ」と人を導く色。 



 ⸻五月の森と出会い 

ヨーロッパの春の祭り、たとえばベルテイン祭では、若者たちが緑をまとい森へ入る。 


そこでは、出会いが生まれる。 

それは単なる恋のきっかけだけではなく、まだ知らない自分との出会いでもある。 


社会の役割を少しだけ脱いで、自然のリズムの中に身を置く。 

緑は、その変化を許す色なのかもしれない。 



 ⸻青と緑のあいだ 

日本では「青」という言葉が、緑を含むことがある。 

青葉、青々とした草木。 

そして「青い」という言葉は、未熟さや若さを意味する。 


完成していないこと。 

けれど、これから伸びていく力を持っていること。 


それはまさに若い緑の色だ。 

はっきりと分けられない曖昧さの中に、生命の途中がある。 


 ⸻出口を示す緑 

非常口のサインが緑色である理由は、単に赤の補色だからではない。 


ISOなどの国際的な規格では、緑は「安全」や「進んでよい状態」を意味する色とされている。 


赤が危険や停止を示すのに対して、緑は「進める方向」を示す。 


 混乱の中で、人は瞬時に判断しなければならない。そのとき緑は、理屈より先に「こちらだ」と感じさせる。 



 ⸻緑という予感 

緑は、完成された色ではない。 

赤のような情熱でもなく、青のような静寂でもない。 

 そのあいだで、揺れている。 

 だからこそ緑は、「これから起きること」を含んでいる。 

まだ見ぬ出会い。 

まだ知らない自分。 

まだ始まっていない物語。 



緑はいつも、その入口にある。






 

鳥居とは、鳥のいる場所、

つまり神聖な場所を意味する。


整えられた空間の奥に、やわらかな緑が広がっている。 


こちら側と、あちら側の境界。 

門をくぐるとき、人は少しだけ変わる。 


神聖さを思い出すのだ。