忙しい最中ですが、


ここ数日、なんとも痛ましい事故のニュースが続き、

久々にちょっと真面目に書いてみようかと。


昨年から道路交通法が改正され、自転車への規制が厳しくなりました。

目に余る無謀運転が増え、人身事故が激増していることが理由のようです。

しかし、これは自転車に限ったことではありません。

以前にも書きましたが、自動車の運転マナーも目に余るものがあります。


マナーではなくルール無視というべきか。

本当にちゃんと教習を受けたのか?

免許を取ったのか?

疑いたくなるような車を目にしない日はありません。


数日前に悲惨な事故があったと報じられているのに

立て続けに同じような事故が起こる。

飲酒運転が後を絶たない。

なぜなんだろう。


異論はあると思いますが、オイラなりの考えを書いてみます。


まず一つ目。


自動車の運転は、今日では日常当たり前のことになっています。

しかし、

ちょっと難しい話ですが、刑法学の犯罪論という世界の話で言うと

自動車の運転というのは原則「違法行為」です。

法律で認められているのに?と思う方もいると思いますが、

こういうことです。


犯罪論というのは、刑法などの刑罰法に定められる「犯罪行為」とは

どんなものを類型化して条文にしているのかを考える学問です。

そこでは、「違法」かつ「有責(故意や過失)」のある行為を類型化したもの

というのが主流です(学問なので学説は色々あります)


で、そこで「違法」とはどういうことって話になるのですが、

それは、「法益を侵害する危険のある行為」ということなんです。

法益(この中にも国家法益、社会法益、個人法益などありますが、ここでは個人)、

すなわち、

命や健康な身体は価値あるものとして国家、社会が法をもって守るべき有益なもの

であり、

違法、すなわち、法が守ろうとする法益を脅かす危険があると評価される

行為という意味です。


自動車の運転は

猛スピードで鉄の塊が走っているわけで、

ぶつかったら怪我をしたり、死に至る危険がある、

いってみれば日本刀を振り回しながら町を走っている状態です。

それ自体人の生命や身体を脅かす現実的危険を有する行為と評価される。

ゆえに違法な行為という意味です。


それゆえにこそ

特別に「教習」を受け、試験に「合格」した人にのみ

自動車の運転を「免じ」「許す」こととしているだけのことです。

便利なものであるので、禁止するのではなく、

特別法で「制限付で」合法にしているのです。


あくまで制限付の例外ですから、原則を絶対に忘れてはいけない。

皆がやってる当たり前のことではなく、

危険なことを特別に許されていることだという意識。

それが欠けているのではないでしょうか。

意識の改革が必要ではないかと思います。


もうひとつ。


自転車なども含めた話をすると、

「公共心」が足りないことが、自動車や自転車の事故の要因ではないか、

です。

これは歩行者も含めてですが、

道路という公共の施設を皆で使っているという意識、

それが薄いように感じます。

ドライバーも自転車に乗る人も道を歩かない人はいない。

すべて歩行者でもある。

「歩行者絶対優先」は

「歩行者は何をやってもよい」ということと

イコールではありません。

しかし、それを誤解している人が多い。

その歩行者の意識のまま、

あるいはそれに近い「公共心の薄れた軽い気持ち」

でハンドルを握ったり、ペダルをこいでいる人が増えている。

毎日、道を歩きつつ見回すとそう感じることが多いです。


歩行者である段階で高い公共心をもって行動する。

そのうえで、自転車や自動車をさらに法律の定めに従って運転する。


遠回りのようですが、

ひとりひとりの意識改革が必要。

痛ましい事故を無くすには

これが一番のような気がします。


長々と書いてしまいました。スミマセン。

最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。