今日も、もう昨日ですが、

東京はいい天気でした。

というか、連日乾燥注意報が出ている状態ですね。


一昨日、サッカーを観ていて遅くなり、

更新しようと思ったらメンテで、

昨夜も、うたた寝なんぞしてしまったため、

日付が改まってしまいました。


さて、昨夜更新したかったのは、


1月17日、阪神淡路大震災こと


オイラは東京に住んでいて直接被害にあったわけではありませんが、

親友一家が須磨海岸近くにいたので、他人事には思えませんでした。


火災被害の大きかった長田からも近かったですし、

当然、連絡がまったく付かず、

伝言電話とか何度もかけたりしてました。

その後、カイロやら缶詰やら送ったり。




あの日、


タイマーで朝6時半にテレビのスイッチが入りました。

そのブラウン管に映し出された光景は

信じられないものでした。


すぐに事態が容易ならざるものであることを感じました。


法制度の不備のため

自衛隊の出動があまりに遅く

被害の拡大を防ぎきれなかったことが悔やまれます。



状況が明らかになるにつれ、

その被害の甚大さに心が痛みました。



改めて被害にあわれた方のご冥福をお祈り申し上げます。



報道では、次第に風化する震災の惨事と

そうさせまいと頑張っている人たちのことが

紹介されていましたね。


忘れて、気持ちを切り替える部分と

決して忘れず、教訓とすべき部分と

バランスが大切だと思いますね。


そして、



あの震災については、


全体の被害の凄まじさもさることながら、

個々の事例を知ることで、


改めて感じることもありました。


それは、



生きていること、命、その意味。


特に


同じ時間、同じ部屋にいながら、

倒れてきた箪笥や、

飛んできたテレビなどが、

当たるか当らないか、

紙一重で生死が分かれた


という事例が少なからずありました。


それ以前から感じていたことではありますが、


人の生き死には天のみぞ知るもの、


人間は、

やはり、生かされているのだ

ということ改めて痛感したのです。


そう考えると、


夢や目標が見つからず、

あるいは見失って

人生の意味が、

分からなくなったり、


思い通りにならないことが多くて

生きることが

嫌になったり、


そういうことに直面することがあっても、


生きていることは決して当り前ではなく


特別ラッキーなことがなくても

平凡であっても


生きていることそれ自体が


素晴らしいこと

有難き、感謝すべきこと


それを忘れてはいけないと。


それゆえに

一日、一刻を

大切にしなくてはもったいないと。


そう思うのです。



ちなみに、親友の家は全壊してしまいましたが、

幸い、親友一家は命は無事でした。


感謝。





やっと、ブログの更新はできました。


しかし、


今日は寝不足










かな