さて、続いて、冤罪の問題とも関連しますが、裁判員制度について、「語っちゃいます」


 裁判員制度って見切り発車したようですが、その趣旨が刑事裁判に民意を反映させるというのなら、そして何より、市民(被害者、被告人両方を含む)の利益を考えるのなら、オイラは、再審制度の担い手を裁判所から市民参加の組織に移すことの方が効果的だし必要だと思うね。


その理由。

警察官も検察官も裁判所も(これらの組織も)所詮人の子で、しかも「威信」とか「権威」とかを保ちたい欲求が人一倍強い機関だからね。自らの過ちを自ら認めることは容易なことではないはず。そしてそれはある意味仕方がない。


しかし、すべてが間違っているわけではないのだし、というより、ほとんどは妥当な判決だったりしているはずと、一応信頼はしているんですね。


そこで、裁判所の下した判断が本当に間違いないのか、もう一度審理してほしいという再審の請求がなされた事案について、裁判に提出された証拠だけでなく、警察が押収したすべても物も出させて、一般市民から選ばれた人たちがチェックするという制度を設ける。その方が、市民の負担も軽いし、刑事裁判に一般市民の意思が反映されるし、冤罪の悲劇を最小限に食い止められるんじゃないかと。


事後的な救済では遅いのではないかと思われる人もいると思うが、こういうチェックが控えているとなれば、あまりに無理な捜査、公判維持、判決言い渡しを防止する抑止効果も生じるから、再審手続きに行き着く前の段階でも冤罪防止の効果はあると思うのです。


スクールバスの運転手さんが有罪とされた事件(「バスに乗っていた」「多数の」生徒や先生が「バスは止まっていた」と証言しているのに、時速10キロでは「絶対につくはずのない」ブレーキ痕を根拠に白バイ警官を跳ねたとして有罪にした事件(このブレーキ痕についても運転手の支援者が実際に実験し、現場にあったとされるようなブレーキ痕はつかないことを実証しているみたいです)で検察審査会が勧告しても警察・検察も再捜査せず、裁判所も一度下した判決を覆そうとしなかったなんて事件も、市民で構成する機関が判断すれば違った結論が導かれたような気がしますね。


なにより、今回導入された裁判員制度は指名されると拒否できない(極々限定された正当理由がない限り)のでしょ?拒否すれば罰則まであるというのだから、望まない人から見ると、もはや権利ではないよね。選挙権だって投票に行かないという選択権があるから、投票は国民の権利であり、義務であるって言えるけどね。つまり、権利なら権利者に放棄する自由があるはず。それがないとすれば、タダの強制・強要。これって、思想良心の自由とか苦役の自由とか保障している憲法の規定に違反する制度じゃないかいって思っちゃうんだけど、どうなんでしょう?