せっかくいろんな人に自分の考えを知ってもらえるのだから、たまには

真面目な話もよいかなぁと思い、とはいえ一回では長すぎるので、何回かに

亘って書いてみようかと。もち、オイラの主観全開だからね。あくまでひとつの意見。

勘違い、思い込み、言いすぎがあったらゴメンナサイと最初にお断りしておきますね。


 まず最初は、冤罪は何故起こるのか?

もちろん、警察の捜査のあり方(代用監獄や接見制限など)、自白偏重や裁判官の独立が必ずしも完全でないことなどもあるでしょうが、オイラはね、それ以上に、国民一般が「無罪推定の原則」を知らない(知らされていない)こと、が大きく影響しているんだと思う(先日街頭インタビューの結果とかでそんな報道を見た)。


重大犯罪が起こると、マスコミは「早く犯人を捕まえろ!」という論調になる。犯人を特定、逮捕できないと「警察は何をしているんだ!」「警察は無能だ!」と騒ぎ立てる。捜査機関もその圧力があるから、とにかく「誰でもいいから」「それらしい人間を」「犯人として」逮捕することになる。疑わしい人間が見つかると、その人間を「犯人にしてしまえ」と焦り、その人間から「自白」を取ろうと躍起になる。検事は、「自白」が取れれば、客観的証拠のうち「都合の良いもの」だけ証拠として裁判に提出し、自白と矛盾するような「都合の悪いもの」はきっと隠蔽してしまってるんじゃないかな。


忙しいのに検事がどうなるかわからないものまでわざわざ起訴するはずもなく、従って、検事が起訴するってことは有罪の可能性が高いし、マスコミも「その人間の子供の頃の同級生や知り合いにまで取材して、どうして罪を犯す人格になっていったのか、いかにもその種の犯罪者となるような前歴がある人間だ、と印象づけるような報道をするなど世論も「犯人」として扱っている状況の下では、裁判官も「予断をもって(疑いの目)」で被告人を見てしまいがちになるし、その容疑者を「有罪」にしないと世論から猛烈に批判されるプレッシャーを感じることもありうると思うんだ。


被害者がかわいそうだという感情は、犯人は許せない、絶対に罰するべき、それも「一刻も早く」という空気を増幅させるから、「それらしい人物」が浮上すると「その人間を」犯人にしてしまいたくなってしまう。そこでは「無罪推定の原則」はどっかに行ってしまう。まして大半の人がその原則を「知らない」という状況だと歯止めがなくなると思っているわけ。


みんな、菅谷さんの足利事件の報道とかを聞いて、ひどい、かわいそうって思っていると思うんだが、彼が逮捕・起訴された当時、マスコミがどんな報道をしていたか、国民が(もちろんオイラも含め)その報道を鵜呑みにしていなかったか、振り返ってみると気が付くことは多いと思んだよね。


 マスコミもこの原則を肝に銘じた報道姿勢をとるべきだし、オイラたちもこの原則を意識しながら冷静に報道内容を見極めるべきですな。そうした世論の動向は、捜査機関の行き過ぎた取調べを抑止したり、裁判官が心を鎮めて真実を見極められる環境を守れたりして、冤罪をなくすことに有益じゃないかと考えているのですよ。


次回は裁判員制度について。かな。