先週末、急遽支援活動をさせていただくために
宮城県名取市(仙台空港近く)に行ってきました。
そのことをわざわざブログに書こうか迷いましたが、
1人でも多くの人とシェアしたいという想いから
僕なりに書くことにします。
震災から3週間。
自分の心の中で自分ができる支援として何を
どこまでするべきか、いや、したいのかを葛藤し、
微力ながら動いてきました。
・知る
・祈る
・寄付をする
・物資を送る
→現地での支援
人やメディアから伝え聞くのと自分の実体験は
雲泥の差だということを世界放浪を通じて
強く実感していました。
しかし、僕は”今”ビジネスマンであり、かつ
”今”新サービスを準備の真っ最中で大切な時期。
ビジネスマンは経済で支えるしかないという言葉も耳にする。
てんつくマンや阪神大震災のボランティアリーダーだった
山田バウさんも「とにかく今動け~!」と叫ぶ!
でも放射能の危険性を知れば知るほど頭でリスクを
考えていました。
そんなもんもんとしてた時に1本の電話が鳴りました。
スーダンで医療活動を中心に行う国際NGOロシナンテス
代表の川原さんからでした。
川原さん
「おい、今なにしよん? 週末でもええけぇ手伝いにこれんね?」
セカブロ
「は、はい!週末仲間集めていきます!」
川原さんが僕の背中を押してくれたのでした。
川原さんはたまたまスーダンから一時帰国中に東京で
地震に会い、そのまま知り合いの病院から救急車を借り、
被災地に向かい緊急医療支援をされていました。
電話をもらった日中にあっという間に心強いメンバー
6人が集まりました。
大学の後輩がちょっと気になり、なにげなーく電話してみたら
彼も友人と同じ日程で現地入りすべく機材・物資の準備を
していたものの、受け入れ先だけ見つかっていない状況でした。
一方で僕は人と車が足りない。お互いの足りないところが
ピタリと一致しました。
しかも仲間の1人は実家がホームセンターを経営していて
都内が品薄で調達できなかった作業用具もすべて揃った。
金曜日の深夜東京を出て、ガラガラの東北自動車道を走り、
夜が明けるころ高速を降り市街地がみえてきました。
続く