指揮官らの証言によると、4名の乗員は恐れている様子はなかった。彼らは装甲車に近づき、地面に座り込んだ。現場のソビエト軍指揮官らは、乗員たちが投降しているものと判断した。
​ロシア語を用いてこれらの乗員と交信を試みる記述が数回にわたり行われた。乗員らは話し手の言葉を理解していないようだった。乗員らはジープに運ばれ、サスクィラフ=コヴォ軍事基地の第45号建物へと移送された。(注:CAC-049-63の報告によると、第45号建物は第II地域のKGB本部、および司令センターであった。この情報は、NSAのソースである「エコー3」によって確認されている。)
​乗員らは留置室に入れられ、1つの房につき1名の乗員が収容された。1985年1月13日、CACがサスクィラフ=コヴォ軍事基地の第45号建物に到着した。CACは各留置室への立ち入りと、乗員らとの交信を試みる許可を得た。CACは英語、フランス語、およびドイツ語を使用した。乗員らはCACが話している間、耳を傾けているように見えたが、答えることはなかった。乗員らは非常に受動的であるように見受けられた。
​その他2名のKGB職員(一方はスペイン語を話し、もう一方は英語を話す)が交信を試みたが、効果はなかった。ソビエト軍司令センターの指揮官は、モスクワ側が乗員らを第10軍事基地(歴史的な諜報記録によると、第10基地はモスクワの南に位置するオブニンスクにあったとされる)へ空輸するよう要求している旨を通知した。
​1985年1月14日の午前0630時頃、乗員らが収容されていた留置室は空になっていた。無理に脱出したような痕跡は一切見られなかった。精鋭のソビエト国境警備隊によって警備されていた**宇宙船(または航空機)**は――