この期間中、空軍はグルーム・レイクに地下施設を建設した。建設は1955年に始まり、1959年の夏頃に終了した。私は外国技術応用研究課(FTASD)で働いていた。私たちは3つの異なる施設を所有しており、そのうちの2つはグルーム・レイクに、もう1つはインディアン・スプリングスにあった。その後、トノパーにある施設も取得した。
地下施設が完成すると、私たちはそこへ移動した。これは1960年の初め頃のことだった。その施設は、これまでに建設された地下施設の中でも最大級のものだった。10億平方フィート(約9,300万平方メートル)以上の広さがあったに違いない。後年、コードネーム「ディープ・スペース」と呼ばれたその地下施設は、3つの異なる階層へと拡張された。
私はSR-71の研究開発に携わっていた。私たちの設計図には、いくつかの異なる航空機が描かれていた。FTASDには65人以上の科学者、技術者、軍人が配属されていた。私たちの仕事のほとんどは非常に独特なものだった。私たちは外国技術獲得グループ(FTAG)からいくつかの情報を得ることがあった。
このグループは、外国政府やインテリジェンス機関(情報機関)から情報を入手していた。施設で利用可能だった外国製装備の研究とともに、私たちは自国の技術をさらに発展させるために高度な科学的原理を応用することができた。私たちはこの期間中に素晴らしい進歩を遂げた。
この期間中、私はグルーム・レイク実験施設でUFOやUFOに類似するものを一度も見なかった。ET(地球外生命体)を見ることもなかったし、政府がETの装置をリバースエンジニアリングしているという話を誰かが口にするのを聞くこともなかった。
1969年の夏、私はFTASDから高度研究グループ(ASG)へと異動になった。ASGは、エリア51のコンプレックスIIIの地下2階に位置する、非常に機密性の高いグループだった。最初にその施設に入ったとき、私は追加のセキュリティクリアランス(機密保持資格)を取得しなければならなかった。ASGのブリーフィング(状況説明)の際、私たちのグループは「非文脈的(非伝統的)な飛行装置」に関する高度な研究原理に取り組んでいると知らされた。
ASGに配属されてから数日もしないうちに、私は最初の非文脈的な飛行装置を目にした。その飛行装置はコードネーム「アトラス・タンク(AT)」と呼ばれていた。それは**空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)**だった。私はそれに関連する特定の物理学の問題に取り組んだ。