プロジェクト・セルポ:極秘人間交流プログラム
(…前略)Ebe第1号に対し、我々の代表団が(彼らの星を)訪問し、文化や科学情報の交換、および宇宙旅行中の天体観測を行うことを可能にする「交流プログラム」の設置を提案しました。これは後に「チーム・メンバー」として知られるアメリカ軍のチームによって行われることになりました。
6番目のメッセージでは、将来的な救助または地球への訪問ミッションに向けた着陸座標が提示されました。届いたメッセージには(イーブン側の時間・日付体系による)日時が記されており、着陸場所も確認されました。しかし、当時病床に伏していたEbe第1号によってメッセージが翻訳されると、その日付は10年以上先であることが判明しました。Ebe第1号が体調不良により正しく翻訳できなかったのではないかと危惧した我々の科学者たちは、彼から教わったイーブン語に基づき、独自にメッセージの翻訳を開始しました。
(注記:Ebe第1号は科学者ではなく整備士でした。それでも彼は、我々にイーブン語の一部を教えることができました。私が読んだ文書によれば、我々はイーブン語の約30%を翻訳しました。複雑な文章や数字は認識できませんでした。)
Ebe第1号は存命である限り我々を助けてくれましたが、彼が亡くなった後は、我々だけで対処しなければなりませんでした。1953年、我々は6ヶ月間にわたって数通のメッセージを送りましたが、返信はありませんでした。その後18ヶ月かけて取り組みを微調整し、ようやく1955年に2通のメッセージを送ったところ、返信を受け取ることができました。
我々はメッセージの約30%を翻訳することができました。そこで、アメリカ国内の複数の大学、さらには海外の複数の大学から言語学の専門家を招集しました。最終的に、メッセージの大部分を翻訳することに成功しました。我々は、イーブン側が我々の言語を翻訳する方が、我々が彼らの言語を翻訳するよりも容易かどうかを確かめるため、英語で返信することに決めました。
約4ヶ月後、片言の英語で返信がありました。その文章には名詞や形容詞は含まれていましたが、動詞がありませんでした。メッセージの翻訳には数ヶ月を要しました。その後、我々はタイプ印字した英語のレッスン教材をイーブン側に送りました。6ヶ月後、再び英語のメッセージを受け取りました。今度は以前より明瞭になっていましたが、十分ではありませんでした。イーブン側はいくつかの異なる英単語を混同しており、依然として適切な文章を完成させるには至っていませんでした。