しかし、弦理論における「弦」、ヒッグス粒子(上帝粒子)、重力子、エーテル、暗黒物質(ダークマター)、ダークエネルギーなどは、純粋に人間が捏造したものであり、その存在は完全に虚偽です。真実の一面など存在せず、そもそも存在しないものなのです。

過去へのタイムトラベルや時間の逆行も、純粋に存在せず、完全に私たち人間が想像し捏造したものです。

7. 「時間は人間の感覚の一種である」と言うことは、一種の唯心論的な観点にならないか

もし、時間が純粋に人間の脳内の想像に過ぎず、あらゆる物体や空間とも無関係であると考えるなら、それこそが真の唯心論(主観的観念論)的な観点です。

前述の時間の定義からわかるように、時間とは、周囲の空間における光速の拡散運動に対する人間の感覚の一種です。それは明らかに人間という物体に関連しており、かつ空間の中に(当然ながら空間も客観的かつ確実に実在しています。宇宙は空間と物体という2つの基本要素で構成されているからです)変化として存在しています。実在する物体が、客観的に存在する空間の中で運動していることを描写しているのに、どうして単純に唯心論だと見なせるでしょうか。

8. 相対性理論における「単一の物体の空間内の運動を記述することは無意味である」という考えをどう見直すべきか

相対性理論では次のように考えられています:

物体の空間位置における運動の変化を記述するには、別の物体との相対関係が必要であり、それがあって初めて物理的意義を持つ。単一の物体の空間内での運動を記述することには物理的意義がない。

しかし、上記の「時間の物理的定義」においては、時間概念の獲得は、観測者である個人の周囲の空間の運動に由来することが明確に指摘されています。

運動の相対性から見れば、それは「人間」と「空間」の間の相対運動であり、ここには「人間の体」という一つの物体しか存在しません。

この二者は明らかに矛盾しています。では、果たしてどちらの思想を修正する必要があるのでしょうか?

補足説明

* 上帝粒子: 物理学用語の「ヒッグス粒子(God Particle)」を指します。

* 唯心主義: 哲学用語で、物質よりも精神や意識が根本的であるとする考え方(観念論)のことです。

* 内容の要旨: 著者は、アインシュタインの相対性理論(運動には2つの物体が必要という点)に対し、「人間と空間」という関係性だけで運動(時間)を定義できるのではないかと疑問を投げかけています。