(前略)……それから、それを地球の自転、月の動き、太陽の動き、セシウム原子の振動、脈拍の鼓動……といった特定の運動と同一視します。そして最終的に、人々は次のように約束(定義)しました:

「自身の周囲の空間における変化を、地球の自転などの特定の運動と同一視する。これにより、時間を測定するための共通の尺度が生まれる。」

5. 「時間は単なるプロセスである」という見方をどう考えるか

一部の人々は、「客観的かつ冷静に分析すれば、時間は単なるプロセス(過程)に過ぎない。この判断に間違いはなく、したがって『時間は人間が感じるものである』という観点は誤りである」と考えています。

しかし、観測者の周囲の空間位置が絶えず変化することも、当然ながら一つのプロセスです。「時間はプロセスである」と考えること自体は間違いではありませんが、その見方は時間の本質に対する認識が不明瞭で、深みに欠けているに過ぎません。これら二つの観点(客観的なプロセスとしての時間と、主観的な感覚としての時間)は、決して互いに矛盾するものではないのです。

6. 時間は果たして実在するのか、それとも虚構なのか

「時間は実在しない」と考える人がいますが、この観点は正しいのでしょうか?

時間は、地球、月、太陽、原子、電子のように実在する「物体」ではありません。また、空間のように客観的に存在しているものでもありません。時間は、私たち人間が**「光速で運動する空間」を記述するために生み出した概念**です。

時間は最も根本的な概念ではありません。最も根本的な概念とは「物体」と「空間」であり、時間は**「物体と空間の運動」によって形成されるもの**です。

しかし、「時間は完全かつ絶対的に存在しない」と言うのは誤りです。

人類が認識する対象は大きく二つに分けられます。一つは「物体と空間」であり、これらは実在するもので、総じて**「物質」と呼ばれます。もう一つは「出来事(物体と空間の運動によって形成されるもの)」であり、これらは総じて「事物(事象)」**と呼ばれます。私たち人類が認識している対象こそが、この「事物」なのです。

「物」は存在の基礎であり、「事」は物の運動形態です。このような運動は、私たち観測者が記述することによって初めて「事」として形を成します。物がなく、私たち観測者もいなければ、「事」は存在し得ないのです。