神功皇后(『日本書紀』で3世紀頃とされる人物)の時代の宗教観は、まだ仏教が正式に伝来する以前(仏教公伝は6世紀半ば、欽明天皇の時代)であり、純粋に**古代日本の神祇信仰(かみがみのまつり)**が中心でした。以下に、具体的な要素を挙げながら整理して解説します。



1. 自然神信仰(アニミズム的世界観)

山、川、海、岩、木など、自然物に神霊(カミ)が宿ると信じられていた。

例:筑紫(福岡)における「住吉三神」(海神)や「宗像三女神」(航海の安全を司る神)は、神功皇后の遠征伝説に深く関わる。

神功皇后が朝鮮半島への渡航の際に宗像大社で祈願した伝承は、航海と自然の力への畏怖を示す。



2. 祖霊信仰(氏族神)

氏族ごとに祖先神を祀り、血統を守る意識が強かった。

神功皇后も天皇の系譜に連なる存在であり、その正統性を祖先神(天照大神や皇祖神)の加護として説明。

祖霊は「家」や「共同体」を守護すると考えられ、祀りを怠ると祟ると信じられていた。



3. 祭祀と巫女的役割

当時は体系的な神社建築はまだ整備途上で、「祭祀は自然の中で行う」のが一般的。岩や巨木、海辺が神聖な祭場とされた。

神功皇后自身が巫女的性格を帯びた存在として描かれている。

例:出征前に神懸かりとなり、住吉大神・応神天皇(胎中の皇子)の神託を受ける場面が『日本書紀』にある。

これは女性(巫女)が神意を媒介するという、古代祭祀の姿を反映している。



4. 占いや予兆の重視

古代の政治決断や軍事行動は、必ず**卜占(うらない)**や神託に基づいた。

神功皇后の三韓遠征も、神託や霊夢を根拠にしたとされる。

例:石を腰に巻いて出産を遅らせた逸話は、神意を最優先し、人間の生理をも制御しようとする宗教観を象徴。



5. 清浄と忌みの観念

祭祀において「清浄(けがれのない状態)」が最重要とされた。

出産・死・血などは「穢れ」とみなされ、祭りの場から隔離された。

神功皇后が出産を遅らせた話は、この「血の忌み」を避けて祭祀・戦役を優先する思想とも解釈できる。



6. 社会的機能としての宗教

神祇信仰は、政治と不可分。

神功皇后の物語は「天皇の正統性」と「外征の正当化」を、神意を媒介にして説明している。

つまり宗教観は「神の加護=王権の正当性」であり、祭祀を執り行う王権が、共同体全体を守ると考えられた。



まとめ


神功皇后の時代の宗教観は、

自然神・祖霊の畏敬

巫女的祭祀と神託

清浄と忌みの観念

占いによる政治的決断

が特徴であり、それらは「王権と神祇が一体化した世界観」の中で機能していました。


具体例としては、

宗像三女神・住吉大神への祈願

神功皇后の神懸かりによる軍事判断

出産を遅らせる逸話に見る「穢れ回避」

などが挙げられます。