枝光八幡宮の「枝光」という地名の由来(神功皇后の櫂の光の伝承)を踏まえると、**戸畑の「夜宮(よみや)」や「光明寺」**にも神功皇后伝承が深く関わっています。以下、関連を整理します。



1. 戸畑の夜宮(夜宮神社)

夜宮神社(戸畑区夜宮)は、枝光八幡宮と同じく 神功皇后が三韓征伐の帰途に立ち寄った地 と伝えられています。

「夜宮」という名は、

神功皇后がこの地で 一夜を明かしたことに由来するとも、

夜に「光」が輝いたことに由来するとも言われています。

主祭神は 神功皇后・応神天皇 で、枝光八幡宮と同じ祭神構成をもちます。


つまり、枝光八幡宮と夜宮神社は、**神功皇后の行幸伝承を共有し、同じく「光」に関する瑞兆」**が地名・社名の由来になっています。



2. 光明寺(戸畑)

戸畑の「光明寺」は浄土宗の寺院ですが、その寺名の由来もまた 神功皇后の伝承と関係すると伝えられています。

皇后が三韓征伐の際、この地に立ち寄った時、 光が差し込んだ霊地 とされ、それが「光明寺」の寺名につながったといわれます。

また、近世以降は 夜宮神社の神宮寺的な役割を担ったとされ、神仏習合の中で「夜宮・枝光・光明寺」が一体的に信仰されてきた歴史があります。



3. 三者の関係性


まとめると、

枝光八幡宮 … 櫂(枝)の光が由来。神功皇后が光を見て八幡神を勧請。

夜宮神社 … 皇后が一夜を明かした地。夜に光があった伝承も。

光明寺 … 光に由来する霊場。のちに夜宮神社と関係をもち、神仏習合の場となる。


いずれも「光」のイメージと神功皇后伝承で結びつき、戸畑〜枝光一帯は古代から「皇后ゆかりの霊域」として体系的に信仰されてきたのです。



✅ 結論

戸畑の夜宮と光明寺は、枝光八幡宮と同様に 神功皇后伝承(特に光にまつわる瑞兆) に基づく信仰の場です。三者は独立した存在でありながら、もとは一連の伝承でつながり、地域全体を「神功皇后ゆかりの光の聖地」として位置づけています。