1. 「枝光」という地名の由来
現在の北九州市八幡東区枝光は、古代から中世にかけて交通の要地であり、筑前(福岡県西部・北部)と豊前(福岡県東部)を結ぶ重要な地点でした。
「枝光」という地名には次のような由来が伝わります。
• 「枝の先に光るものを見た」伝承
神功皇后が新羅遠征から帰還する際、現在の枝光付近で松の枝先に神々しい光が宿ったのを見たという伝説があります。
そのことから「枝光(えだみつ)」と呼ばれるようになったとされます。
• 光り輝く枝の神話的イメージ
古代の地名は、しばしば自然現象や神話的な出来事に由来します。枝光の場合も「枝」と「光」が結びつき、神功皇后の神話と結びつけられて地名になったと考えられます。
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2. 神功皇后と枝光の関係
(1) 神功皇后とは
神功皇后(じんぐうこうごう、3世紀頃とされる)は、第14代仲哀天皇の皇后で、応神天皇の母とされる人物です。
日本書紀や古事記では、彼女が**新羅に遠征(いわゆる三韓征伐)**したことが記されています。
(2) 枝光に伝わる神功皇后伝承
神功皇后が朝鮮半島から帰還した際、九州北部の沿岸各地には「上陸・休憩・祈願」の伝承地が数多く残されています。枝光もその一つです。
• 伝承の概要
神功皇后が船で洞海湾(現在の八幡東区・戸畑区周辺)に入った際、海岸の松の枝先に光が宿るのを見て、これは吉兆であると喜び、その地を「枝光」と名づけた、と伝わります。
• 関連する神社
八幡東区枝光には「枝光八幡宮」があり、ここでも神功皇后を祭神として祀っています。八幡信仰自体が応神天皇(=神功皇后の子)と深く結びついているため、地名伝承と神社の存在は強くリンクしています。
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3. 他地域との比較
神功皇后伝承は九州北部に多数残っており、枝光の話もその一つのバリエーションです。
たとえば:
• 福岡県宇美町 → 応神天皇を産んだ地(宇美八幡宮)
• 福岡市東区香椎 → 神功皇后が祈願した地(香椎宮)
• 北九州市小倉南区 → 皇后の軍船が立ち寄った地名伝承
このように、九州北部の広域に神功皇后の足跡伝承が分布しており、枝光もその流れの中に位置づけられます。
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4. 枝光という地名の歴史的意味
• 枝光の地名は、ただの自然現象ではなく、古代の支配者(ヤマト王権)が自らの正統性を神話化する過程で作られたものだと考えられます。
• 神功皇后の伝承をもつ土地は、後に八幡信仰(宇佐八幡宮 → 石清水八幡宮 → 全国)ともつながり、宗教的・政治的に重要視されました。
• 八幡東区枝光に神社が建てられ、地名として残ったのはその一つの象徴といえます。
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✅ まとめると:
• 「枝光」という地名は、神功皇后が帰還時に松の枝に光が宿るのを見たという伝承に由来する。
• 枝光八幡宮にその痕跡が残り、地名と神話が結びついている。
• 神功皇后伝承は九州北部に広域に分布しており、枝光もその一環として重要な位置を占める。