4) 近代以降の痕跡と人物

扁額:二之鳥居の**「岡湊神社」扁額は北白川内親王の筆**。近代皇室ゆかりの書として重んじられています。  

千光院大蘇鉄:宮司邸(廃寺・千光院跡)にある樹齢400年以上のソテツは、島原の乱(1637)後に黒田藩士らが原城から持ち帰ったと伝わる福岡県天然記念物。軍勢の往来と海路を想起させる、芦屋の歴史的記憶です。  



5) 御祭神(人物像を把むための要点)

主祭神:大倉主命・菟夫羅媛命

→『日本書紀』の**「水門で船を動かした二神」**。港の安全・航行の順風をもたらす神として理解され、岡湊の地名由来(岡の港=岡湊)と重なります。

相殿神:天照皇大御神・神武天皇・素盞嗚命(社頭掲示の説明による)。 



6) 年表でおさらい(時期・人物を絞って)

古代(記紀の時代設定)

仲哀天皇8年:崗浦の「水門」で大倉主・菟夫羅媛を伊賀彦が祝として祭る。皇后(のちの神功皇后)は洞海から合流。→岡湊神社の縁起の源。 

同巻:伊覩県主の祖・五十跡手(のち伊蘇志の名を賜う)—北部九州の在地首長像。 

奈良〜平安

**『万葉集』に「岡の水門」**が見え、古代港湾としての記憶が文学資料に残る。 

江戸時代

貝原益軒が縁起を著し岡湊十二景を記す。

式日献燈(芦屋の旅商・伊万里陶器商寄進)—堺・江戸へつながる海運ネットワークの具体物。  

近代〜現代

北白川内親王の扁額奉掲。

千光院大蘇鉄(島原の乱ゆかり)。

祇園山笠・人形感謝祭など厄除・身代わりの年中行事が継承。  



まとめ(由緒の射程)


岡湊神社の由緒は、

1. 『日本書紀』が語る「岡の水門」の神顕譚(大倉主・菟夫羅媛、伊賀彦、神功皇后らの登場)を創祀の核に据え、

2. 「岡湊/岡の津/岡の浦」=古港という地名史・文献史(古事類苑・万葉資料)に裏打ちされ、

3. 江戸の学者(貝原益軒)の記録や商人寄進の石灯籠など具体物を通じて、港町芦屋の信仰と海運が社の性格を深めてきた、

という三層構造で理解できます。現在も厄除・身代わり・交通安全の社として、祇園行事や人形感謝の祭礼にその系譜がはっきりと息づいています。     



参考(具体例に触れた出典)

『日本書紀』巻八(仲哀天皇紀)—崗浦・水門・大倉主・菟夫羅媛・伊賀彦・洞海の記事。 

『古事類苑』地部/港—**岡湊=芦屋の港、「岡の津/岡の浦」**の記載。 

奈良県立万葉文化館DB—**「岡の水門」**に関する注記。 

芦屋町観光協会/クロスロードふくおか—社地・祭神・式日献燈・扁額・行事・文化財。  


※地名の比定や一部の人物比定は記紀伝承・近世地誌に基づく理解であり、学術上は異論もあります。上記は**社の由緒(縁起)**として一般に示される内容を、時期・人物を軸に整理したものです。