教えるは学ぶの半ば
(ガレージな夜875)

物事の通りを深く理解してもらうためには、要点のみを話す。
そうやって聞くものに考える余地を与える。
自分で考えをめぐらせば、道理は深く会得できる。
間違っても詳しく説明するな。
そんなことをしたら聞くものは自分で考えなくなる。
教える者が道理の深淵から遠ざけるようなものだ。

言志録  第百六十六条から

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教えると言う行為は上手くいかないことから学ぶことが多い、どうしたら教え子たちが上手くなるのか、やる気スイッチはどこで入り維持できるのか・・などなど
物事を深く理解するには、自分の頭で考えることが大事。
嫌いなことならいざ知らず、好きなことに向かってる最中ならば、誰よりも負けたくないと言う気概を起こさせることを教え学ばせる・・
覚えたこと、学んだことを実践して伝えてみることは教えであり、もっと深く追求するための学びの時でもある。
教えると言う行為は、教えているようで、実は教えられ学んでいることと指導者は心に刻むこと。
ただ、教え過ぎずに常に自分の頭で考えさせる道理をシンプルに行うことは簡単なようで中々難しい。
つまり、教えるは学ぶの道半ばと言うことである。