我は我なり、人は人なり
ことわざに「彼も人なり、我も人なり」という教えがある。
同じ人間だから、思いやりを持って敬う・・と言うこと。
言い変えると、「我は我なり、人は人なり」とでも言おうか・・
前文のことわざの出典は明らかではないが、よく知られている。
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今春、社会へ船出する輩へ励ましのメッセージ
ビジネスブログから
「彼も人なり、我も人なり」
通常の意味は、『彼』である他人にできることなら、同じ人間なのだから『我』である私だってできないはずはない、だから努力しようとされている。
どんな偉人でも人間には違いないので、誰でも努力すればその偉業に近づくことができるという教訓でもある。
ことわざの理解としてはそれでよいが、社会人として生きていくと、このことわざの別の側面も感じられるようになる。
私の解釈を紹介したい。
ライフハック的な即効性には乏しいが、気に留めておくといつか役立つかもしれない。
それは、組織を離れたら「彼も人なり、我も人なり」で、誰もが普通の人間だということだ。
組織の中にいたら、上下の関係にきちんと留意しなければならないが、誰もが組織の立場とは違った「人」としての在り方を持っている。
そこに基本的な配慮と敬意を持つようにしたい。
簡単に言えば、どんな立場の人にも公平な礼儀を持ちなさい、ということだ。
新社会人は組織の末端に置かれ、しばらくは誰に対しても偉そうにすることも威張ったりすることもできない。
だが、1年、2年と経つにつれ、少しずつ地位が上がる。
その時に、偉ぶったり、ほかの人を見下すようなことをしてはいけない。
逆に、新社会人の人が現在、基本的な礼儀を欠いた上司や先輩を見ることがあれば、ああなってはいけないと心に静かに留めておくとよい。
・・・中略
新社会人への教訓の一つに「出入りの商人に威張るな」として「どんな会社に勤めても、自分が高姿勢で対応できる立場の相手がいるのである。
こういう人たちに、決して威張ってはいけない」・・
理由は、回り回って、威張っている人の評判を落とすからだ。
この「回り回って」というところに、社会というものの機微がある。
・・・ ・・・
日常に流されがちな昨今、誰しも経験した立ち居振る舞いであろう心に響く文面に反省させられる思いだ。(汗)
人生を長く生きていると色々な人とふれあうが、高飛車、高姿勢、威張るなどの態度で接しうるリスペクト精神の欠落した人を多くみてきた。
思いやりと言う言葉を何処かに忘れているその態度は、いつ何処で形成されたのだろうか?
そう思っている自分も、何処かで同じ悪態を晒していることが有るのだろう。
大いに反省しなくてはいけない。(汗)
いつ何処でも、思いやりを胸に態度を示す、その謙虚さを感じていること。
それが、良い意味の「我は我なり、人は人なり」の自覚で有るのだろう。
思いやりは感謝の心、それが謙虚な姿勢となる。
身に付けたいのは、先ずはそこから。
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農家民宿の教えから
とって良いのは写真だけ
持ち帰って良いのは思い出だけ
残して良いのは足跡だけ