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その気があるか
(ガレージな夜282)

練習の目的は試合で自己の表現を思う存分に発揮する為にある。
故に、智・心・技・体の、その競技種目に必要な知力や運動能力を鍛えることにある。
そして、競技スポーツに於いてはそこに判断力が必要で、それを磨こうとする意志と実行する意識が重要になる。

運動能力に判断力を付加する為には、集中力と思考を切らす事無く、持続する力を継続的に鍛える練習とサボらない気構えが必要不可欠となる訳だ。
たかが練習と捉えるか、いやいやここが大事な基礎となる・・と、強く思い練習を実行出来るか否かが成長の最大のポイントなんだ。

指導に蓋は要らない、出る杭はドンドン出せ・・

感違いしてはならない事は、出る杭に蓋をして保護者の眼を気にして、実力に共わない底上げをして、皆んなが対等に育ったなんて思っている指導は本末転倒だと言うこと。
本当の育成は、自ら考え行動する能力を伸ばして行くこと。
だから、実力が共わない時期に足並み揃えてトップの試合に出すことはチョット意味が違う。
まだ己の準備不足な内は、それ相応の二部の試合で修行だ。
修行は己の実力を知り向上する為に努力する事である。
努力の過程で挫折を味わい、それを自力で乗り越える力を付けることを学ぶのだ。
そこに、大人の要らぬ手助けは不要。
要らぬ手助けとは、仲良し子良しの労苦を共わない一見の楽しさで過ごす練習で、戦わない姿勢を植え付けることになる。

これは、育成とは言わない。

伸ばすべき輩を更に伸ばして、まだまだの輩のやる気と努力を引き出し少しでも追いつかせることが
本来やらなきゃいけないことなんだ。

厳しく指導されて、へこたれてやる気が起こらないなんて輩は生活の乱れ、家庭の甘えの諸々が出ているに過ぎない。
我が子が厳しく言われている姿を見て、試合に出られない姿を見て感傷的になる親は、何処かボタンを掛け間違えて人生を過ごした感がある。
(これは過去の経験から感じたこと)

その気があるか・・
育成なら
指導者も、選手も、保護者も、上を目指したい。
そこに必要なのは、やる気と本当のその気があるかだ。
成長するか否か、試合に出れるか否か、全ては自分に跳ね返ってくる事を練習の中から学ばせ、学び、見守る・・その気を育てたい。