遠い記憶から今を振り返る・・・
自分の子どもの頃と、現代の子どもたちを観ていて、ちがうなと思うことが幾つかある。
サッカーから子供たちとかかわりをもっているわけだが、何だろうか、こう野性的というか、がむしゃらにやるとか、自分のやりたい事は遊びでも真剣でクタクタになるまで遊び通すとか・・・
それと、学校外のスポーツクラブなんてなかったからスポーツを専門的に教えてもらった事がない。
確か、自分が子供の頃はサッカーは盛んじゃなかったので冬の寒い時期にゴムボールを普通の運動靴で蹴って遊んでいただけ・・・
高校までは、皮のボールなんて見たことも無いし、蹴ったことも記憶にないくらいだった。
小学生の頃は、三つくらい上の学年に交じって、いつもFWか右サイドハーフあたりからゴールを狙って遊んでいたが、なんせ、ボールが来たら一目散にゴールへ向かいドリブルして、おもいっきりシュートを打っていた。
DFなんか点取れなくて、つまらないからやらなかったし、とにかくやたら直線的にドリブルしてパスもそこそこに直ぐにシュートを打っていた。
今、子供たちに、テクニックだフェイントだ・・・とか言っているけど幼少のころの自分からは想像もつかない言葉です。(;^_^A
とにかく、サッカーは冬の遊びでゴールを取る事だけが面白かった。
単なる遊びのサッカーだから、技術もチームワークもそんなのはまったくなく、自分の自己満足の世界に浸って遊んでいたね・・・。
よくやったのは、ソフトボール、軟式テニス、卓球・・・どれも習った訳では無く、年上の人達と遊びのなかで自然に覚えてやっていた。
当然、年上の人たちには勝てないから、学校から帰ったら道路の壁に向かってピッチングや、壁打ちや、素振りはよくやっていた。
早朝の、2~3キロのランニングも小学校5年生くらいからやっていた。
一旦興味を持ちだすと、深く知りたがる性格なんだろうか、本で調べたり研究して結構自主練習をしつこくやっていたね。
確か、軟式テニスは、ドロップサーブとドライブボールをひたすら練習して5年生の時に町内大会で6年生を撃破して優勝した記憶がある。
大会で賞状をもらったのは、これが最初で最後だったような・・・
子どもの頃の自分は、動物的というか、直感でスポーツを自然に楽しんで色々吸収したような感じだ。
学校以外で誰か特定の人に教えてもらうとか、習い事はしていなかったので、遊びと自主練が学びの場であったような感じだった。
現代の子どもたちを見ると、習い事を多くやっているが、そういう環境がたくさん有る事は選択肢があり良いのだろうか・・。
ただ、自分流の考えで思えば、幾つかの塾行って、サッカーもやって、空手もやってとか週のほとんどを習い事で強制されているのはどうなんだろう・・・と思う。
”鉄は熱いうちに打て”の思いで親の気持ちが子供への教育熱心へとエスカレートしてしまうのだろうか・・・
上手く言えないが強制されてやる事と、好きな事をたくさんやる事は吸収力が違うと思う。
勉強はもちろん大事、でもそれは学校で習う事で十分だと思うし、それ以上ムリヤリ押し込んでも希薄であろう。
スポーツ、芸術、音楽、語学など、なんでもいい、子供がやりたいと一番興味を示している事に的を絞って目を向けてあげたら、やる気も出るだろうし成長もすることだろうか・・。
自分の息子3人とも、サッカーオンリーでノン塾でやって来たが、一応、文武両道のスタイルは貫いているので、あまり高みを望まなければ、その気になってやれば出来ると思います。
大事なのは、教えを被るのでは無く、”自ら学ぶ”この精神を学べる環境を探して、そこで”自らを切磋琢磨”する事だと思う。
《自分にあった夢》
人生、志に達するを貴ぶという。
・・教育、学問、文学、技芸、美術などに志を寄せるなら、大いにこれを求め、これを得ることが出来れば、それをもって補足するが良い。
自分の子どもの頃と、現代の子どもたちを観ていて、ちがうなと思うことが幾つかある。
サッカーから子供たちとかかわりをもっているわけだが、何だろうか、こう野性的というか、がむしゃらにやるとか、自分のやりたい事は遊びでも真剣でクタクタになるまで遊び通すとか・・・
それと、学校外のスポーツクラブなんてなかったからスポーツを専門的に教えてもらった事がない。
確か、自分が子供の頃はサッカーは盛んじゃなかったので冬の寒い時期にゴムボールを普通の運動靴で蹴って遊んでいただけ・・・
高校までは、皮のボールなんて見たことも無いし、蹴ったことも記憶にないくらいだった。
小学生の頃は、三つくらい上の学年に交じって、いつもFWか右サイドハーフあたりからゴールを狙って遊んでいたが、なんせ、ボールが来たら一目散にゴールへ向かいドリブルして、おもいっきりシュートを打っていた。
DFなんか点取れなくて、つまらないからやらなかったし、とにかくやたら直線的にドリブルしてパスもそこそこに直ぐにシュートを打っていた。
今、子供たちに、テクニックだフェイントだ・・・とか言っているけど幼少のころの自分からは想像もつかない言葉です。(;^_^A
とにかく、サッカーは冬の遊びでゴールを取る事だけが面白かった。
単なる遊びのサッカーだから、技術もチームワークもそんなのはまったくなく、自分の自己満足の世界に浸って遊んでいたね・・・。
よくやったのは、ソフトボール、軟式テニス、卓球・・・どれも習った訳では無く、年上の人達と遊びのなかで自然に覚えてやっていた。
当然、年上の人たちには勝てないから、学校から帰ったら道路の壁に向かってピッチングや、壁打ちや、素振りはよくやっていた。
早朝の、2~3キロのランニングも小学校5年生くらいからやっていた。
一旦興味を持ちだすと、深く知りたがる性格なんだろうか、本で調べたり研究して結構自主練習をしつこくやっていたね。
確か、軟式テニスは、ドロップサーブとドライブボールをひたすら練習して5年生の時に町内大会で6年生を撃破して優勝した記憶がある。
大会で賞状をもらったのは、これが最初で最後だったような・・・
子どもの頃の自分は、動物的というか、直感でスポーツを自然に楽しんで色々吸収したような感じだ。
学校以外で誰か特定の人に教えてもらうとか、習い事はしていなかったので、遊びと自主練が学びの場であったような感じだった。
現代の子どもたちを見ると、習い事を多くやっているが、そういう環境がたくさん有る事は選択肢があり良いのだろうか・・。
ただ、自分流の考えで思えば、幾つかの塾行って、サッカーもやって、空手もやってとか週のほとんどを習い事で強制されているのはどうなんだろう・・・と思う。
”鉄は熱いうちに打て”の思いで親の気持ちが子供への教育熱心へとエスカレートしてしまうのだろうか・・・
上手く言えないが強制されてやる事と、好きな事をたくさんやる事は吸収力が違うと思う。
勉強はもちろん大事、でもそれは学校で習う事で十分だと思うし、それ以上ムリヤリ押し込んでも希薄であろう。
スポーツ、芸術、音楽、語学など、なんでもいい、子供がやりたいと一番興味を示している事に的を絞って目を向けてあげたら、やる気も出るだろうし成長もすることだろうか・・。
自分の息子3人とも、サッカーオンリーでノン塾でやって来たが、一応、文武両道のスタイルは貫いているので、あまり高みを望まなければ、その気になってやれば出来ると思います。
大事なのは、教えを被るのでは無く、”自ら学ぶ”この精神を学べる環境を探して、そこで”自らを切磋琢磨”する事だと思う。
《自分にあった夢》
人生、志に達するを貴ぶという。
・・教育、学問、文学、技芸、美術などに志を寄せるなら、大いにこれを求め、これを得ることが出来れば、それをもって補足するが良い。