本日のガレトレナイターお疲れさまでした。

1年~4年まで16名の足技練習参加、日々の継続が君たちを成長させる、やってないやつとの差は数年後に必ず表れるから、その調子でもっと集中力を高めて行こう。


昨日の続編です。


選手権で学園サッカーを今年も観戦して、これでお正月を無事迎えれます。

大げさと言われるでしょうが、私の中では、優先順位の高いイベントである。


プリンスリーグ、高円、静岡の選手権、正月の天皇杯、新年初めの選手権、Jスーパーカップ、Jリーグ開幕・・・・と続いて行く。


Jリーグはテレビ観戦が出来る、選手権の全国大会もテレビ観戦が出来る・・

地方の高校サッカー予選などをテレビ観戦するとなるとそうそうない。

静岡のテレビ放送が自宅(ここ愛知)でも受信出来れば、静岡県の選手権をテレビ観戦することも可能なのだが・・・


でも、やっぱり選手権の学園戦はライブで臨場感をあじわうのが一番と思って毎年この時期、準決勝のスタンドへ通っている。テレビだと、ボールの動きが中心でボールのない所の動きなどが見えないことが多いから生スタで

全体の人の動きを見る事に価値があると思っている。


学園サッカーの魅力は、なんといっても井田イズムの指導のポリシー継承でテクニックとメンタリティだ。


身体能力と足の速さでボールを蹴っ飛ばし、中盤を省略したなんともつまらないサッカーが日本に蔓延していた頃に、ドリブルとショートパスをつないで中央突破をする、それまでの日本サッカーのセオリーをくつがえすようなスタイルを作り挑んで来たのが学園サッカーだと感じている。

IQよりもアドリブ、PQで闘うスタイル・・・


ボールが足に吸い付くまで触りテクニックを身に付けて行く、最後まで走れる走力と、それを支える強いメンタリティを築いて行く・・・そんなサッカーに魅せられて、サッカー少年と日々練習に向かっている。


☆まげちゃいかん語録から(コピー)


サッカーのテクニックを身につける練習は、サッカーをして、しかもボールを使うドリブルを通してやるべきだ。

各人がボールを持って、ドリブルをし、フェイント、トリックなどを練習することだ。

ドリブルやフェイントの練習には長い時間がかかる。才能も大きくものをいう。子供のときに覚えられなかったことは、大人になってからではもう遅く、身につかないものだ。小さい時から、何千、何万回と練習し、それを実際に試合の中でやってみることだ。

スーパースターと言われる偉大なサッカー選手は、「ボールから自由になっている」ものである。

場所や、時間や、敵といった外的な条件が、ボールコントロールをする際に、邪魔なうちはまだまだ三流だと思って、ひたすら精進すべきである。


ボールを持ったら、「シュートまで相手に渡さないこと」だ。そのために前へ行こうが、横へ行こうが、後ろへ行こうが、ゆっくりやろうが構わない。子供の間はこうして、ボールをしっかり持てることを、ドリブルでボールを運べることを、良いパスで仲間につなげることを、ゲームの中で、相手に邪魔されながら身につけていくことが大切だ。

大人の知恵を入れ過ぎて、勝ち方を教えるのが間違いなのだ。


以前UPした、”紆余曲折”の精神で練習から100%全力で取り組み、継続すること、そしてテクニックを自分のものにするには、ゲームで試すことが大切であるということです。


本物のテクニックが身につけば、相手を見下ろして遊ぶように楽しくボールを操れる、その楽しみを味わうためには、そこへ辿りつくまでの苦難の道のりがあるはずだ・・・それを自らの努力で乗り越えて行こう。


テクニックというものは何もボールを持った時だけじゃない、オフザボールのボジショニング、ボールの無いところでの駆け引きも非常に大切。上のカテゴリーになればなる程にボールを引き出す空間を上手く使える選手が必要だ。サッカーはピッチの中のだましあい、ボールを自由に操るテクニックとピッチを縦横無尽に走りまわれる
インテリジェンスな能力が必要不可欠であり、それが出来たら最高だ。

とは言ってもジュニアにはすぐには難しいので、今しか身につかないボールを自由自在に操るテクニックをゲームを意識した動きの中で自分のものにして行こう。

≪楽しみはどこに≫

登山の目標は、山頂と決まっている。しかし、人生の面白さ、生命の息吹の楽しさは、その山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にあるという。


(吉川英治)から



エコパにて

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