とあるジュニア低学年の試合で、コートサイドの保護者、ベンチのコーチから激しい命令言葉が子供(選手)達に発しられていた。


この状況、試合で良く見かける。


確かに保護者も、コーチも、その試合に勝ちたい、負けたくない気持ちでいっぱい!!で、ついつい我を忘れて暴走的応援と指示をしてしまう。 

子供側の目線から見たらどうだろうか・・・。

試合中の、その子供達を見ると、親とコーチの言葉を気にしながらプレーの選択をしているように見える。

ドリブルしてもパスをしても怒られる、ミスをしたらもっと言われる、判断が鈍り最初の1歩が遅れる、ボールが止まらない、運べない、走れない、そんな境遇の中におかれ、いったい自分は何をどうすれば怒られないのか、分からなくなっているに違いない。

自分の判断でプレーが出来ない、大人の判断下で操り人形の如く操作され、ゲームにさらされる子供達に成長の伸び代が築けるだろうか?


本来、試合(物事)は、プレーする本人が自己判断の基に行われなければ意味がない。

ましてや、育成の初期段階の年代に於いては、その重要性は強く、子供達が自分自身で考え行動出来る環境を作り、与えて導く事が大人の役目なのでは。


試合中に外野からあれこれ言われても、直ぐには理解も修正も出来ないであろうし、ジュニアでは習っていない事で有れば尚更の事である。

パスも、ドリブルも、シュートも、ポジショニングも、判断も全ての事は、色々な注釈をつけて練習で行う事が育成であり、練習の成果を見るのが試合なのだから、練習で求めていない事を試合で求める事に無理がある。


また、練習をした事も、サッカーは相手との対峙が常にあり、同じ局面はないスポーツで有る事は承知の事で、アドリブ性が強く求められる、ミスをするスポーツで有る事から、この年代では出来ない事が多くて当たり前なのである。


試合で成果を出す為に、事前に練習し、その結果を踏まえて足りない所を補う為にまた練習を行う、この繰り返しを根気よく行い改善していくだけの事である。


時に、挨拶も出来ない、忘れ物をする、試合で出来ない事等は、普段の生活で仕向けていない事、練習で仕向けていない事が、表面に出ているだけの事であり、生活から、練習から修正して正して行くしかない。


くれぐれも、試合で直ぐに多くを求めてはいけない事を、保護者も、指導者も肝に命じておこう。


「勝てば官軍」という言葉がある。

「勝った者が正義」、「負けた者が賊軍」と言う事であるが、裏を返せば「官軍は賊軍の一時の姿」であり常勝は確かでないと言う事。勝敗は時の運的な所もあると言う事で、偶然に左右される事が多いサッカーに於いてはその色は濃い。


育成に必要なポリシーを問うと、「勝者」を築く以上に大切な事も存在し、「敗軍の将、兵を語らず」「不運を嘆かず歯を食いしばり前へ進む」と言う所が実は大切な部分で、そこから「謙虚に頑張る資質と不条理を勝ち抜く心が」育まれる。


育成とは、そう信じ、地味に地道に努力を継続する事が大切!