御持て成し


父、母から学んだこと

まだ若き頃、帰省した際に、父、母が毎回玄関口から外に出て送迎をしてくれた記憶が有る。

有る時、「わざわざ送迎はいいから」と父母に言った時に、こう切り出された。

何でもないことだが、「笑顔で迎え、送られたら気分がいいだろ」・・と諭された。

親から、20代の若者に礼節の一端、「御持て成し」を、さり気なく教えられた教訓であったに違いない。


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御持て成しとは・・

客人に対し心を込めて歓待や接待を行うことを「もてなす」と言い、これを丁寧にした言い方を「御持て成し」と記されており、気づきとか誠意にあたることでもある。

TOKYOオリンピック誘致の際のPR語録、日本人の、「お・も・て・な・し」👌のフレーズは記憶にまだ新しい・・


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そこで、「御持て成し」の基礎、お迎えと、お見送りの姿勢から・・


客人が訪れた時に玄関先で出迎え、帰られる時にも玄関先から笑顔で見送る。

なんでもないことだが、こんな所作が普通に出来るのが飾らないシンプルな「御持て成し」であろう。

普段の生活から、当たり前のように出来ることが望ましいが、これがなかなか出来ない人が多い。

なかなか気付けないなぁと思う人は、送る側からではなく、送られる側になって顧みると心地よくされた対応に気づくはずだ。

物事の行いは自分本位ではなく、相手有りきで考えるべきで、「御持て成し」を受けることはとても心地よく、悪しき思いはまずない。

「御持て成し」を受けたら、次は掛けてになり相手を心地よい気持ちにしてあげましょう。

こう言う所作が当たり前に出来る人でありたいですね。


「御持て成し」を言葉遊びで例えると・・


表無しだから裏も無い・・と言うことで、嘘がない正直な人格が伺えると解く。

その心は・・

正直で誠意ある「御持て成し」が自然に行動出来る人となる!


ちょっと強引だったかな・・チャンチャン・・😅








I know you can do it
(あなたなら出来ると私は信じています。)

お盆休みも終盤、本日も酷暑ですがリーグ戦勝利の為に自信を持って挑め。

FS県1部リーグ第3戦に向けて・・
リズム、テクニック、スピリット!

+×+  + +×+  

あなたが何かに向かって必死に取り組んでいる時に、私はその努力する姿をあまり手を貸さずに見守っています。
どんな事にも逃げずに向かっている時は、頑張れる精神を少しずつ積み上げ未来へ一歩一歩進んでいる姿です。
何かを行なって良い結果が得られたということは大事ですが、それよりも、その目標に向かって努力をしている事の方がもっと大事だと思います。
今までは一人で戦いのステージへ向かっていたが、今は心強いファミリーがいます。
なので、これからも今以上に頑張れる自分を、あなたとファミリーで積み上げることを私は信じています。

Boa Sorte  hiro's



忘年の交わり 2025
(ニューファミリーへ)

ことしの夏も年配者には大変な暑さだが、盛夏に負けないダブルマリッジでハートがホットな忘年の交わりになりました。

子供たちが、親から巣立ち家庭を持つことで、肩の荷が降りる思い。

遠い昔に遊んだ記憶が懐かしい・・


…〜………〜…


ことわざ「忘年の交わり」から


良寛禅師に有名な話がある

村の子供たちとかくれんぼをしていた良寛さんは、上手に隠れたため子供たちが見つけることができず、やがて夕飯の時間となり子供たちは、仕方なくそれぞれの家に帰って行った。
やがて、あたりは真っ暗になったが、軒先に隠れている良寛さんを、村人が見つけ、驚いて問いただしたところ良寛さんは、「静かにしてくだされ、子供たちに見つかってしまう」と小声で話したそうだ。

突き抜けた名僧は、身分をこだわらない。
相手が子供であろうと真剣に相対する、
それが、時の宰相であろうと応対は変わらない。

忘年という・・
年齢差を忘れた交わり

忘形という・・
肩書や地位を離れた交わり

忘言という・・
言葉もいらないほど分かり合える交わり

忘己という・・
世俗の垢(あか)にまみれた自分を捨てた交わり

いつの時代でも、老若男女、年の隔たりなく理性ある交わりで微笑んでいたい。

…〜……〜…

と言うことで、
忘年の交わりを年配者と若者に要約すると・・

若者は年配者から経験を学び、年配者は若者から純粋さや若く元気なパワーをもらう。
老若男女、双方に学ぶと言う意味の言葉である。

先人の生き方に感銘し、切り開いてくれた道、ノウハウや財産、それらを引き継ぎ新たな物を生み出して次の世代へと引き継ぐ。
古きを尊び新しきを学ぶ事は、何時の時代も必要である。

+++++

人は生まれて母に抱かれ、父におぶわれ、一人歩きした時から転ぶことを体験する。
転んで痛みを覚えると、転ばない工夫を考える。
例えば、赤ちゃんはハイハイから立ち上がり始めての二足立ちで転ぶ、次に手を使い何かを掴み転ばない様にする事を自然と行う。

これは、DNAに引き継がれた工夫。

成長が進むに連れて、体験が増え転ぶ(失敗、悩み)事が増える。
そんな時に、人生の先輩(親、大人)からアドバイスをもらい、考え行動する工夫を学ぶ。
幾度も転ぶが若い力で何度でも立ち上がり人は成長する。
その若い力を見て、人生はまだまだこれからだと勇気づけられる。

若きに学び、老いても学び続ける、その姿勢を持って生きたい。
良き人生を生きるとは、そう言う事だと思う。

新たなファミリーの門出を祝い未来を創造したい。







笑顔の正体


暑い暑い真夏日が続く日々で大変な季節ですが、「笑顔」が三つ加わり楽しく穏やかに乗り切れそうです。


〜〜〜〜…


幸せの条件って何だろうと考えると、ふと「笑顔」が思い浮かぶ。

じゃあ、「笑顔」でいる為にはどうしたらいいのかなと考えると、あれこれ私欲が先走り他人の所為(せい)にしがちだ。

人の思いは千差万別であるが、「笑顔」の有る所に不幸は見当たらない気がするし、顔の表情が周りに何らかの影響をもたらすものである。

表情から性格がチラチラ顔を出し、その人の人格を表し運命を左右すると言われることもあるから「笑顔」は大切だと思う。


^_^ ^_^ ^_^ ^_^


よく聞く熟語には・・

・笑う門には福来る

・笑門来福(招福万来)

・一笑千金

・・・

調べれば、沢山の熟語が出てくるが、「笑顔」でいると悪いことはまず無く、いいことだらけだと思う。^_^

その「笑顔」は、決して与えられるものでもなく、自助の努力や色々な人達に助けられ育まられるものであろう。


「笑顔」でいる為に育んでくれた人達に思いを馳せる「感恩報謝」(かんおんほうしゃ)と言う熟語がある。

育んでくれた人達へ、リスペクトし報いると言う意味で、普段の言葉では、短縮して「感謝」🙏である。

「笑顔」でいる為に「感謝」の気概を持ち、「感謝」することで「笑顔」になる所作(振る舞い)のループが大切。

このシンプルな所作が、穏やかで平和な日常を継続させる一助になると思うのです。


先行き不安な世の中ですが、微笑みながら暮らしたい

と誰もが願ってると思う。

先ずは、他人がどうだ、こうだ、あまり見返りを求めず「笑顔」で対処出来る自分作りに向かいたい・・

穏やかな「笑顔」のある日常でありますよに・・^_^


+×+  + +×+  


《益はなくとも、意味はある》

鍵山秀三郎(イエローハット創業者)の言葉から


一人でも多くの人が、見返りばかり求めず、努力そのものに意義を見出せるようになれば、世の中はもっとおだやかになります。




お寺の掲示板4


4月のお寺の掲示板の説法


「生まれを問うな、行為を問え」・・釈迦


人生の好機は、生い立ちや誰かに問うのでは無く、自身の所作に現れる・・と言うことかな?


+×+  --  +×+  


世の中良い時も悪い時もあるが、生きていると罰に晒されている事が多々ある。

そこで、日本の闇(病み)、生きていて罰金とも思える税金を上げてみた。


×××---×××


題して、闇夜の国の年貢

・住んだら罰金 ・・住民税

・働いたら罰金 ・・所得税

・退職したら罰金・・特別所得税

・買ったら罰金 ・・消費税

・飲んだら罰金 ・・酒税

・吸ったら罰金 ・・タバコ税

・乗ったら罰金 ・・自動車税

・車検したら罰金・・重量税

・持ったら罰金 ・・固定資産税

・死んだら罰金 ・・相続税

・継いだら罰金 ・・登録免許税

・貰っても罰金 ・・贈与税

・・・〜


他にまだまだあるが、闇夜の国にはこんな制度もある。

・働かななければ賞金・・生活保護


真面目に働くと損をする・・

そんな感じに思えてしまわないかな・・?


察して、「生まれを問うな、政治を問え」だね。😤






お寺の掲示板に学ぶ3


三月のお寺の掲示板の説法


「仏の顔は何度でも」


一般に知られているのは、「仏の顔も三度まで」だと思うが、どうやら「仏の顔は何度でも」も有るらしい。


+×+  +×+  


意味を調べると・・

〈概要〉Wikipediaから

仏というのは温和であるものの、それでも顔を三度もなでられると腹を立てるということ。ここからどんなに慈悲深い人物でも、無法なことを何度もされると怒るということを意味する言葉となっている。


〈由来〉

釈迦族のお釈迦様は、宿縁のコーサラ族の三度の攻め入りを撤退させ、四度目の攻め入りを止めなかった為に釈迦族は国を滅ぼされた。

しかし、攻め入ったコーサラ族の王は後に嵐で命を落としたと言う話しから、この物語が元になって「仏の顔も三度まで」と言うことわざが作られたと言われるらしい・・が、この物語は、お釈迦様を怒らせたのではなく、お釈迦が真実を悟り諦めたことだという。


なんだか分かりづらいが、仏のお釈迦様は全ての人に平等であり、怒ったりしないということで、「仏の顔は何度でも」かな??


人の成長を願い例えてみれば・・


計画が曖昧で工夫や努力もせずに失敗を繰り返す事には、「三度まで」としてお灸を据える。

失敗続きで上手く行かない状態が続いているが、一度目より二度目、三度目と少しづつ改善され進んでいれば、「何度でも」待つかな。


「・・三度まで」、「・・何度でも」、どちらの仏も必要ということだね(_ _).。o○


人生の最終コーナーを過ぎると、あちこち傷みが多くなる。

故に、神様、仏様を信じたくなるのだろうか?・・

最後は、神様、仏様、おかみさん・・かな(笑)







お寺の掲示板に学ぶ2


☆説法1

幸せは

築くものじゃなくて

気づくもの

             南條 了瑛(僧侶)


☆説法2

悩んでる暇に

一つでもやりなよ

           ドラえもん(22世紀の猫型ロボット)


+×+×+  


今月はお寺の掲示板の説法が二例、大盤振る舞い・・

一つの物から、二つ以上の物を享受するようなもので、一粒で二度美味しいグリコのアーモンドキャラメルのようだな・・

え、昭和生まれしか知らないとか・・(汗)


昭和的な思考でまとめ…〜……


幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだよ・・と言う所に気づくことが大事。^_^


人生悩みは尽きないが、石橋を叩き過ぎて渡らないよりは、思い切って渡ってしまえば何かが築けると言うことに気づくことも大事かな・・ジャンジャン(笑)




お寺の掲示板に学ぶ1


近所のお寺の掲示板に貼り出されている説法に学ぶ。

今年は蛇年だが、年初め猫でした・・(笑)


〈掲示板の説法〉

猫を叱る前に、魚を置くな

板橋 興宗 禅師


「猫が魚を盗んだ」という結果の前に、「猫の手の届く所に魚を置いてしまった」という原因があるので、猫に腹を立てる前に、原因を作った自分を省みよ・・と言っている。


よくある、自分を棚に上げておいて、やつ当たりしてる人のことだと思うが、身に覚えがある人多いかも・・猫も迷惑だニャーと言っております。(笑)





Soul and  Spirit
(魂と向上心)

1月13、14日は女子、男子共に高校サッカー選手権の決勝戦。
各県の代表戦を勝ち上がり辿り着いたチームの戦いの舞台は、今年も魂と向上心溢れる覚悟を磨いた一戦で素晴らしかった。
テクニック、走力、体力などの個の力とチーム力が鍛えられてより結束したチームが最後は勝つ。
勝負ごとは、勝者がいれば敗者も必ずいるが、大切なのは、このステージに上がる為に若者達がひた向きに練習し努力した過程にある。
勝っても負けても、喜びや悲しみは一瞬に過ぎない。
ましてや、ここは人生のまだまだ通り道。
ここから新たなスタートラインを引いて、その頑張りの継続を社会に出た時に必ず役に立てること。
ここから先に本当に必要なのは、新たな向上心と頑張る姿である。

+×+×+  ○+○  +×+×+  

決意と志

幼い頃に憧れた夢に、誰よりも我慢強く努力をして向かった人たちは、いつかは自分の手で夢を現実の物に出来る。

夢は叶う・・と言われるが、叶う為には誰よりも強く、誰よりも厳しく、誰よりも長く、誰よりも深く努力をしないといけない。

少年、少女の夢は、青年時のひた向きさと、成年迄の努力の継続が現実となるが、努力を「決意」して向上心を持って実行する事で道は拓かれて行く事にある。

決意の師を・・

夢への道先案内人には、憧れの人であったり、苦難に辛酸をなめ乗り越えた経験をした人であったりする。
一つのことを極める時に、そうした師との出会いがある。
そんな経験をした人たちが決意し、夢へ向かうことを教えてくれる。
そのタイミングに出会ったら「心ひとつ」に決意し志を固め挑むことだ。

サッカーに限らず挑む少年少女たちの師は、監督、コーチ等の指導者である。
その指導者は、育成を学び謙虚でひた向きな背中を見せることで役目を果たす。
高校サッカー選手権に、そんな向上心のある背中の指導者が毎年目に映るが、競技スポーツっていいなって思える瞬間でもある。

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「講孟劄記」から
孔子の教え「憤(ふん)」(向上心)が必要と松蔭は言った。
何とかしようと自分で学んでみて、どうしても分からない状態になった時に初めて師を仰ぎ生かすと言うことである。




ザ・リスペクト

(忘れてはならないこと)


2025年(令和七年)がスタートしました。

思えば昨年の元旦・・能登半島大地震、夏の豪雨、天変地異な年の始まりからまもなく一年が経過するが、まだまだ復旧の途中である。

被災地の救助、復旧などに必ず活躍しているのが自衛隊である。

その災害のたびに自衛隊の救助活動が被災地を救っていることに我々は遠くから感謝して見守るしかないが、被災地の皆様の生活が一日も早く復旧されることを祈るばかりである。


+×+×+ + +×+×+ 


自衛隊派遣活動へのリスペクトから


地震などの大きな災難が発生すると、必ず自衛隊が救助活動などに奔走している。


その自衛隊を皮肉たっぷりに表現した記者クラブの内容がある。


現在から半世紀程前に、自衛隊創立間もない頃に新聞記者達の雑談の中から生まれたと言われる、自衛隊組織文化を表現した二つの四字熟語の組み合わせがあるが、これがとても面白い。

四字熟語は全て「いい点を挙げてから、落とす」というパターンでできていて、その出来の良さに驚かされる。

簡潔で的確で、ユーモアもある、レベルの高い評論で、感心させられる。

これ以上の四字熟語をつくれる人がいたら、天才ですね。


…〜………〜……


★各自衛隊別の「性格を現す四字熟語」


★陸上自衛隊

「用意周到、動脈硬化」

心遣いが隅々まで行き届いて、準備に手抜かりがないさまだが、反面、1度決めたことを簡単に変えることができず、融通が利かず、柔軟性がなくなる例え。


★海上自衛隊

「伝統墨守、唯我独尊」

伝統墨守を良しと考え、プライド高くそれを優れていると自負している例え。


★航空自衛隊

「勇猛果敢、支離滅裂」

何事にも判断が早いことを「勇猛果敢」と捉えるか、「とにかくやってしまえ!」と突き進んだ結果大間違いになる「支離滅裂」ととるかの例え。


★内局 

「優柔不断、本末転倒」。

物事の決断が遅く、大事な部分と些細な部分を取り違えてしまう例え。

         

★記者クラブ

「浅学非才、馬鹿丸出し」

学問が浅く、才能にも乏しいこと、という意味で自らを謙遜していう語の例え


<防衛庁記者クラブ作>から引用


+×+×+ + +×+×+ 


上記は、記者クラブが防衛省を皮肉っぽく落とした表現だが、最後に、自分達記者を傘に掛けず苔おろしているのが素晴らしい。


この四字熟語を書いた記者は自分の立ち位置を理解しており信用出来る。

まさに、リスペクト精神だな〜