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昨夜、知人の葬儀に出席し、お別れをしてきた。
約40年に及ぶ、知り合いだった、…昨日の昼過ぎ突然の訃報で、何が何だか解らず、頭の中を整理できずに、葬儀の参列だった。
彼Susumuさんとは、僕が修行時代の当時17歳位の時に出会いました。
修行2年目位の時で、彼が、萩焼の修行先から帰り、独立の準備を行っているときに、僕の修行先の【こぶし陶苑】に、電気窯の視察に来た時でした。
約40前となると、電気窯が出始めた頃で、その頃の北海道は、陶芸の情報等を得るには、かなり遅れを取る時代でして、そう言う時代背景での、【こぶし陶苑】での電気窯の使用は、北海道では、驚きの先端を進んでました。
当時は、今の時代の様に、電気窯をまるごと買って運搬し、設置出来る時代で無かったので、僕の修行先の【こぶし陶苑】では、煉瓦積み・外枠の固定・熱電伝線の張り付け・電気配線・等を自社で行っていました。
従いまして、配線等は弟子の僕とかが行う訳で、熱電伝線をバーナーで真っ赤に熱して、窯の内形に収まるように、曲げたり伸ばしたりしながら、上段~から下段、そして最後に底の段と、言う具合に配線するわけです。
電力は、三相用の設備工事が必要で、当時としましては、大がかりな設備でした。
上記の情報等を得るために、Susumuさんは、視察に訪れました。・・・Susumuさんは、萩焼で学んだと言う事ですが、轆轤がずば抜けて上手く、センスも良く、それが故に周りからの妬みも多く、数多くの陰口もたたかれました。
作りがキャシャだ、女々しい等です。
当時は、ゴッツイ武骨な作り、又は、下手くそな作りを北海道らしい、と、あえて誉めちぎってました。
残念ながら、私の修行先でもそうでした。
良い物を素直に評価しない、受け入れない、そんな部分が、しばらくの間、続いていました、しかし、そんな良くない部分に、それは変だと、声にだして、キチンと異議を申す、陶芸家も出てきました。
その中の一人が、Susumuさんでした。
僕自身、彼から沢山のことを学びました、穴窯も、一緒に焚かせてもらったり、沢山の助言を頂きました。
お酒の席にも同席させていただき、そこでも沢山の事を学びましたました。
その彼か他界したのは、残念で仕方がないです!!
Susumuさん、今までありがとう、・・・残念ながら、まだ貴方の側に行くことは、当分の間、避けますが、それ迄の間に、穴窯の事や、沢山の土産話しを、積み重ねてます。
それ迄は、貴方の大切な彼女を、この先、泣く様な出来事が無いように、又、葬儀に来てた沢山の、あなたの仲間たちを見守って下さいね。
それでは、お別れです、心よりご冥福を祈ってます、さようなら。
Thankyou Susumu