今現在、俺はアダルトチルドレンではないし、毒親から受けた大量の抑圧に悪影響を受けてはいない。アダルトチルドレンだった時、常に自分を否定し(自分を信じたくてもドス黒い感情がそうは許さなかった)、不安や恐怖感や居心地の悪さ、生きづらさで何をしていなくても苦しい思いをしていた。

そこから考えると、抑圧された悪い感情の量で、生きづらさというものは決まるものだとつくづく実感している。

 

今はとても自由で、親への憎しみもない。アダルトチルドレンで生きづらかったときは、親を憎み、何でも親のせいにしていて自分を保っていたと思う。たしかに親のせいだったし、憎くてたまらなかったが、自分の人生でもある。

 

自分の過去は決して消えないし、親から受けた仕打ちは消えてくれない。しかし、記憶の解釈、抑圧された感情を変えたり、解消することはできる。事実は事実として受け入れ、あとはそこに悪い影響を受けない生き方をするしかない。それが一番の親への復讐だったりする。

 

アダルトチルドレンや毒親後遺症の人は、その過去を無視して今も未来も生きることはできない。意識的に考えないようにしても潜在意識では常に悪い記憶が渦巻いている。どす黒いドロドロとした鬱屈した感情が常に生きづらさを強いてくる。

 

それを解消するには、まず理性を外す必要があった。理性は日常生活をつつがなく生きるために必要だが、潜在意識までコントロールできない。だから潜在意識のわるい情報を表に出して、感情的な処理をしていった。

 

このブログで紹介してる岩波英知先生の技術(脳覚醒技術という)は、文字通り潜在意識の一番深い感情のレベルを、過去の小さい時の記憶にまでさかのぼって感情的処理ができる。理性に邪魔されない『生身100%の自分』に意識が到達できる。潜在意識の深海に潜っていける。それを一瞬で誘導できる技術がある。

 

そして脳覚醒トランス状態に入ると、更に次はもっと深く感情の深海へと潜っていける。そこで俺は自分の幼児期からの人生の流れをはっきりわかった。なぜ悩んだのか、アダルトチルドレンとなり神経症となり抑うつ状態がひどくなり、自己嫌悪と不安の塊の人生になってしまったのか悟ることができた。

 

それは考えて達観に至ったのではなく、直感が直感を呼び悟れたと言っていい。それは腹にストンと落ちる体験だった。そして文字通り浄化体験へとつながった。悲しく嬉しく清々しく重苦しく、様々な感情が到来したが、悩み続けて解決もできなかったこんがらがった感情が時ほぐれていってくれた。

 

アダルトチルドレンには原因がある。それは毒親だったり機能不全家族だったり、毒親じゃなくても親の狭い了見で抑圧を受けて育てられたり、余裕のない親と一緒にずっと暮らしてきたら、アダルトチルドレンになっていくのはわかっている。しかし、いくら知識としてわかっても、感情でわからなければ意味がない。それは理性を外れたときにしか不可能なことだ。

 

理性が外れた時、悪い昔の記憶や抑圧され続けた感情に直面してしまうが、それが浄化される深い意識の領域がある。そこに誘導してくれたのが岩波英知先生だった。その深さでは岩波先生には誰もかなわないだろう。一瞬でそこに至ってしまう奇跡的な体験だった。理性は自分を保ってくれるものだが、理性を外さないと本当の自分をコントロールできない。

 

アダルトチルドレンの人が生きづらさを克服するためには、自分を保っている理性を外していく必要があると思う。理性では自分の悪い感情を抑え込むことは結局のところ、できていないのだ(だからアダルトチルドレンとして苦しむ)。ずっと積もり積もった悪い感情的抑圧を解消していく必要性がある。

 

それをしないと、老人になるまでずっと今の生きづらさは変わらないと思う。親を憎み続け、自分もその憎しみの炎で焼いてしまう。親を憎むことでなんとか自分を保っていられる矛盾した状況になってしまう。結局親の影響下から逃れられていないのだ。それが一番自分にとってダメージでもある。

 

親とは一緒にすまなくても、精神的な影響力に置かれているのは今後20年経っても変わらないだろう。それぐらい子供時代から刻み込まれた悪い情報は消えてくれないのだ。それはいつも潜在意識に渦まいている。

アダルトチルドレン、アダルトサバイバー、毒親からうけたトラウマ、教育虐待、ロストワンの症状や境遇と闘ってきた(耐えてきた)体験談を綴っているブログを集めています。

私と同じ心理脳内プログラム(自己正常化プログラム)の体験者のブログです。

 

アダルトチルドレン回復方法 家族と私の物語

ひなのさんのアダルトチルドレン回復の体験記。毒親、機能不全家庭、克服までの四苦八苦

 

アダルトチルドレンで自律神経失調症だった内科医の健康ブログ

内科医のお医者さんのブログです。父親による教育虐待によりアダルトチルドレンになり自律神経失調症などで苦しんできた先生です。岩波先生の自己正常化克服プログラムに参加し治ったとのことです

 

神経症を克服したものが集まるサイト MINDART'S フレンズ

聞けば、皆がかなりの割合で、過保護すぎる親、視野が狭い親に育てられてきたとのこと

 

神経症が治ったものが集まるサイト その2 G-PROGRAM

上の姉妹サイト。親の影響の大きさが書かれてあります

 

無意識は必ず強くなれる! 思春期ボロボロ小娘の投資判断力脳覚醒日記

親の愛情不足の問題、それによる子供の心の隙間、それを埋めようと苦闘する様・・・・一人の少女の記録です

 

わたしの鬱病克服体験日記 ヤーマダ

俺の親とよく似ています。かなりの苦労をされた方です。鬱病が治った体験記を日記風に発表しています。

 

神経症克服したものに続け! 神経症克服征服きょーかい

直接的ではないけれど、親からの影響と抑圧はしっかりかかっているとか。幼児期からの環境ってホント大きいな

 

最後にたどり着いた不登校プログラムについて

親から子を見た闘い。主に不登校について

 

プレミアセラピー回想記とうつ病・パニック障害の手記

企業の社長さんのパニック障害と鬱病についての回想。親の抑圧が最初の発端(これっばっかり・・・)

 

不倒翁 うつ病からの再生

立派に毒親の悪影響を克服された方です。父親からではなく祖父の代からの悪影響もあるから怖い

 

ロストワン克服へ 元適応障害・発達障害・不登校児アベルのブログ

親からひどい抑圧を受け、アダルトチルドレンのロストワンになったアベルさんのブログ

 

神経症克服体験記紹介サイト(岩波叡智先生の自己正常化プログラム体験記)

私の受けた心理・脳内プログラムの体験記の記述に親との絡みが良く出てきます。また各人の体験記は貴重です

 

岩波先生開催の自己正常化プログラム(旧神経症克服プログラム)

抑圧された感情や過去のトラウマがある無意識潜在意識の世界に誘導する技術レベルは間違いなく世界一だと思う。
他に誰ひとりとして真似出来ない高度なレベルだから、岩波英知先生のプログラムを受けないままアダルトチルドレンで生きづらさを感じている人は、考慮に入れてもいいと思う。
しかし、超人気があり、料金も高く、根本的にアダルトチルドレンや不安性障害を克服したいと思う人じゃないと予約を入れてもらえない。自分の過去を乗り越えたい気持ちが強い人になら、絶対におすすめできるし、気持ちがない人にはいつまでも一時的な対策をやることをおすすめしたいです。

特に現在は予約が殺到している状況で、岩波先生の技術を一般向けに使わなくなっていくそうです。
私が受けたときよりも技術の進化が著しくなっているので、今受けるしかないかもしれません。

アダルトチルドレンの軛(くびき)から脱するには、結局親の影響下からの物理的、精神的自立しかなかった。生きづらいのも、毎日がきついのも、不安に苛まれるのも、イライラするのも、つまらないのも、抑うつ状態になるのも、自分を見失っていたから。自分を見失ったのは、親の教育、性格、しつけ(俺から言わせればすべて「歪んだ」と形容できる)で、親の一方的なエゴを押しつけられたせい。

親のせいと書いたが、毒親なんかもうどうでもいいと思ったことこそが、アダルトチルドレン克服の近道だった。毒親の責任は確かにある。あるが、親を殺したって、殴ったって、罵ったって、自分が納得しなくちゃ一生、親の軛、精神的抑圧かで生きなくちゃいけない。抑圧された感情解放のベクトルを親の責任へと向かわせると、ある時アダルトチルドレンも抑うつ神経症も解決しないことに気がついた。

毒親はもはや関係ない。すてきな(歪んだ)プレゼントをありがとう。俺はそんなものいらん、自分は自分で生きていくだけだという気概が出てきてから、アダルトチルドレンの各種症状、抑うつ状態が晴れてきた。

親への感情はもはやどうでもいいという感じだ。俺が乗り越えずして、誰が乗り越えさせてくれるんだ。そんな気持になってから、アダルトチルドレン特有の共依存からも離れ、物質的自立、金銭的自立はもちろん、一番重要な精神的自立を成し遂げることができた。

思えば、俺の人生は守りの人生だった。親の言いつけを守ろう、背いちゃいけないという無意識への刷り込みがなされ、精神的に支配されてきた。自分がないから、感情を抑圧して生きてきた。そりゃあ、抑うつ神経症になって当然だった。そう、己と己のルーツを知ることがまずアダルトチルドレン克服、抑うつ神経症・自律神経失調症克服の第一歩だった。

アダルトチルドレンだと自分で知っている人は、その入り口になっているといっていいと思う。なぜなら、親が原因と言うことをちゃんと知っているからだ。さらに分析を進めて、己の今の苦しい精神状態、生きづらい状況になって当たり前なんだと知ることで、俺はどんどん心の枠が広がっていった。枠が広がったら余裕が生まれる。気持に余裕が生まれた。はじめて人生でホッとできた瞬間だった。

問題は、なぜだかわからないのに生きづらい、抑うつ状態が続く人だ。自分がアダルトチルドレンだと知らないと、アダルトチルドレン克服の第一歩ができていないことになる。早く気がついて欲しい。そして毒親の精神的抑圧を乗り越えて欲しいと心底願う。

俺は俺の人生を生きる。誰にも抑圧されない生き方だ。不思議と自分で望む抑圧は、すぐ晴れると気がついた。自分で望む抑圧とは困難、不安なできことのことだ。自らリスクに向かって進んでいく生き方をすれば、心に抑圧された感情がかかっても、すぐ潜在意識から脱けていく。ということは、俺は幼い頃から、毒親の一方的な抑圧を受けてきた。それが世界のすべてだったし、完全な受け身だった。なるほど、ずっと抑圧された感情を表に出さないように生き続けりゃ、抑うつ状態になる。不安を感じやすく、傷つくことにもろくなりやすく、自分という者が保てなくなるわけだ。こういう発見と気づきの度に、心が楽になっていった。

だが、俺一人で成し遂げられたかというと疑問が残る。自分の無意識、潜在心理と直に向き合うきっかけをつくってくれた岩波先生がいたからこそだ。ルーツ分析を支援してくれ、無意識・潜在心理との対話を可能にできる高度な技法を適用・提供してくれた。毒親への俺の歪んだ考え方も正してくれた。親を憎みながら、親から精神的自立ができない自分である以上、ますますジレンマに陥る。矛盾だからだ。共依存状態がさらに俺のアダルトチルドレンの症状と抑うつ状態を悪化させていた。それから解放させてくれたのも岩波先生だった。

俺の潜在意識にヘドロのように溜まりきった抑圧された感情を解消させてくれた。抑圧はその名の通り、ぎゅうぎゅうに押さえつけて表に出ないようになっている。だから、抑圧解消と言っても自分一人の力じゃ難しい。とても感情的、感覚的な世界に浸っていないと、抑圧解放はできなかった。様々な技法を駆使して俺のヘドロを掃除してくれた。だからこそ、親への矛盾した屈折した感情から解放されたんだと思う。

そして、親からの精神的な自立が可能になった。俺は俺だ。いくら歪んだ影響を受けて生まれ育ったとしても、人生は一度きり。あんたらに振り回されるために生まれてきたわけじゃない。そう自分の戦在位意識に暗示を入れ込み続けた。最初は知恵でそう思おうとしていたが、次第に感情に入り込むようになった。感情として言い聞かせた暗示はずっと自分の潜在意識に残る。

こうやって俺は親の精神的軛から抜け出すことができた。その作業が進むたびに、変な不安に襲われる毎日がなくなった。霞が取れたように、自分という存在を認識できるようにもなった。 無感動に近かった俺が感情的に(暴発ではなく、素直な感情だ)なるようになった。笑える時には笑える、感動した時には涙が出る。それまではそんな自分も抑圧してきたのだ。感情が出るってことは、感情的抑圧が晴れてきたことなんだろう。

心に余裕が生まれたことで、極端に走りやすかった俺の思考に柔軟性が出てきた。孤独感もなくなっていった。俺は常に孤独感を抱えて生きてきた。友達に囲まれていても、孤独感は決して消えなかったのに。自己否定感もなくなった。自己肯定感と自信が生まれてきた。勝手に生まれてきたのではなく、おそらく自己肯定感が、俺が行動するごとに出てきたのだ。アダルトチルドレンの頃は、どんなに必死で頑張っても、それが報われることがなかった。自分自身がなかったからだろうと思う。

俺の親を変えようとしても無理だろう。親や他者に期待するのではなく、やはり自分自身が頼りだ。自分があれば、親はどうでもよくなってきた。親の人生の一部じゃない、本当の自分のための人生になることができたと思う。

親がいくら歪んでいても(それに気づいていない毒親がほとんどだからあきらめよう)、影響を受けるのは自分自身の感じ方だ。アダルトチルドレンは親と俺の感じ方の共同作業でなる。親が変わらないとすれば、俺が変わるしかないのだ。小さい頃や思春期は親の歪みがもろに影響してしまうのはしょうがない。だけど、アダルトチルドレンと気づいた以上、こちらの感じ方を変えていく。変えていくことがいろいろな助けや訓練、自分自信の分析と気づきを経て可能になった。

アダルトチルドレン脱出はそういうことだと俺は俺の経験上そう思っている。そう確信している。

だから抑うつ状態にはないし、俺の人生だから「絶対やってやる!」と強く自分を信じている。

神経症になったときの親との向き合い方

 心のトラブルになってしまったとき、よくわかってくれる親なんてそうそういない。なぜなら、親のしつけや考え方のせいが大きくて(それだけでないにしても)、神経症になった場合、子供の心の悩みなど「甘いから」「たるんでる」「しっかりすれば悩まない」「誰だって悩む」「俺はそんなことはなかったのに、お前はなんたるありさまだ」という反応がほとんどだ(俺の生の経験)。だから、悩むのは自分がすべて悪いとなり、孤立無援になる。まだ悩みを打ち明けない方が絶対いい。

  親の割合が少ない場合でも、親は抑うつ神経症・自律神経失調症の苦しみを知らないため、心からわかってもらえることはない。どっちにしても、わかってほしいという気持ちが強いほど、ショックを受ける結果になる。ますます乗り越えられない溝が生まれる。こちらはいっそう惨めになるだけだ。どっちみち、親に神経症の苦しさをわかってもらたって症状が消えるわけではない。でも、生きにくい自分になってしまった以上、ある程度は親にわかってもらいたいこともあるけど。たとえば好きでニートやひきこもりやフリーターをやっているわけじゃないということ。社会に復帰できるまで時間が欲しいと言うこと。いまの仕事は好きでやっているわけではない(神経症にはまると、満足いく仕事はやれない。人と接しないで済む仕事など妥協するばかり)

  立ち直るために結局は心理セラピストやカウンセラーなど心の専門家に相談することになるわけだが、給料をまがりなりにももらっている人は別だが、多くが働いていないから(また学生だから)お金は親頼りという人もいる。どうしてもお金を借りなければならない。でも、ほとんどが反対される。心の悩みなんて自分で直せ、気を強く持てば悩まない、と言うことになる。せいぜい精神科・神経・心療内科にいって薬をもらえ、ということになる。まだまだ日本は、心の悩みにお金を払う、相談すること自体恥なのだ。

  でもあきらめて、いじけて生きるのは一番良くない。現状を変えたいという熱意と意欲、それが難しい人は少なくとも姿勢だけは親に示しておくべきだと思う。前に書いたように、このままつぶれてしまうことが親にとって恐怖だ。俺の親でさえ、なんとしても立ち直って欲しいと思っていた。だから、俺の経験で言えることは、自分の心の弱点を打ち明けるのではなく「強くなりたい」という意欲を見せるべきだ。前向きの言葉には親も納得できる。いじけて言うより、よっぽどいい。親だって、自分の子供が理由ははっきりわからないけれど、生きづらい様子なのはわかる。弱点を抱えているのも感じている。だから「強くなりたい」は親の願望とこちらの願望がぴったり一致する一点なのだ。強くなろうともがいている子供の意欲を削ぐ親ならば、一切縁を切った方がいい。必ずどん底までつぶされるから。でも、そこまで鬼畜な奴はいないだろう。

 神経症でもアダルトチルドレンでも、一番怖いことは、いじけきることだ。いじけた奴だと、同じ悩みの人で、乗り切ろうと頑張っている人から見てさえ「気持ちはわかるけど・・・・・」「もっと強くなれよ」「たるんでる」と思ってしまう。まして神経症の苦しさを知らない人から見たら、言わずもがなだ。頑張ろうとしている人は、なかなかうまくいかなくても、やっぱり応援したくなってしまう。

  わかってもらうことは、現実には甘くない。だから言い方を気をつけた方が絶対いい。どっちにしても、頑張ろうとしなければ、神経症が消えるなんて雲をつかむ話だ。いじける気持ちはホントよくわかるけどね。

毒親からの決別と神経症&アダルトチルドレン解消


親とは一切、自分の意志で手を切った。
いかに毒親の呪縛が、自分の負の精神構造に毒になっていたか、はっきり知覚したからだ。
心身症や抑鬱状態の原因のほとんどすべてといっていいものが、あいつらの教育としつけと家庭環境から来ていたと一本の線でつながったとき、心のもやもやが一挙に晴れた。
と同時にあいつらの抑圧とトラウマがいかに大きいかも思い知った。自分の軟弱性、小心者、視野の狭さ、器量のなさ、人間的小ささ、弱さも。

けんかに強い奴は、自分の弱さを知っている。本当に強い人間はちゃんと自分の弱さを認めている。
強くなるためにはそこが肝心だと痛感した。

俺のアダルトチルドレンや抑うつ神経症・自律神経失調症治療はだいたい3つの時期に分けられる。
大きく分けると不毛の時代と改善の時代、の二つだ。
最初は大学時代に、精神科と心療内科に通っていたとき(自律訓練法もやっていた)
次には社会人になってから催眠療法と森田療法をやっていたとき。
これまでは不毛の時代だった。
最後に俺が解決できたDreamart Laboratory神経症克服プログラムに参加してからは、改善の時代。
そこのカリスマ先生である岩波英知先生の神経症克服プログラム(自己正常化プログラム)でも三つの時期に分けられると思う。
最初は、俺の抑うつ神経症・自律神経失調症の分析とその原因研究。
次に抑圧された感情とトラウマの解放への闘い。
最後はスキルアップ。

どれも俺が無意識に一番望んでいたものばかりだった。
それを提供してくれたのは岩波先生だった。
潜在意識の超専門家で、脳内無意識訴求技術(脳覚醒技術)を開発した凄腕だ。
俺の無意識に抑圧され続けたアダルトチルドレンになる悩みの種を根こそぎとってくれる技術にやっと出会ったと思った。
岩波先生は年齢に比べて驚くほど若々しく、エネルギッシュで、生きる上での心に関するスキルが高度に備わり、揺るぎがないぐらいの自分を持った人だった。
自分が好きだと言い切るほど、自分のスキルを完全に確立していた。

果たして悩んでいる人で、自分が好きだと言い切れる人はいるだろうか? 
俺のことを言えば、好きになりたかった。
裏を返せば、自分には不満で不満でたまらなく、コンプレックスが根強く、またプライドだけは人一番高かった。
プライドが高いから、自分を嫌いと言えなかったが、心の底では大嫌いでたまらなかっただろう。
それにはのちのち気づいた。
そして、自分を好きになりたい、好きだと胸を張って言える存在になりたかった。

自分が好きになるには、自分の能力やスキル、プラス思考というものがなければ、あり得ない。
仮に抑うつ神経症・自律神経失調症の原因とトラウマ処理が完全にできたとしても、自分への信頼や自信はその時点では生まれ得ない。
心も体も思い通りにならなかった人生なのだから、自分を信頼などできるはずがない。
自信が勝手に湧いて出てくることはあり得ない。
やはり自分に満足できるものが身に付いていなければ、ずっとコンプレックスを感じたままの人生になってしまう。

俺が岩波英知先生に出会うまでに、抑うつ神経症・自律神経失調症やアダルトチルドレン克服のためにたくさんのことをやった。
他にスキルを身に付かせてくれるところはあっただろうか? まったくなかっただろう。
ただ悩みを聞き、心情を吐露させるだけだった。
あるいは薬を飲ませるだけだった。

私見だが、神経症の症状には薬物療法はやってはいけないと思う。
それより上の妄想や幻聴が聞こえる症状になったときには価値が出るのかもしれないが。
廃人製造療法として機能している場合もある。
強くたくましく生きるためのスキルは従来の心理セラピーやカウンセリング、病院では身に付くことは不可能だ。
いかに症状を上から押さえ込んで、軽くするかだけ、それが精神医療の限界だと思う。
症状が軽くなっても、それじゃあ幸せを感じない。
生きる実感なんか永遠に得られない。
ということは、親をよけい恨むだけだ。
親を恨むと言うことは、トラウマを再発することでもある。
だから、心のトラブルはなかなか治らないのだ。

克服がいかに難しいか。
とはいっても、俺のトラウマの処理が進んでいくと同時に、とても楽になり、不安にさいなまれることはなくなっていった。
俺はいてもいいじゃんか、と思えるようになった。
要するにプラスの思考ができるようになった証拠だ。
どうにもならない自己コントロールが出来るようになっていった。
いらだちや不安や抑うつの無意識からの突き上げも起きなくなっていった。

親へのこだわり(憎しみ、恨み、愛情欲求、承認欲求)もなくなっていった。
トラウマ整理をする段階では、最高に憎くなった。
いままで必死で抑え込んでいたあいつらへの不満や言いたいことがどんどん解放されたからだ。
しかし、これはいいことだ。
あいつらのこだわりを発散することで、心の毒がどんどん消えていった。
許す、許さないという選択よりも、どうでも良くなってきた。
だから、親を許すか? といわれたら、しょうがないと答える。
起きてしまったことは今更しょうがない。

このサイトで親へ言っていることは、当時を思い起こして書いているので、念のため。
あいつらに関わっても、これからの俺の人生は関係ない。
前へ突き進んでいくだけだ。
毒親は自分が思い通りにならなくなった俺に不満を持っているだろう。
しかし、俺は俺のやりたいことを自由にやる。
それが俺の幸せなのだから。

自分へ信頼がもてなかったのはなぜか? 
存在価値がないと思っていたのはなぜか? 
一番それを感じるのは、やはり人と接したときだろう。
そのとき、一番自分というものが見えるし、コンプレックスを感じた。
そいつがどんな性格の人間だとしても、俺を映し出す鏡になる。
だから、いかに自分が頼りないか、意識しなくても感じてしまう。
そいつがのっている奴ならば、余計落ち込む。
結局、自分がわかるのは、過去の自分を見つめるのと、もう一つ、人と接したときだ。
接したときにあるマイナスのことが感じられる。
だけど、プライドがあり、惨めになるから、それを必死で押し隠そうとしている。
でも、やっぱり心の底では感じてしまっていた。
結局、人よりも(変な意味ではなく)優位に立たなければ、どこかで心にコンプレックスを積み重ねてしまう。

スキルアップとはつまり、対人的なスキルの向上といってよかった。
仮に、トラウマを処理しなくても、完璧に対人的なスキルの向上が身に付いていれば、トラウマもトラウマじゃなくなると思う。
でも、トラウマを処理しないと、スキルを身につけるにはひどく非効率だから、結局はしなくてはいけないと思うが。

「気づけ!」

俺が強く言いたいことは、気づくことだ。
心のトラブルを解決するには「気づき」しかない。
それが心底から気づいたほうが、より効果的なのは言うまでもない。
でも、本やアドバイスだけで気づけるか? 
そんなことで気づいていたら、いまごろ悩んでこのホームページを見ていることはないはず。

気づくにも段階がある。
気づかせてくれる人がいなくてはいけない。
気づかせてくれる力がある人でないといけない。
それに気づくのにじゃまになる障壁をなくさなければいけない。
心の悩みにとらわれているときは、気づくことができない障壁がたくさんある。
視野の狭さなどだ。
あなた一人でははっきり無理だろう(このサイトは神経症やアダルトチルドレンの人が読むことを前提に書いてます)。
気づくにはちゃんと理由があり、それができるだけのプロセスを通らなきゃいけない。
悩みつづけると視野が狭くなる。
だから、いろんなことにチャレンジしても、学者以上に本を読んでも、結局気づけない。

気づけるための、ちゃんとしたプロセスは存在すると経験上強く言える。
もうぐだぐだやって、無駄に時間を浪費するのはやめた方がいいと思う。
俺が受けた神経症克服プログラムと岩波先生を薦めるわけではないけれど、他に俺を改善してくれたものがあっただろうか、と思うと、なかった。
こんなすごい人がいるのかというくらいずば抜けていたし、もし今の苦しい状況から脱出したければ、絶対受けるべきだ(誰でもうけられないこともいっておきたい)。

受ける気力や器量のない人は、もちろん受けなくてもいいだろう。
すごいということは、それだけインパクトがあるということで、また抑圧してきた感情を向き合う覚悟も必要になってくる。
その先には言い様がないスッキリした味わったことのないホッとした感情に包まれるのだが、そこに至るにはそれなりの強い意志が必要になる。
でも、本物に出会いたければ、必ずやるべき。

おせっかいと言われても、受けた人はとても感謝するとわかっているから。
奇跡を起こしたい人は必ず受けろ、40,50歳になってもずるずる悩みたければ受けなくていいし、勝手に苦しんでくれても、俺には関係ない。
今後、あんな人間的に鋭く大きな先生のような人に出会うことはないだろう。
必ず変えてくれる力を持ったすごい人だった。
せめて高校生のときに出会いたかった。

だが、26の時に出会って本当によかった。
あれだけ苦しんだ悩みやトラウマが先生の力で良くなったのだから。
心の底に潜む問題の核心を見つけ出す洞察力には驚いた。
あらゆるカウンセラーやセラピストや医者などの心を扱う人たちの中で圧倒的な力を持っている。
他がなまぬるくてしょうがないほどだった。

岩波先生に出会っていない人はかわいそうだ。
おそらく劇的に良くなることはなく、一生症状とつきあって行かなくてはならないんだろう、と思う。
それは俺にとっても、あり得たことだったから、ぎりぎりのところで助かったわけだ。
逆に出会った人は、幸せ者だ。
(→岩波先生のプログラムはそろそろ一般の人向けのプログラムを受けられなくなるという話がある)


向上心と自主性を持って生きようとしている人にとって、こんなすごい人はいないと思うだろう。
理屈ではなくて、ハートからでしか、悩みは絶対治らない。
今まで治らない人は、結局理屈でしか対処していなかったんだろう。
不安にさいなまれたり、人が気になってしまうのも、ハート(魂)から生じているものだ。
(自分の意志じゃなくても)魂から気合いを入れて悩んでいるのに、 理屈でわかっても何にも効果がないのは当たり前だ。

でも、わかった気になるから、逆に長引かせてしまう。
もちろん理屈がわかっていた方がいいが、心の底からわかってはじめて、それも効果的になる。
ハートからトラウマ解消はもちろん、悩むための大きなヒントをわからせてくれた。
それは理屈じゃないから、圧倒的な力を持った。
だから俺は良くなったのだ。

神経症・アダルトチルドレンは他の人の責任でも、結局は自己責任だ。
毒親の責任で俺は変な風にこじれたが、過去の苦しみや失ってきたものを、そのせいにするいじけた人間にもなりたくないし、そんな自分に腹が立つ。
だから、親のことを書いたこの文章を決別の意味で書いてみた。

俺の親と俺

親は好き? そう聞かれると、憎いという。抹殺したいほどだったからだ。
両人とも俺の人生をめちゃくちゃにした。勝手に産んでおいて、勝手に俺を生きづらい人間に仕立て上げた。
てめえらだけの都合で、俺の人生を破滅一歩手前まで追い込んだ。
もし、育て方に犯罪が適用されるとしたら、息子にトラウマを与え続けたあいつらは実刑ものだ。
あのままのラインで行ったら、いつか俺は爆発をしていたかもしれない。
シャレではないし、ブラックジョークでもない。

抹殺したいと思い続けていた。あいつらがいなくなればすべてが収まるのに、とも思っていた。
恐怖政治のもと、ずっと俺は育ってきた。20を過ぎても、あいつらは俺を影響下におこうとした。
2人兄弟の長男だったが、弟はこともあろうに、さほど負の影響をあいつらから受けずに育った。
年の離れた弟と言うこともあるし、また苦しみを味わっていた俺を見て、弟はうまく回避する術を身につけたのだろう。
といっても、神経症的な要素はもっていると見ているが。

しかし、俺は徹底的に痛めつけられた。まさかに憎くてやっていたわけではないだろう。
すべては、あいつらのゆがんだ人生で得られた精神構造が起こさせていたわけだが。
愛を与えていても、対象である本人に愛が感じられなければ、それは愛じゃない。
だが、 愛のためにやっているんだ、と心底思いこまれていては、本人はたまったものじゃない。
感謝もできないし、突き放すこともできない。ただ俺は心をぎゅうぎゅうに締め上げられて、また自分でも心を締め付けていた。

その結果、ノイローゼという形で大爆発して、生きるか死ぬかの危機的状況にまで落ち込んだ。
一日一日が苦しいだけじゃなく、一番ひどいときには毎秒毎秒が地獄だった。
次々と襲ってくる断続的な不安と、それに伴う心身症で、心だけでなく、肉体的にもぼろぼろに朽ち果てていった。
思わず発狂したくなるぐらい追いつめられていた。

精神的な不安と恐怖、いらいら感に苦しめられたが、内臓の心身症が一番苦しかった。父親が家に一緒にいると言うだけで、すぐに体調が悪化した。
安らぎたいのに、俺の居場所はどこにもなかった。

親という呪縛に、あいつらの前に出ると、がちがちに緊張してしまっていた。
強権的独裁者に生殺与奪権を握られていた哀れな子羊は、当時(物心ついた5歳頃から26まで)、すべての命令に絶対的に服従していた。
大嫌いな親だったが、悔しいことに刃向かえなかったし、刃向かおうという意志すらまったく起こらなかった。
蛇ににらまれたカエル状態で、あいつらに冷たい目で見られたら、がちがちに体が緊張し、固くなってしまった。

もう反射神経だった。有無をいわさずに症状が起きた。
冷たい目が、あいつらのデフォルトなのだから、家にいるすべての時間が凍り付いていた。
部屋に閉じこもっていたときでも、あいつらの物音が聞こえると(夫婦の話し声は聞こえなかった)、ビクビクしていたのを思い出す。
ノックをしないでいきなり入ってくる。
俺宛の手紙を勝手に開けて見る。
引き出しや部屋の隅々までしらみつぶしに調べ上げられる。
エロ本やビデオを隠していても、必ず見つけ出された。
まるで不潔なやってはいけないことのように俺をののしった。
情けないのは自分のプライバシーを親に侵されていながら、まるで自分が悪いかのように思いこんでいたことだ。
毒親にすっかり毒されていたのだ。

母親は普段の冷笑的な態度とは別に、時々ヒステリーを起こす。
これが怖かった。
ヒステリーを起こした時、俺をねちねちと責めあげる。
あるいはめたくそに罵る。
これじゃ、心がどんどん萎縮していくのは当たり前だ。
授業参観の時の、にこやかな友達やクラスメートの母親の笑顔に一つだけ、冷たい眼があった。
何か恥ずかしいことをしたら、ただじゃすまない、という目ににらまれ、なんかい授業参観日に失敗してしまったか。
本を読むとき頭が真っ白になり、つっかえつっかえになってしまったり、いつもはできていた問題も全く解けなくなってしまった。
普段の実力の十分の一以下にまで落ち込んだ。
自己嫌悪した。
本番には全く弱かった。

人前に出したくない母親だったが、逆にしゃしゃり出て、担任に文句を言ったり、一方的だった。
その一方で人の評価を気にする人だった。
俺の門限が少しで遅れると、友達の親にすぐ電話で文句を言った。
すごく恥ずかしかった。
一分たりとも門限から遅れたら許さなかった。
玄関に入れてもらえなかったり、入れてもらっても、必ずはたかれた。
だから俺はとても几帳面になり、冒険も何もできなくなった。
いかにトラブルを回避するか、そればっかり考えていた。
というよりは、おびえ続けていた。

あいつらが俺にしたしつけは厳しくして、強い間違わない子供にすると言う大義名分をもっていた。
物心つかない頃から、徹底的にそれをやられた。
愛情は少ない方が、強い子供になる、と思ったのかどうか知らないが、憎しみでやっているとしか思えない育て方だった。

俺はひょっとしたら、生まれてきてはいけなかったのでは? という罪の意識にさいなまれた。
存在してはいけないとずっと思い続けていた。
いてはいけないから、いつもビクビクしていたし、何かトラブルがあるたびにどんどん萎縮していった。

世の中で自由に羽ばたいていける人は、トラブルがあったら、どんどん経験値を増して強くなっていくという。
今なら俺もそれをできる自信があると言えるが、あいつらの身勝手な法の下では、強くなれるものも、強くなれなかった。
だから、あいつらの目的とまったく逆の不安にさいなまれた何かあったら、まっさきに傷つく人間ができあがった。
当然、あいつらは(特に父親)不満でしょうがない。
あれだけ熱心にした子育てが、全く逆の子供に育ってしまったのだから。

唯一あいつらが成功したことは、ぐれないようにしたことだけ。
不良になるには、それなりのリスクがいる。
でも俺はそのリスクすら避けて安全に生きていた。
だからぐれる勇気もなかった。
リスクを避けるから、当然、経験値が積み上げることができなかった。
それを父親は軟弱ものと決めつけた。

「できそこないめ」と何度言われたか。
「おまえをこんな風に育てたつもりはない」ともいわれた。
どれも俺の心と存在価値を否定する言葉ばかり浴びせかけた。
そのくせ、あいつらはそれをいえば、たくましくなると思っている。
雑草のようにふみつけていれば、強くなると思っていたのか? 
そんな狭い視野で、さかんに俺を踏み続けた。
しかし、雑草でもなく、高貴な花でもない。
ただの弱い根っこと茎を持った貧弱な草だった。
肥料(愛情)もくれないのに、どうやって強くなれというのだ。

俺を襲った断続的な不安で一番苦しかったのは、存在してはいけないという恐怖だった。
そちらのほうだけはすくすく育ち、あいつらもそれに関しては、積極的に肥料を与え続けた。
存在しちゃいけない→自信が持てない→なおさら存在しちゃいけないと思う→さらに自信が喪失、を思春期から永遠ループで繰り返した。
もうなくなるだけの自信も底をつくと、自信のなさだけが積み重なっていた。

すべてを懐疑的に、いつも知恵を振り絞りながら、いかに傷つかないように、いかに自分の底を見られないようにするか、そればかり考えて行動力もなくなっていた。
そのせいで、いい思いなんか子供の時からしたことがなかった。
悪い思いをしないようにだけ考えていつも生きていたのに、悪い思いばかり味わった。
笑えないブラックジョークを俺は地でいっていた。

子供は褒めて育てた方がすくすく育つという統計があるらしいが、賞賛されたことはないし、ぎりぎりに絞り上げて、成長するように強要された。
どうせ、親も褒められたことがなかったのだろう。
褒め方を知らなかったのだろう。
かわいそうな人たちだ(と今思う)。

俺は負の連鎖を切りたい。
だから、あいつらとは同じ育て方をしない。
表向きは健全な家庭というように取り繕っていたかもしれない。
しかし実態は「隠れ機能不全家族」だ!
親の生まれ育った家庭も「隠れ機能不全家族」かもしれない。
そうして子供はアダルトチルドレンになる。その連鎖はやるせない
俺は機能不全家族という連鎖を断ち切ろう 。
すべてを反面教師にしてこれから生きていく。
それが、あの人たちへの俺からの言葉だ。

アダルトチルドレンになった俺だが、自分の子供だけはアダルトチルドレンにはしまい。

親からの感情的抑圧と絶対的影響力で生きづらさが決定づけられる

神経症やアダルトチルドレンという生きづらさが悪化し続けていく最大の要因は何だろうか?
人によっては、いじめとかトラウマとか虐待とか人間関係のストレスとか恋愛、仕事の失敗、上司のパワハラ、裏切り、愛情の不足などいくらでもあると思う。

最大と言ったら、幼少期から唯一絶対の存在である親が一番だと思う。
俺みたいにかつて親が憎くて、同時におびえていた人でも、親を愛している人でも、 少なからずの影響を親から得ている。
得てしまっているという言い方のほうが正しいか。

親が好きでも、育ててくれたことに感謝しても、その親が子供がはまってしまう教育やしつけ(厳しいだけとか愛情を与えないとか) をしてしまった場合、もろに影響を受ける。
愛があるから、子供をちゃんと育てようとするけれど、それが子供が生きるのに不都合な 要素を与えてしまう。
愛があるが故、子は苦しむ。

神経症になりやすいアダルトチルドレンの終わらない悲しみ

毒親のもとで悪影響と抑圧を受けた子供はアダルトチルドレンとなっていく。
アダルトチルドレンになったら自力での克服は困難になる。

アダルトチルドレンは様々な神経症(抑うつ神経症、自律神経失調症、うつ病、適応障害、社会不安障害など)になりやすく、漠然とした生きづらさが年をとっても悪化していく精神的回路が形成されてしまう。
ここまで来ると意志の力では無理になってしまう。

親からの悪影響で感情の抑圧を一生かけ続けるその子供たち

幼少期からの環境が子供にとっては唯一絶対的だから、親の考え方を更にゆがめて受け取ってしまう。
毒親の無意識的刷り込みで、人生とは生きづらいものだと決定づけられてしまう。
親からの暗示は絶対的だ。それを赤ん坊のころからやられ続けたら、そして、それが間違ったものなら、心がこじれるのは当たり前だ。
こうして感情を抑圧したまま、苦しい気持ちをどこにも解放できないまま、大人になってもアダルトチルドレン克服できずに時間が過ぎていく。

トラウマのない子供とトラウマのある子供のその後

のびのびと育てられた子供は、内面的な問題をこじらせ続けることはない。
ストレス耐性もついているし、ブレーキでいう「遊び」をちゃんともっているから、俺らの傷つくことでも、マイナス影響を受けていない。
ましてや成功者と言われる人たちの多くは、傷つくことでも、プラスに転化してさらに進んでいける。
親が厳しく育てたくましくなった人はいるが、厳しく育てたくせに、強く生きる術をも奪った親の子供は悲惨だ。

固定観念が強い親に育てられた子供は、神経質になったり、心理的悪化のドツボにはまったりしてしまう。
親だけが原因ではないし、複合的なものが重なってはまり込んでいくけれど、そのすべてのベースは子育てによる産物だと今痛感している。
その親も子供が生きにくいように願っていて育てたわけじゃない。
まったく反対に生きやすいように育ててくれようとしている。
だからもっともっと子供の心はこじれてしまう。

親は選べない。アダルトチルドレンは運の悪さから人生が始まる

絶対君主的な親もいれば、放任主義もいるし、優しいのもいれば、虐待を加えるのもいる、無関心もいる。
親がいないということもある。
子供にとっては親を選べないから、どんな環境としつけで大人になるのかは、人生をかけたギャンブルだ。
毒親のもとで生まれた子供はそれだけで生きづらさの宿命を背負っている。

アダルトチルドレン、抑うつ神経症になってしまったルーツ分析

俺のことを言えば、絶対専制君主的な父親と冷たい(ように感じる)母親だった。
反発して家を出ることもできず、ずっとその庇護下で、いやいやながら過ごさなければならなかった。
だからよけいこじれてしまった。
いつも一方的だった。
こちらの言い分はまったく通らなかった。
こちらの言い分には耳を傾けず、愛情欲求にもつきはねた。
甘えたいときに甘えられなかった。

両親にどうにかして愛されたい、どうにか受け入れてもらいたい思いを俺はずっともっていた。
今となっては言えるが、あの二人は俺のためを思って、あんな育て方をしたんだと思う。
まさか憎くてやったわけじゃないだろう。
橋の下から拾ってきた子供でもないようだ。
だけど、俺の心に憎しみを生じさせてしまった、下手くそで、とても視野の狭い独りよがりの育て方をしていた。
それを幼児期の頃からやられたのではたまったものではない。

親子代々、その抑圧は受け継がれていく

ここで思うのは、子育ての負の連鎖だ。
たとえば、虐待をうけた子供が大人になり、子供を育てる側になる。
当然、自分が受けた心の傷を子供与えたくないと思うのは当たり前だが、高い確率で子供を虐待してしまう。
そういう有名なデータがあるらしい。
要はそういう育て方しか知らないからそうなる。

だから、俺の両親も(特に父親だが)、同じ育てられ方をされたんじゃないかと冷静に過去を振り返られる今、つくづく思う。
父親の父親も俺は大嫌いだったし、同類なところもあるだろう。
父親は自分の父親にはいい思いを持っていなかったようだ。
俺から見ても 伯父、伯母を見ても、好きじゃなかった。

その一家全体が病んでいたように思う。機能不全家族というやつだ。
そういう育て方を祖父(祖母)はしていたんだろう。
負の連鎖はどこかで切らないと、自分と同じ目に遭う人間がたくさん出てくるだろう。
ただでさえ、移ろいの激しい病みやすい世の中なのに。

アダルトチルドレンが治った鍵は親ではなく自分の無意識の病巣にある

でも、いつまでの親のせいにしてはいられない。
アダルトチルドレンになったのは、機能不全家族を作り上げた毒親のせいかもしれない。
とはいえ、結局苦しんでいるのは自分なのだから、自分の中で解決しなければダメだ。

自分の中には、いわば無意識や潜在意識のドロドロとした負の感情エネルギーが渦巻いている
さんざん親から抑圧を与えられ、ずっと耐えて耐えて生きるつらい感情の行き場は、結局自分の心の底に押し込めることになる。
それに振り回されることで、アダルトチルドレン特有の生きづらさをもってしまう。

だが、自分の中で問題が起きている以上、もう親に文句を言っても恨んでも意味が無いことでもある。
毒親への納得行かない感情をを引きずるよりは、昔々そんな育て方をされたなぁ、と冷静に振り返ることができるようにならないければならない、と思う。
トラウマ、抑圧された感情の処理をしないと、いつまでもアダルトチルドレンのまま、下手をすると神経症になってしまうだろう。

アダルトチルドレン克服は抑圧解放とトラウマ解消から

過去からの抑圧やトラウマの処理さえできれば、過去はちゃんと存在しても、引っ張り回されない。
そうなったら、かなり過去と決別できているということだろう。
なった責任は親でも(他人でも)、治す責任は自分にある。
自分の人生のなのだから、理不尽なことでもやっぱり自分で処理しなければいけない問題だ。
恨んでも憎んでもこればっかりは解決しないし、その時間がもったいない。
誰のための人生かと言ったら、やっぱり毒親ではなく自分の人生なのだし。

毒親が憎くても毒親に依存している最悪の関係

親が嫌いでも、神経症になった大きな原因に親がなっているとわかっていても、親からの依存から脱出できない人がいる。
ある意味、それまでの親子の関係を切らなくては改善もできないというのに、それでもずるずる毒親のマイナス影響下で暮らして、ビクビクしている。

憎い親なのにいつまでも依存し続ける矛盾を抱えている。
家を出ろとは言わないが、環境を変えなければ改善できるものもなかなかできないと、経験で言える。
それは自己責任をベースとした行動だった。
環境を転地することはとても重要だと思う。
勇気は必要だし、リスクはもちろんあるけれど、そればかりは最低限覚悟を持たなくちゃいけない要素だと思っている。
それができたから、俺はすごく改善できた。


自立しなければいつまでもアダルトチルドレンも、各神経症の症状も良くなることはないだろう。

過保護、過干渉の親は不安や恐怖を感じやすい子供を作る

神経症に陥る人の親は極端に過保護が多い。
俺の親もある意味そうだった。
「お前のためにやっている」というのが、彼らの言い分だ。
外で何をしたかいちいち聞かれる。
二十歳を過ぎてもう小学生ではないというのに。
だから羽目を外すことができない。

だから親の目がいつもあった。
親がいないところでも常に親の目を意識していた。
だから自分を出して楽しむこともできない。
いつまでたっても精神的に独立できない。
人の評価をだから極端なまでにおそれてしまう(親の目がある故に良く思われなきゃいけない)
我が家では低評価を人様から受けることはあってはならない教えだった。

生きづらさを与えておいて根性なし、甘いと言ってくる親

一番やばいのは、親が自分のせいで子供が悩みにはまったと言うことをまったく気づいていないことだ。
だから、たるんでいるのは悩んでいる本人と言うことになる。
お前が俺をアダルトチルドレンにしておいて、お前が悪いという理不尽さに耐えなければならないのも辛かった。
親から甘い、根性がないと言われても、実際のそうだったのだから反論しようがない。
だから俺はひたすら抑圧し続けてしまった。
お前が悪いと言いたかったが、経済的にも依存している自分が情けなかった。

苦しんでいる本人は苦しい状況から脱出したいから、何かしようとするけれど、すぐ親に反対される。
彼らは恥だと思うし、たるんでいるから悩みにとらわれるのに、医者や心理セラピストに助けを求めても意味がないと思っている。
お前らのせいでこうなってしまったというのに、自分の意見は絶対だと思っているから、まったく耳を貸さない。

抑圧解放とストレスのはけ口がないまま抑うつ状態や生きづらさが増していく

そんなこんなで親の前では自分をさらけ出せず、憎しみ切れず、中途半端にぐだぐだしたまま、子供たちは心を抑圧していく。
どんどん年をとっていき、まわりとのギャップにますます苦しんでいく。
いいことなどひとつも得られないまま、アダルトチルドレンや神経症の症状は悪化していく。
でも、親はまったく原因を気づかない。
そして、同じことが永遠と繰り返されていく。

環境からして腐っている。
機能不全家族というどぶ沼に体をすっかり浸かっているのに、すべてをすっきり綺麗にしたいと考えているのと同じだ。
それじゃあ永遠に良くなりっこない。
そういう毒親のところに生まれたのは不幸だと思って、自分の力でこれからは切り開いていかなければならない(矛盾だけど、そのためにも無意識関係の真の専門家の先生の力を借りた)

過去には戻れない、ならば未来を変えるしかない

親はよくよく考えれば、すごく厄介な存在だ。
過保護と放任主義は、放任主義の方が、世の中の荒波に強くなれる(愛情不足を感じたら、そこで問題があるけれど)。
俺の親は過干渉で過保護という水牢にどっぷり浸らせておいて、なんで冒険しないんだ、という。
そんな親に生まれついたのは不幸だと思うしかない。
もう過去には戻れないから。
いくら後悔しても後戻りできないのが人生だ。

あなたの神経症やアダルトチルドレンの原因、またはそれを助長させたのは何か、よくよく分析した方がいい。
そしてその環境にあったと気づいたら、すぐ環境を変えるべきだ。
勇気は必要だし、リスクもあるが、このまますすんでいくリスクほどのリスクはなかった。
もう一つは親から小さい頃から与え続けられた抑圧された感情を解放させてやらなければならない。
それも同じ環境にいたのでは、逆に抑圧を受け続ける人生になっていくだろう。

頑張ろう

このサイトを
抑圧からの解放・ 過去との決別・抑うつ神経症、アダルトチルドレン克服解消
の大きな手助けをしてくれた先生に捧げます
そして、毒親が原因で今現在神経症・アダルトチルドレン・抑うつ状態・心の悩みと闘っている人へも

アダルトチルドレンから毒親になって時代のアダルトチルドレンを作っていく人へ

またこれを読んでいる「親の立場」の方もいると思います。
親の責任と書いていますが、自分の責任でもあり、また「毒親」も祖父・祖母から抑圧を受け継いでいます。
その悪しき流れを断ち切らなければ、心の闇がずっと代々続いていってしまうものだと考えています。
実は呪われた一族というものは案外そういうものから来ているかもしれません。

親子関係は愛も毒もすべてが伝わる

あと思っている以上に親の「影響」は良くも悪くもとんでもなく強大なものです。
でもやっぱり親しかいないんだよなぁ、子供の時って・・それが毒にしかならない親でも
機能不全家族だとしても・・その機能不全家族がすべて
それがすべての不幸の始まりだったりします。

アダルトチルドレンの克服ができず苦しむ人、抑うつ神経症、毒親から感情的抑圧をかけられている人
力になれれば!!!

親からの呪いと毒に苦しんでいるすべての人へ

そして最後に・・
`毒親の呪い`に苦しんでいる人であっても
決別できます!
自由に大空へ羽ばたけます。
そりゃあ、毒親というハンデは人よりもある。

しかし、彼らの`呪い`から抜けだした人は、
それでもう親への復讐を果たしている。
そして、彼らに関係なく自分の人生を自由に歩んでいく、それしか希望の道はない!
アダルトチルドレンでものびのびと生きられるようになるのです。