ドラストにオムツとミルクを買いに行ったときのこと。
『お一家族様一個限りでお願いいたします。』
他にも、トイレットペーパー、ティッシュ等にも、全てそんなタグが付いていました。
買い占めの影響は、ここまで来てるんだなあと思うと同時に、
こちらではあまりワタシは書かないようにしていたんですが、
震災後からの今の状況を、改めて悲しく思いました。
悪意があるわけじゃないかもしれません。
本当に必要で、本当に危機感が募って買い占めていらっしゃる方もいるかもしれません。
大切な家族や、もちろん自分のためにも、全てが「悪」とは言えないかもしれません。
だけど。
「節約」「自粛」
矛盾してませんか?
本当に必要な人達まで行き渡らず、
必要以上の物を買い占めて、「節約」と「自粛」をする・・・?
そして、
「節約」や「自粛」という、本来なら善意であるべき言葉の鎖で、
自分なりの方法で日本を元気にしようとしている方、
できることを模索している方々を、
誹謗中傷したり、自らが捕われてうちにこもってしまっている人たちを見ていると、
大変なことが起きた、今なお起きている、これからも背負っていかないといけない今、
「助け合い」が「つぶし合い」になりつつある気がして、
それを想い、悲しい気持ちになります。
ワタシの友人がmixiで転写していたツイートを見ました。
『今日被災者に電話インタビューした。家を無くした40代の女性が言った。「私達は他人の幸せや喜びをねたむほど落ちぶれてはいない。皆さんどうぞ我慢せず楽しい時は笑い嬉しい時は喜んでください。私達も一日も早く皆さんに追いつきます」俺は涙をこらえ笑顔でエールを送った』
数年前、ワタシの母の実家が水害で流されたことがありました。
もちろん、家だけでなく山も道路も家が建っていた土地も何もかも全てを失った被災地の方々と、
ワタシは週末ずっと復旧作業をしていました。
小さい頃から泊まりに行っていた祖母の家、
角を曲がるまで手を振っていてくれた祖母の姿、
お祭りが楽しみだった近所の神社とか、
鮎とりした裏の川。
ワタシでも悲しかったのに、被災地の方の悲しみははかりしれません。
だけど、笑っていたんです。
復旧ボランティアの人に、
自分に割り当てられた物資のお水を何度も「ありがとう」と言いながら差し出し、
「頑張らないと!」と笑っていた。
村を出て新しい地に住み始め、
もうその水害が世の中の人の中から消えた「過去」になってからもずっと、
大雨が降るたび身体に発疹が出たりしていたのに、
それでも笑いながら過ごしている。
「いつかまたあの村に帰りたいな~」って。
今どうすることが的確で正しいのか、
正直ワタシも解りません。
被災しなかった人たちができること。
義援金、物資、それと同じように、北日本が、東日本ができないことを助け合うことが他にもあるはずだと思っています。
消費を促すこと。
今を感謝して生きること。
助け合える人が周りにいることの大切さを改めて知ること。
たくさん。たくさん。
あると思ってます。
そして、この震災を、「他人事」にしないと同じように、
「過去」にしないこと。
テレビ番組が震災の特集をやめても、被災地の方の「今」はこれからも続くんです。
復興されてもなお、傷が癒えるのはその人達の心の時計でしか決められない。
今だけじゃなく。
これからも。
今、誰かのためにいためた心を大切に、
これからも、世界から賞賛を受けた日本人の心を誇りに生きていくこと。
産まれてくる子ども達にも、失われた命の尊さを伝えていくこと。
うまく言えないけど;
ワタシはそう思ってます。
『お一家族様一個限りでお願いいたします。』
他にも、トイレットペーパー、ティッシュ等にも、全てそんなタグが付いていました。
買い占めの影響は、ここまで来てるんだなあと思うと同時に、
こちらではあまりワタシは書かないようにしていたんですが、
震災後からの今の状況を、改めて悲しく思いました。
悪意があるわけじゃないかもしれません。
本当に必要で、本当に危機感が募って買い占めていらっしゃる方もいるかもしれません。
大切な家族や、もちろん自分のためにも、全てが「悪」とは言えないかもしれません。
だけど。
「節約」「自粛」
矛盾してませんか?
本当に必要な人達まで行き渡らず、
必要以上の物を買い占めて、「節約」と「自粛」をする・・・?
そして、
「節約」や「自粛」という、本来なら善意であるべき言葉の鎖で、
自分なりの方法で日本を元気にしようとしている方、
できることを模索している方々を、
誹謗中傷したり、自らが捕われてうちにこもってしまっている人たちを見ていると、
大変なことが起きた、今なお起きている、これからも背負っていかないといけない今、
「助け合い」が「つぶし合い」になりつつある気がして、
それを想い、悲しい気持ちになります。
ワタシの友人がmixiで転写していたツイートを見ました。
『今日被災者に電話インタビューした。家を無くした40代の女性が言った。「私達は他人の幸せや喜びをねたむほど落ちぶれてはいない。皆さんどうぞ我慢せず楽しい時は笑い嬉しい時は喜んでください。私達も一日も早く皆さんに追いつきます」俺は涙をこらえ笑顔でエールを送った』
数年前、ワタシの母の実家が水害で流されたことがありました。
もちろん、家だけでなく山も道路も家が建っていた土地も何もかも全てを失った被災地の方々と、
ワタシは週末ずっと復旧作業をしていました。
小さい頃から泊まりに行っていた祖母の家、
角を曲がるまで手を振っていてくれた祖母の姿、
お祭りが楽しみだった近所の神社とか、
鮎とりした裏の川。
ワタシでも悲しかったのに、被災地の方の悲しみははかりしれません。
だけど、笑っていたんです。
復旧ボランティアの人に、
自分に割り当てられた物資のお水を何度も「ありがとう」と言いながら差し出し、
「頑張らないと!」と笑っていた。
村を出て新しい地に住み始め、
もうその水害が世の中の人の中から消えた「過去」になってからもずっと、
大雨が降るたび身体に発疹が出たりしていたのに、
それでも笑いながら過ごしている。
「いつかまたあの村に帰りたいな~」って。
今どうすることが的確で正しいのか、
正直ワタシも解りません。
被災しなかった人たちができること。
義援金、物資、それと同じように、北日本が、東日本ができないことを助け合うことが他にもあるはずだと思っています。
消費を促すこと。
今を感謝して生きること。
助け合える人が周りにいることの大切さを改めて知ること。
たくさん。たくさん。
あると思ってます。
そして、この震災を、「他人事」にしないと同じように、
「過去」にしないこと。
テレビ番組が震災の特集をやめても、被災地の方の「今」はこれからも続くんです。
復興されてもなお、傷が癒えるのはその人達の心の時計でしか決められない。
今だけじゃなく。
これからも。
今、誰かのためにいためた心を大切に、
これからも、世界から賞賛を受けた日本人の心を誇りに生きていくこと。
産まれてくる子ども達にも、失われた命の尊さを伝えていくこと。
うまく言えないけど;
ワタシはそう思ってます。