手術のためにドバイへ向かった日、胸の奥には静かな不安と、小さく灯る期待が入り混じっていました。長く痛みに向き合ってきた日々が終わるのか、それとも新しい困難が始まるのか。その揺れる気持ちを抱えたまま関空へ向かいました。そこで松崎さんの姿を見つけた瞬間、九年前、ドイツでADRの治療を受けたときの記憶が一気によみがえりました。あの頃と変わらない表情で迎えてくださり、懐かしさと安心が同時に胸に広がりました。旅の始まりに寄り添ってくださる存在の心強さを、あらためて感じました。

 

ドバイの街は、到着した瞬間から強い人工都市としての表情を見せていました。空は乾いた色で、病室の窓から見える昼間の景色は、新しいビルが次々に建ち、工事車両や作業員の往来が途切れることなく続いていました。その人工的なざわめきの中で、一日に五回流れるコーランの祈りを告げるアザーンの音だけが、静かに時間を区切るように響きました。工事の喧噪と祈りの旋律。その対照が、異国にいることをもっとも強く感じさせるものでした。

 

ベルタグノーリ先生と9年ぶりに対面したとき、言葉より先に安心が体に広がりました。落ち着いた眼差しでこちらをまっすぐ見つめ、必要なことを過不足なく伝える姿勢には、短い対話の中にも深い信頼が生まれました。先生の卓越した技術は言うに及びませんが、何より、人としての誠実さが印象に残りました。手術への緊張は確かにありましたが、「この先生に任せたい」と自然に思えたことは大きな支えとなりました。

 

術後、目を覚ましたときの身体は重く、思うようには動けませんでしたが、「終わった」という静かな実感だけは確かにありました。手術の直後から、長く付き合ってきた腰痛は驚くほど静かに消えていました。経過は一日ごとにゆっくりと進み、身体が回復していくのを静かに観察する日々が続きました。


術後滞在したホテルのホスピタリティは、非常に素晴らしいものでした。松崎さんはリハビリがてら私を色々なところに誘ってくれました。51階のラウンジでお茶を飲んだり、隣接するカルフールで買い物をしたり、時にはプールサイドくつろいだり。特に、朝食、アフタヌーンティー、ハッピーアワーと1日何回も足を運んだラウンジのスタッフはみな親切で、いつの間にか彼らと顔見知りになっていました。  

夜になると街は一変し、ブルジュ・ハリファをはじめとした無数の光が模様のように浮かび上がりました。あの夜景は、この都市の力強さと人々の営みを映し出しているようで、胸に残るものでした。

 

松崎さんは都合でドイツに移動するため、私は一人で帰国の途につきました帰りのドバイ空港は夜にもかかわらず不夜城のように明るく、深夜にも関わらずDFSはじめすべての店舗が営業していました。国際的にも著なハブ空港のため、関空とはけた違いに大きく、そして広く、不自由な身体で一人で移動するには不安しかありませんでした。しかし、事前にエミレーツ航空にメディカルアシストをリクエストしていたため、空港のスタッフが車いすで、チェックインから搭乗口まで私をスムーズに運んでくれました。

 

帰国後も、しばらくは身体と対話する時間が続きました。一週間の臥床による筋力の低下と、もともと持っている自律神経失調症のため、帰国直後は歩行もおぼつかなかったのですが、毎日歩き、家事をこなすことで、徐々に回復していきました。術後五週の時点では、趣味の英語のレッスンと週に三度の外来勤務に戻ることができました。三時間ほど座り続ければ術部に痛みは出てきますし、術後の痛みのために痛み止めを使う日もありますが、その量はけた違いに減っており、そのたびに「ここまで回復したのだ」と静かに実感します。退院直後には考えられなかった一キロの歩行も、今では杖なしで進めるようになり、その変化が静かに喜びをもたらしています。術後の痛みと静かに向き合いながらも、数年にわたって悩まされていた腰痛が消えた喜びを感じられるようになった今、あの旅は私にとって再生の始まりだったのだと思います。

 

この回復の過程を支えてくださったのは、言うまでもなくベルタグノーリ先生と松崎さんでした。先生の技術と誠実さが私の不安を消し、松崎さんは、時には厳しさを、時にはユーモアをもって寄り添い、私の歩みを確かに支えてくました。お二人の存在がなければ、私はこの旅を乗り越えることはできなかったと思います。

 ドバイで過ごした日々は、決して簡単ではありませんでしたが、あの地で私は確かに一歩を踏み出しました。再び生きる喜びを取り戻した今、あの旅は私にとって再生の始まりだったのだと静かに感じています。

 

この手記が、お二人への感謝の気持ちをわずかでも伝えるものとなれば幸いです。私の回復の道のりはまだ続きますが、そのすべてがドバイでの時間に支えられています。心からの敬意と感謝を込めて、この言葉をお届けします。