原理講論の堕落論 | 天使との対話

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統一教会の祝福二世であるブッダ(40)が、とあるきっかけで「天使くん」と出会い、その彼と対話する中で得た気付きを書くブログ。

このブログ内での「シン・聖書解説」も
いよいよ最終回としようと思います。
最後は、原理講論の堕落論を
どのようにシン・聖書解説との
整合性を取っていくのか、
という部分に関してです。

その前にまず、「へび」の正体について
あまり詳細に書いて来ませんでしたが、
それについては本ブログ内では
そこまで詳細には扱わないことにします。

ただ、いくつかのヒントとして
以前も「天使の分裂」という記事でも書いたように
「サタン」と呼ばれる勢力の起こりについては
分裂した天使の中でも多数派の勢力であり、
「人間を動物のままに貶めてしまおう」
と考えている存在である、ということは
明らかにしました。

他にももう一つのヒントとして、
兄種族の見てくれが「爬虫類」としてのそれであった、
という内容も大きなヒントになるのではないでしょうか。
この辺の内容から推測しても
「へび」という存在が兄種族のうちの
一部から派生しているであろうことは
容易に創造ができるでしょう。
なので、これ以上については
ここでは割愛することにします。


では話を「失楽園の物語」に戻します。

創世記第3章において、
「へび」と「女」と「人」とが、
善悪を知る木の実をめぐって神の怒りをかう、
というのが大まかな内容になるわけですが、

まず、我々の多くはこの中の「人」がアダムである、
と疑うことさえしてきませんでした。
それでも、「地球星の太初に男と女とへびがいて、
神に戒めを破ってしまった」というストーリーに
おおよそ間違いはない、とも言えます。

つまり、この「男」を原理講論では
便宜上「アダム」と名付けたわけです。
原理講論が書かれた当時において、
それを受け取る側の信者も、まさか
人間始祖と呼ばれる男女の他に、
「へび」どころか「人」がいたなどとは
思いもよらなかったからです。

それでも、これを俯瞰して見てみると
この原理講論に書かれた
「男と女が時ならぬ時に時の欲望をもって堕落した」
という内容もあながち間違いともいえないのです。

なぜなら、「主なる神」の視点からすると、
「兄種族(アダム)と妹種族(エバ)が、
時ならぬ時に、男女としての血縁関係を結び、
結果として神の元から離れてしまった」
という風にも見ることができるからです。


かつて聖書の中の「失楽園の物語」においては、
幼な子でも分かるおとぎ話のようにして書かれ、
原理講論においては、
それをよりリアルな男女問題の比喩として
人類始祖の堕落について説明してきました。

そして、今回の「シン・聖書解説」においては、
その本筋はなんら変わらないのだが、
それら過去の経典によって示されてきた内容を
そのスケールを変え、より具体的に
表現したに過ぎないということなのです。

 

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