愛=嫉妬ではないのか | 書呆子のブログ

愛=嫉妬ではないのか

このエントリーでは、かなりくだけた話をします。
いきなり次元の低い話題になってしまうが、男女間の愛は、排他的なものであって、当然嫉妬心を伴うものではないのか?という疑問について書いてみる。

というのも、夫が私を大切にしてくれることに疑いはないが、嫉妬という感情を彼は見せたことがないのだ。

まず、大学時代ずっと好きだったP君について(もちろん片思いだが)

最近ふとしたことで、大学の教養のクラス担任だった川西進先生が、附属高校の31年先輩だったことを知った。敬虔なクリスチャンで、英語の授業の教材も「キリストの生涯」だった。男子同級生が「信仰のために避妊しないから子沢山なんだ」などと陰口をいうのに眉をひそめたものだが、確かにまじめすぎてとっつきにくい感じがした。
それは同級生のみんなも同じだったらしく、駒場祭ではクラスで演劇「検察側の証人」(クリスティ作)とアメリカンドッグの屋台をやったのだが、後者の屋号は、担任の川西先生を差し置いて、その明るい性格で人気のあったドイツ語担当のJ先生の名をとった「J屋」になったりした。当時、川西先生が附属の先輩だと存じ上げていたら、もっと親しくお近づきになろうとしたのに、と実に残念である。

私が好きだった同級生のP君も、クリスチャンだったので、「英語の授業の参考にしたいので、聖書がどこで入手できるか知りたい」という口実で初めて勇気をもって話しかけたら、「通っている教会にいくらでもあるので一冊あげる」といって小型の聖書をくれた。それは英語の試験勉強の際ももちろん使ったが、今でも私の大切な宝物だ。もちろん、告白どころか、同級生として気安く話すことさえできず、廊下などですれ違うとき、袖が触れ合うだけでその後かなり長く続く幸福感だけで大満足、という状態だった。駒場祭の演劇の演目を決める際、彼が「ひかりごけ」と提案したので、さっそく買って読んだり。ちなみに、クラスの男子で喫煙しないのは彼1人だった(それが、法学部に進学したとたん、ゼミ内で喫煙者0というのを見て驚愕したものだ)。

全然興味ない少年漫画なのに、彼と同姓同名の登場人物がいるからというだけで全巻買って読んだりもした。

自分史にも書いたが、私は入学当初は国文科に行って三島由紀夫研究をしようと思っていたが、才能がないと文学の世界では食べていけないという現実を知り、また、一般教養の見田宗介ゼミにかぶれてしまい(一年先輩の岸本葉子氏が非常に見田先生に可愛がられていたが、相関「社会科学」科の学生なのに経済学の先生に「あのー、近代経済学とマルクス経済学ってどう違うんですか?」と質問したという伝説も聞いていた)、言語と社会の関係を研究したいと思い、教養学部の相関社会科学科か本郷のある学科のどちらに行こうかと悩んでいたが、進学振り分けの説明会でP君に会い、彼もそのどちらに行こうか悩んでいると聞いて非常に驚いた。

結局私は、研究範囲が限りなく広がるのはしんどい、というのと、三島由紀夫と同じ学部に行きたいというのと、その他もろもろの理由から法学部に進学したが、「私は転向した」という自責の念が強く、P君をはじめとする文三の同級生と合わせる顔がないと生協の食堂にも近寄らず卒業し、結局もう26年間彼には会っていない。

こういう詳細を全部夫に話しても、夫は全く興味を示さなかった。また、数年前、夫と旭川を旅行した際、彼の出身高校を一目見たい、とわざわざそこまでレンタカーで連れて行ってもらった時も、全く淡々としていたのである。

ちなみに、旭川に行ったのはこのためではない。小学生の頃愛読していた「氷点」の作者三浦綾子の記念館に行くのが主な目的であった。「殺人者の娘であることが私の心の氷点」というのは、犯罪者の家族まで同罪という連座制を肯定するようで、納得できなかったが、陽子の人間性はすばらしい、こういう女性になりたいと憧れたのである。続編「続・氷点」(島田陽子はこのドラマ化の際のオーディションでデビュー。そのドラマを私は見ていないのに、島田陽子と、徹役の近藤正臣と北原役の田村亮(高広・正和の弟)のファンになって、浅草マルベル堂までブロマイドを買いに行ったほどなのである)では、一度は徹と結婚するつもりだった陽子だが、実母三井恵子(夫の出征中、学生と不倫して陽子を出産。10年位前、万里洋子が主演したドラマで、島田陽子がこの役をやった)の過去の不倫の疑いから北原を強引に問い詰めようとした陽子の異父弟(恵子が戦地から戻った夫との間に出産)の暴走のせいで、北原が交通事故で片足を失うことになり、陽子は北原と共に生きていく決心をする。その決心をさせたのが、陽子が燃える流氷を見に行くという感動的な体験であり、その中に、「あのカラスさえ両足がそろっている」と浜辺にいるカラスを見るシーンがあるために、「続・氷点」の単行本の表紙の絵は、夕日に照らされ輝く流氷の上にカラスがとまっているものだ。(「本など読む暇があったら家の手伝いをしろ」という家庭だったので、もちろん、図書館で借りて読んだのだが、その表紙の絵は強く印象に残っている)
私たちが三浦綾子記念館に入ろうとしたとき、カラスがつつつ…と記念館の前を横切ったので、関連妄想に陥ってしまった。
記念館の近くの河原にも行き、「ここでルリ子が殺され、陽子が自殺を図ったのね」と感慨に耽ったりもした。

小説では、徹も陽子も異母弟も北原もみな北大生であり、訪れたことのない札幌の町への憧れもこの小説を読んだとき芽生えた。京都生まれだが、父親が転勤族で札幌南高校を卒業した夫との結婚もこのことと全く無関係とはいえない。

それにしても、2001年か2002年に連続ドラマ化された氷点(啓造:三浦友和、夏枝:浅野ゆう子 徹:鳥羽潤 陽子役は覚えていない)はひどかった。時代を現代にし、事件後すぐに一家が関東に引っ越してくるのだもの。あの小説はあの時代、かつ、旭川を舞台にしてこそのものなのに、いったいに、この頃の連続ドラマは予算が足りなくてロケができないのか、「動物のお医者さん」も東京の大学を舞台にドラマ化していた(ハムテル:吉沢悠、二階堂役の要潤はなかなかはまり役だった。離婚直後の和久井映見が菱沼役)。だから、清原君(原作では無骨な容姿・性格なのに、高杉瑞穂という柔弱な感じの俳優が演じていた)が東京に就職するのでペットの平九郎をどうするか、という問題が、海外留学するのでどうするか、という問題に置き換えられていたりした。(ちなみに、初めて札幌に行ったときは、見に行きましたよ。北大の獣医学部を。正門から遠かったなあ)

動物のお医者さんについては、以下のエントリーも参照

http://blog.goo.ne.jp/otowa1962/e/2932ac34645d4982e367127bac2af64a


法学部の友達X君について
法学部は女子が少ないのに(700人中25人)私は全くもてなかったのだが、1人だけ、お付き合いしたわけでもないのにプロポーズまでしてくれる奇特な男子がいた。もちろん、何もなかったのだが、私が夫と一緒に香港に行くために2001年2月末で銀行を退職し、香港に行くまでの間に、頼まれて一般の会社員のための法務セミナーの講師をした際、他の金融機関に勤めているX君はそれを聞きに来てくれ(もちろん、彼も既婚)15年ぶりに会えてうれしかったのだが、その話を夫にしても、全く無反応である。私だったら、「その人って、どんな人?どこに勤めているの?学生時代はどんな付き合いだったの?」とか根掘り葉掘り聞くと思うんだが、「昔の友達に会えてよかったね」だけである。

どう思いますか?夫は「どうせこいつが誰かに惚れられるはずなんかない」と私の性的魅力についてたかを括っているのではないだろうか?それとももはや人類愛であって男女の愛はないのか?

まあ、一つだけ救いがあるとすれば、数年前、中国出張の際、香港時代にずっとネイルケアをやってくれたネイリスト(ただし出張時は携帯電話会社に転職していた)阿冬(ハルピン出身男子・23歳)の深土川の家に夕食に呼ばれ、「遅くなったのでホテルをキャンセルして泊まれといわれたので泊まる」とメールしたら、その後、毎日くれたメールを帰国するまでくれなくなったことがある(断っておくが、阿冬は妹さんと二人暮らし)のは、嫉妬してくれたのか、ととれないこともないことだ。