1968年5月25日、イングランド北部の都市、ニューカッスルでの出来事である。労働者階級の町スコッツウッドで、鳩小屋を作る材木を探していた3人の少年が、立ち退きになった空家の2階で幼児の死体を発見した。瓦礫で覆われた床に仰向けで横たわり、口からは血が流れていた。そばには空の薬瓶が転がっており、警察は当初、薬の誤飲が死因ではないかと考えた。目立った外傷は見当たらなかった。
少年たちは慌てて助けを求めた。近くにいた電気工が、無駄とは思いながらも人工呼吸を施した。少年の1人、ウォルターは吐き気を覚え、窓から顔を出して深呼吸した。窓の下に2人の少女が歩いて来るのが見えた。メアリー・ベル(10)とノーマ・ベル(13)だ。姓は同じだが親類ではない。メアリーの方が云った。
「上にあがってみようか?」
2人は隣の空家の窓から入って裏庭に出て、壊れた勝手口から現場の空家に入って来た。階段を上ってきたのでウォルターは制止した。
「今は入っちゃダメだ」
「大丈夫よ。おまわりさんだって私がここにいることを知っているんだから」
メアリーはそう云って、なおも上がろうとしたので、ウォルターは追い出した。
死んでいたのはマーティン・ブラウン(4)だった。母親のジューンが駆けつけた時には、彼女の姉リタ・フィンレーは既に現場にいた。メアリーたちに教えられたのである。
「私がマーティンを最後に見てからそれほど経たないうちに、誰かがドアを叩くので出てみると、例の2人がいました。メアリーとノーマです。『どうしたの?』と訊くと、メアリーが云いました。『おばさんちの子供が事故にあったよ』。その時はマーティンのことだとは思わず、うちの子のことだと思いました」(リタ・フィンレー)
リタはメアリーたちの悪い冗談だと思った。ところが、外で近所の人が手招きしている。彼女は半信半疑で表に飛び出した。
「私が現場の裏庭でレンガにつまずくと、小さな子に起されました。メアリーでした。彼女はまた私のそばにいたんです。そして、こう云いました。『場所を教えてあげるわ』と」(リタ・フィンレー)
検視解剖によってもマーティンの死因を特定することはできなかった。脳に僅かな出血がある以外は問題がなかった。考えられる唯一の死因は窒息だが、首には圧痕がなかった。絞殺の線も否定された。
マーティンはその日、午後3時15分頃に駄菓子屋で飴を買い、叔母リタの家にあがってパンを食べた。外に出たのは3時20分頃である。そして、3時30分には遺体となって見つかった。あっと云う間に死んでしまったのだ。調べれば調べるほど判らない。警察は頭を抱えた。
「マーティンが死んだ翌日、例の2人が家にやって来ました。そして、うちの子のジョーンを遊びに連れて行ってくれるというのです。4人も子供がいて、てんてこ舞いだった私は親切に思ったものです。ところが、メアリーは『マーティンがいなくなってさびしい?』とか『マーティンがいなくなって泣いたの?』とか、しつこく訊いてくるんです。しかも、ニタニタ笑いながら。私は我慢できなくなって『もう二度と来ないで!』と怒鳴りつけました。私にはどうしてあの子たちがそんなこと訊くのか理解できませんでした」(リタ・フィンレー)
マーティンが謎の死を遂げた翌日の5月26日は、メアリー・ベルの11歳の誕生日だった。メアリーはノーマ・ベルの妹スーザン(11)を「お誕生日カードをくれなかった」となじった。そして、首を絞めようとした。悲鳴を聞いて駆けつけたスーザンの父親が、メアリーの手を払い除けた。以来、スーザンはメアリーと遊ばなくなった。
その翌日の5月27日の朝、近所の保育園が何者かに荒らされていた。警察は散乱した教材の中から4枚の紙切れを発見した。それには子供のような筆跡で、なぐり書きがしてあった。
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