さぁ始まりました毎日みなさんの脳内に新しいミューズをはじけさせるETCテレビ、どこよりもなによりも振興的なエンジンを駆動、渋滞を避けるように、死なぬように生きぬように、



思春の真っただ中のように<自己とはなにか>を繰り返す
自分と社会と自分と自分とあの子と親と意義と自分と酒と己と、







話を戻すと

せーのっ 「ゆとりって最高だよねー!!!」

 

ゆとりを持つ つまりは、つまりは、何事にも一つ余裕をもって、未だ使わざる己の余白をスライムのようにやわらかく漂わせ、インスピレーションに準備をさせるのだ



しかしながら用法用量正しく使わないとただの<あまえ>と同義になる
たとえば ゆとってる もはやこの語気は麻倉葉もびっくりなほどの脱力感と矮小感だよね
しなやかなはずのゆとりが、it's only へたれ と化す

そうして情報過多、多様性の奴隷としてウツシヨの残滓と化すのだ

筆者はとっても好きな言葉なのだ いかんせん世に敷衍するイメージが悪すぎる
そもそも同時者たちは <ゆとり>って単語自体にマイナスイメージをもっているんではなかろうか
なんとあちゃらかな情勢だろう

胸糞の世界である

つまり今回のテーマは何かというと
コンセプトがないのがコンセプト というやつである

好きになった人がタイプ 好き みたいな
プライドがないのがプライド みたいな

若干に奇をてらっているのである
毎回おなじみのてらいさんである



設定した題目に沿うとしたら
何かに知悉したプロフェッショナルになるために何かをがんばるわけじゃない

ちょっと意味がわからない



要はなにに基準に置いて、どうなりたいかである
その指標を眺めた時に、自分の望む未来へと今が順調にいっているのであれば
それはそれでそのまま
修正が必要ならば修正すればいい

なにを当たり前なことをトチ狂って言っているのかというと




主体的に生きよう、すべてのことを自分で選択しよう、なにかに依存するのはやめよう

ということにしかならないどんな文でも


主体的とは
対物、対人、対森羅万象において
自分で話しかける、自分で検索する、自分で電車に乗って遠くまで行くということ

選択しようとは
目的のちびまる子ちゃんを見終わった後に惰性でそのままねっ転がりながらサザエさんを見るのをやめようということである

依存とは
彼のことを一途に好きになっている自分を好きになるのはやめようということである
何事においても人に「ほら言ったじゃーん」と言わないことである


そして、自分が最もがんばれる場所、人と会い続けられる環境にしがみつき続けることである



若いんだからやってみよう、以上である