世間は”ばれんたいんでぇ”なる噂が流布
しておるようですが(笑)、この単語が当家の
辞書に無い無無無。は”ばれんたいんでぇ”
なるものを食べたことが無く、どのような
ものか全く想像が付きませぬ。
(↑人生の荒波に”ン 10 年”翻弄されまくって
いる偏屈オヤジらいになると、この程度の
ゴタクは可愛いものでありんす。。)

ということで(?)
パワースポット巡り3 回目であります。

Nth1

今回訪れたのは、投谷八幡神社です。
場所は、曽於市の南、もう志布志市と
垂水市との市境が近いあたりになります。

行き方としては、東九州自動車道の現在の
終点、曽於弥五郎 IC で降りまして県道
71 号線から国道 269 号を南下、さらに
県道 495 号を垂水市方面に 6~7 km
程進むとあります。

Nth2

ここは、霧島市隼人町にあります、かの
鹿児島神宮の別宮です。

因みに、霧島市にあるのに何故、鹿児島神宮
なのか、と言いますと、大昔は薩摩国と
大隅国の境が隼人町あたりにあって
鹿児島側にあったので、鹿児島神宮と。

さらに余談。
大隅国の首都(国府)は現在の霧島市あたり
にあったため、国分市(霧島市)という地名
が残ったそうです。

ついでに。(笑)
今年は、大隅国の建国 1300 年ということで
色々と記念行事が行われるそうです。
( 1300 年、って。。)

Nth3

今日は、良い天気。
ここも、それなりの歴史感がプンプンします。
さて、参りましょうかね!

Nth4

ハイブツキシャク。。?
むー。。。
まぁ、これも歴史の一事実ということですが。

Nth5

また、これかい。。
午後から出かけたので、西日で見にくいの
ですが、かなりの急勾配の下り坂です。
取り敢えず、行くのだ!

Nth6

ずーっと、続くのではないかいな?みたいな
雰囲気の下り坂。。
もはや、慣性重量は止まりませんので(爆)
そのまま、転げ落ちて行きます。

Nth7

昔流行ったミニ四駆なんか、面白いかも。
って、どんだけ下るねんっ!!
歩幅合わないし、かなりキツイです。。

Nth8

な、何とか、到着。(完全に息が上がって。。)
以外に広いですね!
さすが。。

Nth9

谷が深いので、こんな雰囲気。
結構、好きであります。

Nth10

やはり。。
和銅元年 ( 708 年! ) と。
志布志の山宮神社くらいですか。。
場所柄、肝付氏ですが、島津氏の支配下
に代わってからも、厚遇されていた様子。
訪れた記録や短歌が奉納されている
そうです。

Nth11

手水所です。
ここで少々驚いたのは、この手水所、なんと
”人感センサー付き手水所”っっ!!
だったと言うこと。

Nth12

人が近づくと勝手に水が出て、離れると
ちゃんと止まります。
さすが、鹿児島神宮の別宮。
”費用対効果”は、聞かないでください。。
心意気の問題ですからっ!!
(↑そ、そうか??)

Nth13

さて、お参りを。
主だったところはさすがに建て替えられて
いますが、地元に愛されているお宮さん
ですから綺麗にするのも大事ですのでね。

因みに、神功天皇、応神天皇、応仁天皇を
主祭神とするお宮さんです。
(鹿児島神宮が天皇家縁の神社ですので。)

Nth16

本殿はこちら。
そこそこ古そうに見えますね。
朱色がワザトらしくないので良い感じ。

Nth14

1748 年に再建された建物と。
しかし、鹿児島の風雪(雪ではなく火山灰か)
や紫外線・豪雨に耐えるとは、日本の木造
建築は素晴らしいですねぇ。

Nth15

こちらは末社。
当然、もっと古くてですね。。

Nth17

4 つあります。
年代は、万治 3 年 ( 1660 年!) との話
ですが、こんな年号があったことすら
解っていない無無無。でありますので
凄さが今一歩、実感出来ていないという。。

Nth18

ここまで来ると、”凄み”すら感じますね。。
”石化”しているようにも見えますが(笑)
木造であります。

Nth19

こういう環境ですから、吹きさらしという訳
では無いでしょうが、よく残っていましたね。
さて、戻りますか。

Nth20

当然、帰りは登りでありまして。。
ぜーんぜん、大丈夫ですよっっ!
(↑自分に催眠術に掛けないと、目の前の
問題を処理出来ないので。。
かなりの”高等技術”であると、自負して
おりまする。)

Nth21

おおっ!
アレに見えるは、解脱への扉か?!
(だーいぶ、壊れてますが、気にしないで
くださいまし。。)

Nth211

やれやれ。
よく見ると、左側に行けばバイクで社殿の
横まで降りて行けることが判明。
(さ、寂しすぎる。。)
ま、人生、こんなもんで。(笑)

Nth22

神社の目の前には、塚があります。
パッと見には小さいのですが。。

Nth23

1558 年に、都城城主の北郷時久と高山城主
の肝付兼継が戦った時の戦死者を弔う
ものだそうで。

Nth24

しかし、千人って。。
その一人一人にも家族が居たはずですから
キビシイですね。
何のための戦いか・・・おやかた様のため?
御家のため?自分のため?
正直、理解するのは難しいですね。

Nth25_3

大隅半島もまだまだ攻め切れていないので
時間を見て、ボチボチ走ろうかと。
そろそろ、春の便りを探しに行きたい
無無無。でありましたとさ~。