寒いっすね。
ジェットヘルで走ると、文字通り
”刺す”様な冷気が顎や首に。。
ま、眠気覚ましにはちょうど良いか!
(ウソです。。爆)
さて、石橋記念公園~祇園之洲公園
その2でありまする。
玉江橋右横にも、見事な松が。
(逆光、好きなんです。笑)
で、その奧には。。
砲台跡の記念碑です。
横浜の生麦事件(詳細は、ネットで!)
後に、薩摩藩と英国が戦争状態に陥った時
ここに据え付けられていた大砲が火を噴き
沖合の英国艦隊とドンパチかましたと。
しんがりの敵艦を座礁させることに成功した
のですが、その時には既に敵艦隊の艦砲射撃
でここの砲台は壊滅状態だったそうで、トドメ
は刺せなかったと。
↑説明書きはこちら。
死傷者は圧倒的に薩摩藩の方が少なかった
のですが、城下町が滅茶苦茶に。。
これをきっかけに、近代化に拍車が掛かった
とのこと。
中央政府より、薩摩の方が進歩的だったと
いうのは、答えはいつも現場にある、という
ことでしょうかね。
(そうとも言い切れないか。。話深すぎ!)
砲台跡を横目に歩くと、こちらに。
西南の役で戦死した官軍側の慰霊塔です。
政府軍ですから、当然、全国から兵隊が来て
います。戦死者は両軍共に似たような数
ですが、合わせて 13240 人以上とは。。
その内、官軍側の 1270 人以上がここ
祇園之洲にお墓があったそう。
この慰霊塔の背中側(先ほどの砲台の並び)
には青森県人会の慰霊碑もあります。
祇園之洲公園のすぐ横に神社があったので
寄ってみました。
八坂神社です。
手水所です。
左の花みたいなのは、おみくじが結ばれて
いるのであります。
(鈴鳴り!)
ここ八坂神社は、素戔嗚尊(スサノオノ
ミコト)をお祀りする、商売繁盛の神様です。
鹿児島五社の一つで、第二位になると。
創建は永暦元年 ( 1160 年!)より以前とか。
京都の八坂神社を召還しているそうで
幸福の神様としても御利益が。
(当然、キッチリお祈りしました。)
鹿児島で有名な”おぎおんさあ”という
お祭りの時に使用する御神輿が、ここに
奉納されています。
石橋記念公園に戻り、資料館へ。
と思ったら、お休みでありました。
(定休日でした。残念!)
時期を見て、また来ようかと。
春の桜も良さそうなので。
駐車場にこんなのが。
(入場時は気が付かなかった。。)
篤姫が 8 歳の時の、島津の城下絵図。
170 年前です。
なんか、凄い。(笑)
実は、祇園之洲公園の裏山に多賀山公園
があるのですが、急坂にメゲて、バイクを
取りに石橋記念公園まで戻った次第。
(200m がバカに出来ない中年正月腹!)
登ってみます。
実は、お昼時なんかに、お弁当やお昼寝
を決め込む勤め人で結構人気のスポット。
ちょうどお昼でしたので、満車状態。。
この方、おこぼれに預かるのが日課なのか
バイクで近寄っても、逃げる気配も無し。
まったく。。
さて、行きますか!
今日はまだまだ元気であります。
(ウソつけ!バイクでここまで来たくせに。。)
上の階段を昇ると、少し開けた場所に。
お墓がありますね。
どなたでしょうか?
東郷平八郎元帥のお墓でした。
世界の予想を覆して、当時世界最強のロシア
海軍のバルチック艦隊を撃破した話は有名
でありますが、鹿児島市内の出身。
15 歳で薩英戦争に従軍し、英国の強さを
目の当たりにして、その英国に留学した
(このあたりが凄いですねぇ。。)
先見の人。
当時としては長生きの 88 歳で亡くなり
国葬でここに埋葬されたそうです。
島津がここを拠点にその発展を遂げた場所
から、何が見えますかね?
もう少し上にあがれますね。
い、行きますか!
この階段、一段一段の”奥行き”が少ないので
お越しの方は、踏み外さないようにご注意。
一番見晴らしの良い場所に、本人は生前固辞
していたという銅像がありました。
横須賀の戦艦三笠は何回か見学したことが
あったので、ようやく司令官にお目にかかれて
光栄であります。(笑)
ここからの景色は、もう、言うこと無し!
桜島さんだけでなく。。
鹿児島市内もよく見えます。
夜景も綺麗でしょうね!
さて、一度駐車場に戻りまして右奧の階段
を登ることにします。
(だーいぶ、ヒザに来てますわ!)
そんなに段数は無いのですが、先ほどの
司令官へのお目通りが堪えておりまして。
と、言っている間に。。
ここは、東福寺城跡です。
築城は、天喜元年 ( 1053 年 !)で三州
(日向、大隅、薩摩)としては、初めての城
なんだとか。
島津貞久が 1343 年にここを勝ち取って
鹿児島を納める拠点にした場所です。
あんまり古いので、城跡と判るものが無い
のは仕方が無いのですが、雰囲気は充分
です。
城壁の跡でしょうか。
真ん中以外は後年補修されたものかも。
やはり武将たるもの、鹿児島とくれば
この景色をモノにしたかったのか?
今なら、窓を開ければ”絵画”がそこに、と
言う感じですね。(笑)
反対側は、国道 10 号線の吉野公園に上る
鳥越トンネル前の分岐近く。
散々、今まで通っていたのに気付かな
かったですわ。
さて、降りますか。
この景色ですので、分譲マンションも多い
のですが、何せ、目の前なので。。
風の方向は、高度によってまちまち。
予報が反対でも、噴煙が低いとこちらに
飛んできたりします。。
いや、堪能、タンノウ。(笑)
こちらの方は、車が代わっても、同じ場所に。
(同じ体位ですけど、何か!)
この日、風向きは鹿屋方面でしたが、パニア
ケースやトップケースは灰だらけ。
シートやカウル、メーター類は悲惨。。
ガンガン噴火していましたので、”舞う”ので
しょうね。
メットのエアインテークは締めておかないと
目が痛くなります。
さーて帰りますか!
今日のおやつ。
鹿児島は、味噌も醤油も甘口です。
(味噌汁や刺身醤油も甘かったので最初は
ビックリしました。)
で、こちら、かっぱえびせん。
以外に、イケます!
ちゃんと味に統一感がありました。
(もう一個、買おうかな?)
今回の走行で、ようやくオドメーターが
2000 km を超えました。
CB1100 と比べてかなりペースがユックリ
になっていますが、 ま、暖かくなったら
ピッチ上げますかね!
ジェットヘルで走ると、文字通り
”刺す”様な冷気が顎や首に。。
ま、眠気覚ましにはちょうど良いか!
(ウソです。。爆)
さて、石橋記念公園~祇園之洲公園
その2でありまする。
玉江橋右横にも、見事な松が。
(逆光、好きなんです。笑)
で、その奧には。。
砲台跡の記念碑です。
横浜の生麦事件(詳細は、ネットで!)
後に、薩摩藩と英国が戦争状態に陥った時
ここに据え付けられていた大砲が火を噴き
沖合の英国艦隊とドンパチかましたと。
しんがりの敵艦を座礁させることに成功した
のですが、その時には既に敵艦隊の艦砲射撃
でここの砲台は壊滅状態だったそうで、トドメ
は刺せなかったと。
↑説明書きはこちら。
死傷者は圧倒的に薩摩藩の方が少なかった
のですが、城下町が滅茶苦茶に。。
これをきっかけに、近代化に拍車が掛かった
とのこと。
中央政府より、薩摩の方が進歩的だったと
いうのは、答えはいつも現場にある、という
ことでしょうかね。
(そうとも言い切れないか。。話深すぎ!)
砲台跡を横目に歩くと、こちらに。
西南の役で戦死した官軍側の慰霊塔です。
政府軍ですから、当然、全国から兵隊が来て
います。戦死者は両軍共に似たような数
ですが、合わせて 13240 人以上とは。。
その内、官軍側の 1270 人以上がここ
祇園之洲にお墓があったそう。
この慰霊塔の背中側(先ほどの砲台の並び)
には青森県人会の慰霊碑もあります。
祇園之洲公園のすぐ横に神社があったので
寄ってみました。
八坂神社です。
手水所です。
左の花みたいなのは、おみくじが結ばれて
いるのであります。
(鈴鳴り!)
ここ八坂神社は、素戔嗚尊(スサノオノ
ミコト)をお祀りする、商売繁盛の神様です。
鹿児島五社の一つで、第二位になると。
創建は永暦元年 ( 1160 年!)より以前とか。
京都の八坂神社を召還しているそうで
幸福の神様としても御利益が。
(当然、キッチリお祈りしました。)
鹿児島で有名な”おぎおんさあ”という
お祭りの時に使用する御神輿が、ここに
奉納されています。
石橋記念公園に戻り、資料館へ。
と思ったら、お休みでありました。
(定休日でした。残念!)
時期を見て、また来ようかと。
春の桜も良さそうなので。
駐車場にこんなのが。
(入場時は気が付かなかった。。)
篤姫が 8 歳の時の、島津の城下絵図。
170 年前です。
なんか、凄い。(笑)
実は、祇園之洲公園の裏山に多賀山公園
があるのですが、急坂にメゲて、バイクを
取りに石橋記念公園まで戻った次第。
(200m がバカに出来ない中年正月腹!)
登ってみます。
実は、お昼時なんかに、お弁当やお昼寝
を決め込む勤め人で結構人気のスポット。
ちょうどお昼でしたので、満車状態。。
この方、おこぼれに預かるのが日課なのか
バイクで近寄っても、逃げる気配も無し。
まったく。。
さて、行きますか!
今日はまだまだ元気であります。
(ウソつけ!バイクでここまで来たくせに。。)
上の階段を昇ると、少し開けた場所に。
お墓がありますね。
どなたでしょうか?
東郷平八郎元帥のお墓でした。
世界の予想を覆して、当時世界最強のロシア
海軍のバルチック艦隊を撃破した話は有名
でありますが、鹿児島市内の出身。
15 歳で薩英戦争に従軍し、英国の強さを
目の当たりにして、その英国に留学した
(このあたりが凄いですねぇ。。)
先見の人。
当時としては長生きの 88 歳で亡くなり
国葬でここに埋葬されたそうです。
島津がここを拠点にその発展を遂げた場所
から、何が見えますかね?
もう少し上にあがれますね。
い、行きますか!
この階段、一段一段の”奥行き”が少ないので
お越しの方は、踏み外さないようにご注意。
一番見晴らしの良い場所に、本人は生前固辞
していたという銅像がありました。
横須賀の戦艦三笠は何回か見学したことが
あったので、ようやく司令官にお目にかかれて
光栄であります。(笑)
ここからの景色は、もう、言うこと無し!
桜島さんだけでなく。。
鹿児島市内もよく見えます。
夜景も綺麗でしょうね!
さて、一度駐車場に戻りまして右奧の階段
を登ることにします。
(だーいぶ、ヒザに来てますわ!)
そんなに段数は無いのですが、先ほどの
司令官へのお目通りが堪えておりまして。
と、言っている間に。。
ここは、東福寺城跡です。
築城は、天喜元年 ( 1053 年 !)で三州
(日向、大隅、薩摩)としては、初めての城
なんだとか。
島津貞久が 1343 年にここを勝ち取って
鹿児島を納める拠点にした場所です。
あんまり古いので、城跡と判るものが無い
のは仕方が無いのですが、雰囲気は充分
です。
城壁の跡でしょうか。
真ん中以外は後年補修されたものかも。
やはり武将たるもの、鹿児島とくれば
この景色をモノにしたかったのか?
今なら、窓を開ければ”絵画”がそこに、と
言う感じですね。(笑)
反対側は、国道 10 号線の吉野公園に上る
鳥越トンネル前の分岐近く。
散々、今まで通っていたのに気付かな
かったですわ。
さて、降りますか。
この景色ですので、分譲マンションも多い
のですが、何せ、目の前なので。。
風の方向は、高度によってまちまち。
予報が反対でも、噴煙が低いとこちらに
飛んできたりします。。
いや、堪能、タンノウ。(笑)
こちらの方は、車が代わっても、同じ場所に。
(同じ体位ですけど、何か!)
この日、風向きは鹿屋方面でしたが、パニア
ケースやトップケースは灰だらけ。
シートやカウル、メーター類は悲惨。。
ガンガン噴火していましたので、”舞う”ので
しょうね。
メットのエアインテークは締めておかないと
目が痛くなります。
さーて帰りますか!
今日のおやつ。
鹿児島は、味噌も醤油も甘口です。
(味噌汁や刺身醤油も甘かったので最初は
ビックリしました。)
で、こちら、かっぱえびせん。
以外に、イケます!
ちゃんと味に統一感がありました。
(もう一個、買おうかな?)
今回の走行で、ようやくオドメーターが
2000 km を超えました。
CB1100 と比べてかなりペースがユックリ
になっていますが、 ま、暖かくなったら
ピッチ上げますかね!



































