このブログを書いている、パソコンのキーボードが先日
壊れてしまい、そういえば 3 年保証だったよな、と思い出して
マイクロソフトに問い合わせたところ、諸々の手続きの後に
モデルチェンジした新品が送られてきました。
うん、新品は良い!
ニオイが違います!(←そっちかよ!)
さて、CB1100 で天草ツーリング、後半戦であります。
一つ越えると、ここに。
丘の上に建っているのが、大江天主堂です。
天気が良いので、景色も映えますね!
定番の構図で一枚!
投じて建てたとのこと。
30代でこの地に赴任して以来、一度も帰国する事無く、天草で
50 年間頑張って天寿を全うした、ということで地元では異人さん
では無く”偉人”さんです。
(不勉強で名前が判りません。。)
にしても、異国で 50 年間ですか。。凄いです。)
皆さんが礼拝する建物より下に造られている、というのが
お人柄なんでしょうかね。
聖書の中の一節の場面なんでしょうかね?
ルルドの泉ですか。
(撮影のお礼に、マリア様に少額ですが寄付をしてきました。)
とはいまだに信じられませんが。
ここの前で売っていた、1 杯 100 円のオレンジジュースが
猛暑でひからびそうな体にはとても美味でした。
この辺りは、サンセットロードと呼ばれているとおり
夕日が綺麗なことで有名ですが、そんなの見ていたら
帰れなくなりますので(笑)、とっとと。
このまま海水浴に行きたいところです。
(イカンイカン。。)
(とても贅沢な話ですが。。)
暫くサンセットロードを流します。
天草の寺社奉行の中心として、古くからあるそうです。
(天保 2 年といいますから、1616 年。。)
落書きが残っているそうですが(何してまんねん。。)
今回はスルーで。(もっとひどい。。)
目の前が入り江なので、天然の堀ですね。
天草四郎時貞率いる、一揆軍が 3 度に渡って攻めたにも
関わらず落城しなかった、剛の城です。
当時の、幕府軍と一揆軍との攻防の跡が、まだ石垣に
残っているそうです。
結局、天草四郎はここから島原に渡ったと。
(ここから長崎方面にフェリーが出ています。
それに乗って、泊まりで長崎に行けば良かったと
この後、後悔することに。。)
2の丸駐車場まで登ったんですが、炎天下を歩く元気が
無くて、そのまま出てしまいました。
こんな場所に。
↑これは。。
コメントは、差し控えさせて頂きます。。
むー。
近くにイルカウォッチングのスポットもあるようなので
合わせていかが?(何だかな。。)
実は、この頃から、頭がボーッとし始めていて
ゆるりとだるくなり、只流している状況でした。。
中の橋を渡り終えたあたりです。
車が居ないように見えますが、この辺りの前後で
20 数キロに渡り、断続渋滞!
少し休憩しているところです。。
途中の天草市・瀬戸大橋(両端がループになっている橋)や
道の駅は殆ど記憶に無し!
今から思うと、かなりヤバイ状況だったわけです。
この後、給油を兼ねて、休憩室のあるセルフスタンドに
飛び込み、少し休みました。
(スタンドのおっちゃんに、”あんた、顔が青いよ?”
と言われました。外は 36 度。。軽い熱中症だったんだと
思います。)
知らないおばさんが冷やしたタオルを持ってきてくれて
助かりました。
ゆるゆるとすり抜けて、宇土半島の国道 57 号辺りでようやく
流れるようになりました。
スタンドのおっちゃんによると、平日でも朝晩は渋滞する
ポイントの上に、土日ともなれば。。
あげくに、道の駅・宇土マリーナなんかは海水浴場横!
凄まじい渋滞です。
(元々、熊本は何処も混んでいる印象がありますね。)
島原湾の干潟ですね。
この時点で夕方 5 時過ぎていました。
もう 15 年になりますが、いまだに入山禁止です。
新燃岳さんの霧島もこんな状況下。。
流れ出たマグマの総量は、今年の1 月末あたりに噴火した
新燃岳さんの 3 日分に比べると、数分の一とか。
今も、桜島と垂水が噴きだしたマグマで陸続きとなった
大正の大噴火レベルのマグマが、新燃岳地下にとどまっている
ということで。。
スタンバイしているそうで、あっちもこっちも、という状況
になりつつあります。
神の怒りに触れたのは、政権あたりですかね?
天草で何も食べていないことに気付き、宮原 SA で
少々、休憩。
”炙りチャーシュー豚骨ラーメン”であります。
うっ、胸焼け。。
済みません、完食出来ませんでした。面目ない。。
今回の走行距離、約 460 Km。
炎天下のツーリングは、体調管理をきちんとしませんと
死にます、ハイ。皆様も気をつけましょう。。
(↑オマエだよ!)























