公害喘息で苦しみました | 人生の振り返り【貧乏生活から起業して自由を手に入れた】自分史

人生の振り返り【貧乏生活から起業して自由を手に入れた】自分史

これまでの人生経験を「自分史」で振り返ってみることにしてみました。このブログを書く事で、私にどのような変化がおきるのか?試してみようと思います!どうぞお付き合いください(^^)/

元々、身体は、

あまり丈夫なほうではなく、

神戸に住んでいた時も、

体調を崩しがちで、

学校を休むことが時々ありました真顔

 

富士に引っ越してから

 

いじめに遭い、

学校に行くのが苦痛になり、

母親の愚痴を聞くのが苦痛になり、

 

そんな日々を過ごしていたら、

息が苦しく、

咳がとまらなくなってしまいました。

 

咳はどんどん酷くなり、

息が苦しくて、

夜も眠れなくなりましたショック!

 

病院に行ったら

公害喘息」でした。

 

 

富士山があって、雪解け水なので

水がキレイで美味しく、

湧き水もあちらこちらにでていて

水が豊富な街で、お茶が抜群に美味しいビックリマーク

 

その分、製紙工場が多くて

煙突の煙がモクモクと出ていました。

 

私が住んでいた地域は、

小学校の教室には、当時、

空気清浄機が設置されていました。

つまり、空気が良くなかったんですガーン

 

 

喘息には、しばらく苦しめられました。

 

とにかく息継ぎが大変で大変で、、

「もう死ぬ・・・」「死んでしまう・・・」

もう、しんどい・・・。

 

横になって眠ることができないんです。

横になると咳がでてしまう。

喘息の経験がある人には

わかると思います。

 

座って眠るしかありません。

 

追い打ちをかけるように、

辛かったのは、

 

母は横で寝ていて、

父は、時々、

 

「ケンケンケンケン、ウルサイ!」

と怒鳴って、私を蹴りました。

父も、辛かったみたいです。

 

泣くと、余計に息ができない・・・。

だから泣くのを我慢しました。

すると、また咳がでるえーん

 

 

しばらく毎日、病院に行きました。
(因みに一人で行っていました。)

毎日、点滴を打ちに行きました。

腕でなくて、手の甲に針を刺すんです。

 

でも1つだけ、

私にとって楽だったのは

病院での点滴の時間でした。

ゆっくり眠ることができたんです。

”楽”ができた時間でしたニコ

 

 

病気して苦しいのに、
”楽”って何だろう・・・。

学校に行かなくても良いし、

蹴られる心配もないキョロキョロ

 

ただ、病気で苦しい時に

優しくしてもらえないのって

かなり辛かったですえーん

 

今まで感じたことがなかった

”怒り”の感情が芽生えて

しまいました・・・。

 

 

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