日本軍の攻勢計画『帝国国策遂行要領』は、その第4段作戦の半ば迄を達成していたが、一方で緬甸の印度方面軍以外は一旦攻勢限界を迎えつつあった。海軍の2つの機動艦隊の燃料と弾薬が前線で不足を来し始めていたからである。


1日、蘭印ではデリに第16軍が上陸した。クーパンの敵戦力が1個大隊程度である事を偵察で察知した日本軍は軽油の揚陸を待たずにこの地も4日には攻略、チモール島全域が日本軍の手に落ちた。


大陸では1日、大理の国民党軍5個師団を中支方面軍が撃破した。国民党軍残余は国境を越えて緬甸に撤退していった。4日、日本軍は引き続きミイトキーナを攻略、7日にはマンダレーを包囲していた英印軍2個師団を逆にバーモで包囲殲滅していた。この間、ミイトキーナは英印軍に奪還されていた。


然し4日、中部太平洋方面で日本軍がパルミュラを攻略した同日に連合国海軍の反撃が開始された。作戦名『フリントロック』と命名されたこの反撃計画はイギリス軍も加わった雄渾なものであった。第1撃は合衆国空母任務部隊による日本軍の海軍根拠地クェゼリンに対する奇襲攻撃とされた。パールハーバーの意趣返しを企図したのである。第2撃はイギリス海軍によるビルマ領ラングーンの日本軍飛行場に対する戦艦による艦砲射撃戦であった。厄介極まり無いジャップの空母部隊を屠り、ビルマ後方を叩く事により連合国は太平洋とインド洋の各々で一挙に戦勢の逆転を狙っていたのである。作戦の幸先は好調だった。ハワイとニューカレドニアのヌーメアから出撃してエリス諸島付近で合流した後にメジュロ近郊迄進出して艦載機を発進させる予定だった合衆国空母任務部隊は予定通り合流に成功、戦艦2、空母5、重巡4、軽巡5、駆逐艦20の堂々たる陣営でクェゼリンに進撃していった。


4日黎明、第17任務部隊の空母レンジャーとワスプから発艦した艦載機によるタラワ奇襲により作戦は幕を開けた。メジュロに来攻した合衆国艦隊にパルミュラに唯一の機動地上戦力たる第7師団を送ってしまい混乱した日本軍の隙を付いた攻撃は成功、97式大艇全機と共にタラワの飛行場はその機能を喪失した。然し合衆国軍はこの時、大きなミスを犯していた事に気付いていなかった。この攻撃は同方面の日本軍各根拠地に警報を発する事となってしまったからである。


初動でパニックを起こして出遅れた日本海軍だったが、反撃作戦は直ちに実行された。先ず空母部隊がメジュロ環礁の北側から夜陰に紛れて出撃し、米機動部隊と間合いを置いた後、艦載機による総攻撃を実施した。重巡ウイチタのCXAM対空レーダーが機影多数を探知したのは15分前の事であった。

『来たな、ジャップの雷撃隊だ。ベティやネルを艦隊に近付けるな!』フレッチャー少将の命令で空母エンタープライズ、レキシントン、サラトガからF4F3戦闘機隊121機が発進を完了していた。然し彼等は上空からほぼ同数の零戦に攻撃され、全機が撃墜破されてしまったのである。第1撃で逆に奇襲を受けた米艦隊は、空母ワスプ、レンジャーが27機の日本機撃墜の代償として失われた。


旗艦レキシントンに座上するフレッチャー少将は索敵で日本軍空母打撃群を発見出来ていなかったにも関わらず艦隊に当初予定通りにクェゼリン攻撃を下命していた。結果、残る3空母レキシントン、サラトガ、エンタープライズも日本軍の餌食となり南冥の海に沈んでいった。然し日本軍の損害も大きなものとなった。航空隊の実に半数を失ってしまったのである。陸軍ならば全滅判定である。不幸中の幸いとして本土での艦載機搭乗員の訓練は順調だった。それでも機材の生産と前線への搬送には数ヶ月を要するだろう事は誰の目にも明らかだった。


この時点で小澤艦隊司令長官は決断を迫られる事となった。残敵たる米水上打撃群を手元の第1機動艦隊水上打撃群で叩くか否か、珍しく彼は迷っていた。その心の内に分け入ってみよう。選択1は叩く、である。手元には戦艦1、巡洋戦艦4、甲巡6、及び、1個水雷戦隊がある。空母打撃群からの報告を精査するに敵は戦艦2、重巡4、大型軽巡5、駆逐艦多数の勢力である事は判明している。勝てる。負けはしない、と彼は確信していた。然し彼我の戦力は拮抗している。選択2は待機である。負けはしないが最低でも貴重な巡洋戦艦を傷つけてしまうリスクが高かった。今時大戦は日本海海戦を10回繰り返す様な完勝を続けなければならない、と彼は考えていた。艦載機が勢力を維持出来ていれば雷撃隊で戦艦を屠り、味方の戦艦が敵巡洋艦を巡洋艦が駆逐艦を叩いて完勝に持ち込む事も可能だっただろうが、既述の通り既に艦載機にはその能力は残されてはいなかった。


予想通り米艦隊は撤退を開始した。雷撃で船足が落ちていた空母を沈められてその艦隊速力は速まっていた。小澤艦隊司令長官は全軍に待機を命じていた。空母打撃群艦載機の勢力が回復した暁には必ず残敵を叩く事を彼は誓っていた。


一方で、この艦隊決戦の最中、イギリス任務部隊がラングーンの沖合いに到達していた。連合軍艦隊のツープラトン攻撃は未だ終わってはいなかったのである。