在日スウェーデン大使館にて、スウェーデンのアウトドアブランドを紹介するイベントがあり行ってみた。六本木一丁目から歩いて数分、「きれいな東京」のど真ん中に大使館はあった。
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開場直後の朝10時半前に到着したが、オーロラを疑似体験できるというプラネタリウム企画の注目が高かったせいか既に長蛇の列。11時前には入場するにも長蛇の列…という事態に。アットホームな雰囲気を大切にアットホームな人数で行おうとしていたイベントだったようで、現場はさぞパニックだっただろうと気の毒になるほど。
また集まった人たちの服装、雰囲気から感 察するに、今いかにスウェーデン…北欧に魅力を感じる人が多いかを改めて感じるところとなった。

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ともあれ目玉のひとつであった、トナカイ肉を食すことができた。このホットドッグの色彩にもどこかスウェーデンのポップさを感じる…ような気がする。
ねこぢるという漫画家がいる。
かわいらしい猫のキャラクターが主役の漫画で、手書きの丸字で描かれるセリフは残酷でえげつないシーンの連続。
斜に構えて世の中を見るのがお好きだった時期の自分でも、底知れない深い闇を感じて「うわぁ…」とドン引きしてしまったのだが、真っ当な人間としての正常反応ではある。と思う。

その作者は若い女性で近親者が語るに、社会に溶け込んで生活を営むには少々「繊細過ぎた」ということだそうで、実際に31歳の時に自ら命を絶つという形で人生に幕引きをした。当時15歳の自分には理解するには難しい闇で、少なからず動揺し、混乱したと思う。10代の自分の中にも多分に漏れず嵐が吹き荒れていて、生き死にという表裏一体の強いエネルギーに揺さぶられて「死にたい」という気持ちに振り子が触れることはたくさんあった。
それでも作品や"事件"から伝わるねこぢるの精神状態、または死生観、その「死にざま」は決して自分が望んだり、または憧れたりする境地では到底なく、それはただただ「恐怖」だったと記憶している。

いつしか自分の中の嵐はおさまっていて、気づけばねこぢるが世を去った年齢を過ぎていた。
自宅に眠っていた、自身を猫のキャラクターに擬して描かれたエッセイ漫画ぢるぢる旅行記インド編を読み返してみた。

ぢるぢる旅行記 (インド編) (Bunkasha comics―Manga Aloha! se.../ぶんか社

¥700
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ねこぢるが夫の山野一と訪れたインドでの旅行記で、現地での過ごし方、出会った物や人への接し方、感じ方などに触れることができる。嗜好、その時々に選び取るもの、そういうここまごまとしたものからこの世界にどのような重みをもって存在していた人なのかを少しはリアルに感じることができたと思う。
がしかし自分個人としてインドの安宿に泊まる旅行は選択しないだろうし、マリファナ入りのラッシーを飲もうとは思わない。それはいいとか悪いではなくて、自分の好奇心の指向が彼女と単純に違う、全く別の人格だということの確認である。ただし、作中での人間とのコミュニケーションにおいて彼女の受け答えは常識的で、むしろお節介こそ焼かないがかなり気を遣うタイプのようには見受けられた。

作品の共同作成者でもあったねこぢるの夫、山野一は妻亡きあとにも作品を引き継いで執筆を続けていると見知っていた。傍目ではそれは亡くした妻への、または置いて行かれた自分への慟哭のように思えた。
つい先日、その山野一が再婚し、授かった双生子との生活を描いた漫画そせじ(1)を出版していたことを知った。
そせじ(1)/作者不明

¥価格不明
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出版に至るまでのインタビューでは、このように語っている。

"目の前の義務をただ淡々とこなす毎日は精神に変化をもたらします。過去や抽象的なもので占められていた頭が、具体的 現実的なものに書き換えられていきます。膝に子守ダコができ、体はへとへとでも不思議と心に清々しいものが生まれます。どう見ても父親に向いてない中年男が、それでもどうにかその責務をはたす中年男に変わっていくのです。それが漫画家という職業にいいのか悪いのか分かりませんが、とりもなおさずそれが今の自分です。"

この言葉を読み、ああこの人の慟哭は終わったのかもしれないと思った。
ねこぢるは死に、山野一は生きている。ついでに私も生きている。
山野一は決してねこぢるを忘れはしないだろうし作品も続くだろうけれど、生々しさは消えていく。
見えている風景は移り変わっていき、いつまでも同じ場所にはとどまってはいない。


フィギュアスケーターの中野友加里が著した、ソチオリンピックシーズンを前に現役選手にインタビューをする本がある。

トップスケーターの流儀 中野友加里が聞く9人のリアルストーリー/双葉社

¥1,620
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作中、引退後プロになることもなくすっぱりとフィギュアスケートを辞めた中野友加里が、彼女の看板だったドーナツスピンができないことを明かす。筋力が衰えて、もうあのポジションが取れないのだと。その話を聞いた対談相手の小塚崇彦が「あの名スピンが失われたなんて…」と嘆いていたのが印象的だった。

今回観たMr.BIGの武道館ライブのハイライトは、何といってもPat Torpeyのドラムプレイだった。



Pat Torpeyがパーキンソン病に侵され、もう「通常の」ドラムプレイができないとのニュースは衝撃だった。
これまでYouTubeで見ていたライブでのドラムソロ、緻密かつ情報量多めなドラムとそれに乗せて歌うビートルズのアカペラは美しくて(歌もうまい)いつか生で観に行けるのを楽しみにしていた。そして今回チケットを手に入れることができてとても嬉しかった。

当日、サポートドラマーの横で笑ってタンバリンを叩くPatの姿があった。繰り返し紹介されるPat Torpeyの名前、観客も大きな声援で応える。中盤でPatがスティックを握り、サポートドラマーと交代してドラムセットに座るとひときわ大きな歓声が上がった。戻ってきた!と言わんばかりに嬉しそうにバスドラムを両足でドンドン鳴らし、くしゃっとした笑顔に胸がつまって苦しかった。
バラードのJust Take My Heartを本当に幸せそうに叩くPat、しかしやはり誰が見ても一目瞭然な彼に起こっている「何か」を感じて「失われたドーナツスピン」を思い、それでもハッピーに響く歌に包まれて泣けてしかたなかった。