「J大学は、あくまで現地人の手による復興を支援している。それに対し、W大学側は自分達の実績・名誉のためにやっている」

端から見ればくだらない学閥の対立である。はるかカンボジアの地まで来てこんなくだらんもんを目の当たりにすることになるとは・・・・・・・

僕が参加していたのが、J大学を筆頭とする調査団だったのだが(この中の建築部門でN大学として参加していた)、同時期にW大学の建築部隊が全く別組織として現地に入っていた。

たしか・・・、J大学のバックが文部省(当時)、W大学のバックが外務省(当時)、だったと思う、逆だったかもしれないが。

そして、少なからず、場面場面でW大学隊の悪口大会が繰り広げられる。おそらくW大学隊もJ大学隊のことを言ってたんだろうな。

同じ日本人同志がすぐ近所で調査をしてるにも関わらず、双方挨拶はおろかコミュニケーションもない。

当然ながら、日本のアカデミズムの縄張り争いなど現地カンボジアの民にはなんの関係もないことである。

それが、現地の民に伝わっていたのかどうかはわからないが、そんな対立を持ち込むことに羞恥心をもたない、アカデミズムの無神経さと傲慢さに辟易した。

当然ながら、そんな空気は少なからず僕をうんざりさせ、やっぱり俺は学者にゃなれんわ(なる気はなかったが)という思いを確信させる一因にもなった。

隊の中でさえ、微妙な力学が存在し、名誉欲まる出しの学者はいた。だが、団長さんはあえてそれを黙認しているようだった。

ゆえに、遺跡はすばらしく、現地の食事もおいしかったが、雰囲気としては苦痛の連続だった。そんな中で、僕に某国立大学の先生が親しく声をかけてくれた。35歳にして助教授、今にして思えばかなり優秀な先生である。

その先生は、個人の能力もさることながら、なによりも『人格』を重視していたし、なまじ学者になってしまうと、世間知らずで偏った人間になってしまうことも熟知されていた。

そして、隊に渦巻く、世間知らずに根付いた、非常識、傲慢さにうんざりしていた。ゆえに僕と波長があってしまったようである。

その渡航後、その先生は隊から離れ、独自で活動されている(時折メディアに登場している)。

J大学、W大学、ともに全国的に有名な東京の私立大学である。ちなみに僕のN大学も国的に有名な東京の私立大学だけど評価はJとWにかなわない(笑)