社会に出て、もっと厳密には大学3年になって、とてもうれしかったことがある。
時間割から【体育】が消え去ったことである。
勉強ができない奴は(なぜか)人気者、運動ができない奴は笑い者。
この構図は6・3・3・の12年間、つゆぞ変わることはなかった。
それとも、単の俺がそういうキャラだったからか?
いや、他の運動オンチもみなそうだった、体育の時間はたいがい笑い者・邪魔者にされた、ひどい時は「お前のせいで負けた!」とか言われた。先生にフォローされた記憶なぞない。
僕は、【体育】の意義は、肉体の健康維持のみならず、チームプレーを教えることにある、と考えている。ひいては、調和したチームプレーこそが勝利を導くことを体得させることにある。
ではチームプレーとは何か?
単に付和雷同を教えることではない。まして、馴れ合いを教えることでもない。
ルールの下に適材適所を配置し、全体としての最大の結果を上げることを教えることである。
適材適所を実現するためには、一人一人の長所と短所を見抜く必要がある。
長所を活用し、短所をフォローすることで、『負けない組織』を作ることができるのである。
学校教育の中で、それを唯一教えることができ、その根幹の思想を教えるのが【体育】なのである。
鷹揚かもしれないが、そのプロセスを得て得られた思考回路が、遠い将来の『戦略・戦術』思考、ロジカルシンキングの基礎ともなりえるのである。
ガキ大将が英雄になる場でも、運動オンチを笑い者にする場でもない。
だがそれを放置して、教師としての職能を放棄している無能馬鹿無知無教養不勉強体育教師のいかに多いことか・・・
子供達が元気に走り回っていてくれたらそれでいい・・・
馬鹿言ってんじゃない!それなら原っぱがあれば十分なんだ!学校も教師もいらんじゃないか!
というような、僕の観点からすると、日本の【体育】は本当にお粗末と言わざるえない。
ルール・戦術・戦略・勝ち方、何一つ教えられない。これは、日本の【体育】は理性と知性を育むことができないことを意味する。
日本のスポーツがいまひとつ強くなれないのは、肉体的差異のせいではない、【頭】を使わないからだ。
どうやったら勝てるのか、どうやったら肉体的差異を克服できるのか?という戦略・戦術思考ができず、前近代的根性論から脱皮できないからだ。肉体をコントロールするのは強度の理性と知性に基づいた強靭な【精神】なのだ。
さらに、【体育会系】と呼ばれる世界に行けば、悪しき軍隊式の意味のわからん上下関係と、それを盾にした理不尽が横行する始末である。なぜラグビーが英国では「紳士のスポーツ」と言われるのか?彼等は考える知性を持ち合わせていない。
こんなこったから、Jリーグは高校生の放課後ヤンチャサッカーから脱皮できないし、大学体育会系学生の度重なる不祥事が続いたりするのだ。
少し話がでかくなりすぎたかな?