老婆心ながら・・・いや爺さんだが・・・
私が若い子に時々聞かせる、中国の逸話がある。
「漁師の父親と三人の息子」のお話。
これだけで、「あ、あれか」と思った人もいるだろう。私はこの話が大好きである。
昔、中国にひとりの勤勉な漁師がおりましたとさ。
彼は生業の漁業も順調で、3人もの息子を溺愛しておりました。
一番溺愛されたのは長男。
その父親は長男に、釣った魚を食べたい時に食べたい分だけいくらでも与えました。
次に可愛がられたのは次男。
その父親は、次男に自分の釣竿を与え、魚を自分で釣る方法をきちんと教えました。
次男は、自分の食いぶちくらいは自力で釣る方法を覚えました。
残念ながら、あまり可愛がられなかったのは三男。
釣った魚は長男に与え、自分の釣竿は次男にもたせ、何も与えるものがないので、
父親は、釣竿を作る方法だけを教え、それを使って勝手に自分で魚を採らせました。
やがてこの3人の息子は大きくなり、それぞれ家庭を持って独立しました。
それから数年後、寿命を迎えたこの父親は死んでしまいます。
その結果は・・・皆さんのご想像通りw
魚をもらえなくなった長男の家族は、飢えのためにあっという間に死んでしまいます。
魚を自力で釣ることができた次男家族も、使っている釣竿が壊れると魚を釣ることができなくなり、しばらくすると飢えの為に死んでしまいます。
父親から何も与えられなかった三男は、自力で魚を釣り、壊れた釣竿を自力で修理し、あるいは森から材料を集めて新たな釣竿を作り、家族に食料を運び続け、末永く幸せにくらしましたとさ。ちゃんちゃん。
何が言いたいのかというと・・・・
今の「金でも食料でも、欲しい物は何でもあげます」的な復興支援が、果たして本当にいいのか?ということ。
もっというと、欲しがってないのに「あれをあげます」「これを送ります、使ってください」みたいな、相手の意思を無視したプレゼント攻撃が果たして彼ら被災者の為になるのか?
支援物資が余ってるとかいうニュースはご承知の通り。もちろん届かないところもたくさんあるのが問題なのだが、ひとまず最低限の水や食料が手に入った彼らに、今本当に必要なモノはなんだろう?
今はいろんなモノが届けられてある意味幸せかもしれないが、我々国民の支援への関心が薄れたとき、あるいは他県(たとえば関東)で大きな震災が起きて、自分たちも東北支援どころではない、あるいは全国の関心が東北から他の場所に移り、支援物資がプッツリと切れてしまったとき・・・・彼らはどうすればいいのだろう?
毎日もらえてた魚が、ある日突然もらえなくなったら・・・それからどうやって生きていけばいいのだろう?
そこまで考えた「本当の支援」っていうのを我々は考えなければいけないのではないのか?
ビックバナナ(海外の人は日本をこう呼ぶそうです)の、首下から胸あたりを大きくえぐられた日本列島。
まだまだ傷が癒えていない東北には今でももちろん大きな支援が必要だと思うけど、そろそろその傷跡をちゃんと見て、まだ薬が必要な状態なのか、ガーゼを当てて包帯すべきか、風に当ててかさぶたを乾かす時期か。あるいは他にまだ薬を塗ってない傷がないのか?を冷静に吟味する時ではないのか?
目立つ傷だけにむやみやたらにいつまでも薬を塗り続けても、結局は無駄になるだけ。あるいは逆に傷口が乾く事なく炎症起こすかも。