今までの人生いじめられたのは2回かなと思ってます。
1回目は幼稚園年長。
運動会の組体操で別のクラスの子と組んでいたのですが、その組体操の時に毎回つねられたりしてました。
当時は「悪意」がわからない純粋な子でしたので、「なぜそんな事をするのか?」「どうしたらいいのか?」わからずとにかく耐えてました。
それを後ろからみていた同じクラスの子が怒って先生に報告。
「悪意」がわからず、悪いことであった事がその時にわかり明るみに出た恥ずかしさで泣いた覚えがあります。
嫌で我慢してたから泣いたとまわりは思ってたようですが違います。恥ずかしかったんです。
それくらいその行為が理解できない事だったんです。
本当に当時はよくわからなかった。
これ、低学年までの子でいじめられてるのに本人が気づいてないというか心配しても大丈夫という子の心理かなと思います。
「悪意」への対応というか理由なき人への攻撃の気持ちを持ってないので理解できず過ぎ去る事を待つんです。
親としてはその行為みたら腹立たしいですよね。
いまだに母がその話したまにします。
私からすると汚点の感覚。
小さいうちはそれくらい大人と子の人への関わりの感覚が違うと頭に置いとくべきだと親になり振り返り思ってます。
②回目のいじめは高校1年生でした。
当時3年の女子から暴言とか嫌がらせされてたかな。しょうもなくて記憶あいまいですが。
まぁわがままで、誰かをいじめないとだめな人だと私もまわりもわかっていました。
1年の私は3年の先輩なんて半年でいなくなるやつ。
ましてや競技では私の方が上でしたし
しょうもない人と認定していました。
先生や親はいじめで私が悲しんでないかヒヤヒヤしていたみたいですが、動じずでした。
ある程度人格ができていたので自分の土俵はもってましたし
何より一つ上の先輩方は優しくて私も大好きで懐いてました。
その3年が男子部に私の悪口を吹き込んでましたが、2年の先輩がそんなことはないよと裏でちゃんと弁明してくれてたんです。
集団でではなく個からの攻撃だったのでスルーできたのかもしれません。
その人をどうにかしたり考える事よりもやるべき事は決まってましたしね。
「悪意」は私のせいではない。
そんな経験から「嫌われる」
という事を気にしない人になりました。
昔はママ友に「嫌われる事こわくないんですか?」
と聞かれたことあります。
同調圧力のかからない私に不思議に感じたのでしょう。
「嫌われるのは平気。でも迷惑をかけるのは嫌かな」
と話したの覚えてます。
嫌う人はただ私が歩いてるだけで嫌うもので
背が高く目立つ方の私は学生時代はファンもアンチもいたので私でなく相手の捉え方や人格、立場で「嫌い」になるだけのもので私がどう立ち回ろうが「存在」は私のものである。
こんなんだからメンタル強いと言われます。
強いというより楽に生きたいだけなんですけどね。
ふと、仕事で銀行待ちしながら頭の中をアウトプット。
流行った「嫌われる勇気」は読んだことないのでどんな事書いてあるのか気にはなってます。