死刑をやめる理由は、とてもたくさんあります。私が数え上げてみるとだいたい大きく分けて5つかなと思うので、まず、その5つについて書いてみます。
1 人類の文化的進歩~「死刑は究極の人権侵害」
死刑は、人の生命を国が無理矢理奪って殺してしまうことですから、死刑になる人に対する究極の人権侵害です。
人類は、過去に行われていた慣習が良くないことだとわかると、やめてきた歴史があります。
例えば、奴隷制度。人種が違っても社会的ステイタスが違っても、人はみんな同じように価値があるということや、人が人を物として所有し支配するのは、支配される側の人権を侵害することだとわかったので、やめました。
例えば、女性差別。女性のほうが男性より劣っているとか女性は男性と違う役割を担わなければならないという考えが間違っていることや、女性に対する人権侵害だとわかったので、やめました。(まだやめていない国もありますよね。日本は法制度上ではやめたけれど、慣習上はまだやめられていません。)
死刑も、それらと同じように、人類が良くないことだとわかってやめていっている習慣です。世界の多くの国は、死刑は死刑になる人の「生命」を国が無理矢理奪って殺してしまうことですから、究極の人権侵害でありとても良くないことだとわかったので、やめています。日本は最後に残っている、まだわかっていない、やめられていない国のひとつです。
2 死刑には犯罪の抑止力がない
死刑をするべきだと考える方は、死刑に犯罪の抑止力があると考えていらっしゃる方がいます。死刑にしないと、殺人をしてはいけないという抑止力が働かなくなり、残酷な殺人が増えるのではないかというおそれを抱く方がいます。
しかし、死刑に犯罪の抑止力があることは、証明されていません。
国連は、死刑に抑止力があるのかどうか調査研究を行ってきましたが、「死刑が終身刑よりも大きな抑止力を持つことを科学的に裏付ける研究はない。そのような裏付けが近々得られる可能性はない。抑止力仮説を積極的に支持する証拠は見つかっていない。」という結論が出ています。
これまでに死刑を廃止した国はたくさんありますが、廃止したどの国においても、廃止後に明らかに殺人事件が増えたり凶悪化したりはしていません。
2001年6月に大阪の池田小学校で子どもたち8人を殺害した宅間守死刑囚は「エリート校の子どもをたくさん殺せば確実に死刑になると思った」と言いました。同じような、「死刑になりたくて」と動機を語る殺人犯人は、昨今日本で増えています。
3 死刑廃止は被害者支援と両立する
死刑をやめようと言うと、被害者遺族の気持ちを考えたり被害者支援を重視するならば死刑はやるべきだという方がいます。
しかし、私は、まず①死刑をすることが被害者遺族支援ではなく、死刑廃止は被害者遺族支援とを矛盾することではないし、②被害者遺族の気持ちのために死刑を続けることはできないと考えます。
まず、被害者遺族のニーズは、たくさんあります。例えば、精神的なダメージを誰かに受け止めて欲しい。事件について説明して明らかにしてもらいたい。犯人に被害者や遺族が受けた痛みを知ってもらいたい。犯人に反省してもらいたい。同じような事件を繰り返させたくない。金銭的な被害を弁償してもらいたい。などです。
そして、被害者遺族の気持ちは、犯罪が起きた直後から時間が経ったり経験を経るにつれ、様々に変化します。同じ事件の被害者遺族でも、一様ではなく、被害者との関係、経験、価値観によって、気持ちは多様です。
被害者支援で大切なことは、感情に配慮した専門的でワンストップの支援を継続的に行うことと、多くの被害者が持つであろうニーズに応じて支援のメニューを多様にしておき、個々の被害者がニーズに応じて使えるようにすることだと考えています。そうした被害者支援が、日本ではまだ全然足りていないはずです。それは、当然のことながら、死刑と全く関係なくできることです。
次に、被害者遺族が「犯人を死刑にして欲しい」と言った場合について考えてみます。被害者遺族がそのように言うことは自然なことかもしれませんが、私は社会がその希望を叶えてあげなければならないとは思いません。
私は19歳の時に、通りすかりのおじさんからいきなり胸をわしづかみに揉まれました。そのとき、このバカヤロー!転んで怪我でもすればいいのに!とおじさんを憎んだのですけれども、私がそう望んだからといって、国がその人を捕まえて、例えば後ろからどついてすっころばせる身体刑罰を与えることは間違っています。
同じように、強姦の被害者が犯人の局部をおもいきり蹴って不能にしてやりたいと言っても、国はそれを実現しませんし、代わりにやってあげることもしません。他人を包丁で切りつけて大量出血させて半身不随にした犯人に対し、被害者が同じ思いをさせてやりたいと言っても、国はそれをやらせませんし、代わりにやってあげることもしません。
なぜかと言えば、理由①何も良い結果を生まないから、理由②身体刑罰や「目には目を」の復讐的刑罰は残酷で人権侵害だから、です。
殺人事件であっても、同じことです。殺人の被害者や遺族が犯人を殺したいと言っても、国はその人に犯人を殺させることもしないし、代わりに殺してあげることもしないのが適切だと思います。
そして、遺族の「犯人を死刑にして欲しい」という言葉については、くみ取るべき気持ちが他にも色々と含まれているのです。そのことについては、別途書きます。