こんにちは。
観測者Kです。
少し休もうと思った。
でも気づくとスマホを触っている。
別に見たいものがあるわけではない。
急ぎの連絡があるわけでもない。
それなのに、
無意識に画面を開いている。
そんなことはないでしょうか。
私も以前は、
これは単なる依存だと思っていました。
意志が弱い。
自制心が足りない。
もっと我慢しなければならない。
そう考えていました。
しかし、
ある時から違和感を持つようになりました。
本当にこれは依存だけで説明できるのだろうか。
少し観察してみると、
現代社会は情報が途切れる時間が極端に減っています。
移動中。
待ち時間。
食事中。
休憩時間。
以前なら何も起きなかった時間に、
今は情報が流れ続けています。
私たちは気づかないうちに、
常に何かを受け取る状態に慣れてしまいました。
そして不思議なことに、
情報がない時間になると落ち着かなくなる。
静かになる。
何も流れてこない。
すると、
どこか不安になる。
何かを見落としている気がする。
取り残されている気がする。
そんな感覚が生まれることがあります。
だからスマホを開く。
情報を確認する。
通知を確認する。
SNSを見る。
安心する。
しかし、
その安心は長く続きません。
しばらくすると、
またスマホを触る。
この繰り返しです。
私はこれを、
情報依存というより、
接続確認に近いものだと感じています。
人は孤立を嫌います。
昔は家族や地域との繋がりがありました。
しかし今は、
人との繋がりの多くがスマホの中にあります。
だからスマホを確認する。
情報ではなく、
繋がりを確認しているのかもしれません。
もちろん、
スマホそのものが悪いわけではありません。
便利です。
助かることも多い。
私も毎日使っています。
ただ、
神経にとっては少し特殊な道具です。
世界中の情報。
世界中の人間関係。
世界中の出来事。
それらが小さな画面に詰め込まれている。
そんなものを一日中持ち歩いている。
冷静に考えると、
かなり異常な環境なのかもしれません。
だから、
スマホを置けない自分を責める必要はないと思うのです。
意志が弱いからではない。
根性がないからでもない。
現代社会そのものが、
常時接続を前提に作られている。
その中で生きているだけなのかもしれません。
大切なのは、
スマホを敵にすることではなく、
神経が休める時間を少しだけ取り戻すこと。
何も流れてこない時間。
誰にも反応しなくていい時間。
ただ静かな時間。
そんな時間が、
これからますます貴重になっていく気がしています。
スマホを置けない。
それは異常ではなく、
常時接続社会に適応した神経の自然な反応なのかもしれません。
静かな生存インフラ通信
社会の速度が速すぎる。
そう感じる人のための小さな避難場所を作りました。
情報を増やすためではなく、
神経を守るための通信です。
過刺激社会の中で壊れずに存在する方法を、静かに観測しています。
もし今、
「自分が弱いのではなく、環境の刺激量が多すぎるのかもしれない」
そんな違和感を持ち始めているなら、
▶︎ 静かな生存インフラ通信