批判屋ブロガーについて”「人を変える事はできない、変える事ができるのは自分だけだ。」” | 幸福を実現するブログ

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幸福の科学批判屋ブロガーのことで読み苦しいので、興味ない方はスルーでお願いします。














ちょっと、幸福の科学の直ぐにブロガーを批判するブロガーについて書こうと思います。

真の意味で、幸福の科学のためになってないのは、アンチ活動している人たちではないですね。

アンチは、結局アンチなので、アンチ思考するのは、当たり前です。

本当に幸福の科学に実害をもたらしているのは、レオを代表するいかにも幸福の科学側を、装ってるブロガーですね。

批判屋ブロガーと命名しましょう。


この人たちの批判屋ブロガーのブログを訪れた一般の人たちは、幸福の科学会員は気づかないでしょうが、

会員どおしでこんな罵り合いをしているのか?

こんな狭小なものの考え方しかしないのか?

幸福の科学に入っても、狂信者から注意ばかり受けるのではないか?

自由なものの考え方をしたら、村八分にされるのではないか?

こんな自己中心な考え方しかしないのか?

奇跡が起きるとのふれこみなのに、その奇跡を人に話したら最後、レッテル貼られてしまうのか?

と驚くと同時に幸福の科学を忌避するように絶対になります。


だから、ブログで人を批判するより、良い記事を淡々と書いてくれればいいのに、自分の自慢したり、同じ幸福の科学ブロガーを批判したりしています。

それが、どれだけの害悪を撒き散らしているか?まったく気付きません。

どれだけ毒水を流しているのか気付かず、誰々がアンチ化したのは、その人の自己責任とのたまい、すべて人のせいにして自らを省みることをしません。

人を変えることはできない、変えることができるのは自分であるということをよくよく学んで欲しいのですが、もう無理でしょう。

人を変えようとして、批判グセで批判してしまうのですが、その実、人を変えるためには、自らを変えないといけないという幸福の科学における黄金則を知らないでいるのです。

簡単な基礎である教えも知らない幸福の科学側の振りをしているただの批判屋ブロガーに過ぎないと思いますね。

霊界に帰ったら、幸福の科学霊界の中心に入られると嬉々として天上界に向かおうとするのでしょうが、快く迎え入れられることは、きっとないでしょう。

あなたの来れるところではありませんとはっきりと言われるでしょう。

きっとこうも言われるでしょう。
動機が不純であったと。
見えるものしか判断せず、相手の魂の神聖な部分をないがしろにしていたと。

アンチへの批判にしてもそうじゃないですか?

私もアンチを批判したことはありますが、ちゃんと相手の良いところを見てますけと、レオを代表する批判屋ブロガーは、批判のための批判、自らが舞い上がるための批判に相手側からも見えてるのではありませんか?

それに、アンチの人に聞いてみたいのですが、どの幸福の科学ブログが幸福の科学のアンチ化に貢献しているのか?聞いてみたいですね。

幸福の科学側だと幸福の科学体制側だと言い張っているブログが真に、実は、アンチ化に貢献してると思いますね。

実に聞いてみたい。

実質、レオとアマミのブログは、ピア健さんとぽん吉さんのアンチ化に成功しているじゃありませんか?

特にアマミは、私についても、ハスというSNSでぽん吉さんを追い落とすついでに、私をも追い落とすとコメントしてたと聴いています。

どこまで、腹黒いのか?

私を追い落として、何をするのですか?
何を満足させたいのでしょう?

彼女らの正体は、こんなものです。

どちらに悪魔が憑いてるのでしょうか?

ピア健さんとぽん吉さんについて、最初からアンチだったとの批判はをしたとしたら、それこそ愚かであります。
SNS上のブログ村での経緯があって、アンチになっているのです。
幸福の科学アンチブロガーで、最初からアンチだった人なんておそらく一人もいませんから。

まぁ、批判屋ブロガーに関し、審判の時に急いで反省をつくろっても、哀しいかな、もはや手遅れです。

彼らには、もう、諦めの心境になっています。

幸福の科学側ブロガーを自称するなら、自宅にエル・カンターレ像を安置して心を整えてからブログを書いて欲しいものです。