保守の方々へのメッセージ何ですが、普遍性があり、とても参考になります。
私は、ギラさんを大変リスペクトしており、ブログ上限りのことですが、何でこんな人が自然にできたのか、何でこんなにピュアなのかと驚くことばかりです。
しかも、バリバリの愛国者です。
そして、時折、このような内容の記事をサラッと載せるのです。
これは、何ともいえない魅力です。
では、転載します。
『ギラは思います。
人間は10人いれば、10人十色です。
それまで生きてきた経験や環境なども違うし、考え方価値観が違うのも当然だと思うのです。
あなたにとっての普通が、他の人にとっての普通とは限りません。
あなたにとっての常識が、他の人にとっての常識とは限りません。
あなたにとって大事な事が、他の人にとって大事なことであるとも限りません。
それが人間というやつだと思います。
けど、それで良いのです。
大切なのは、その「自分との違い」に対して自分がどう考え、どう対処し、どう行動するかだという事です。
世の中には、自分と考えが違うとなるとその相手を敵視したり、攻撃したり、自分の考えが正論であると相手に押し付けようとしたり、あるいはその相手を排除しようとしたり、時には、あいつは●●な奴と決め付けてしまうそんな人が多くいます。
その気持ちも解らなくはないですが、そういう考え方で生きている人は残念ながら幸せにはなれません。
常にイライラしたり、敵を作ってしまったりしてしまいますね。
大事な事は自分との価値観や考え方が違う人の存在を認め、受け入れ、
そして、許してあげ、尊重してあげる考え方や気持ちの持ち方をする事だと思います。
ギラもまだまだですが、できるだけ、自分の望まない事が起こったとしても自分と違う考えの人がいたとしてもそれを許し、受け入れ、尊重してあげようと思っています。
自分の考えと違う相手に対して敵と決め付け、レッテルを張り攻撃するような輩は、とても基準の低い人だと感じますね。
違いはあっても良いのです。
違いはあっても当然なのです。
要はその違いを認め、その上で自分の主張だけを押し付けるのではなく、相手の考えや主張などにも耳を傾け相互理解を深めようとする姿勢が大切だと思うのです。
たとえば、保守の人たちの中にも同じ保守でも色々な考え方の人がいますね。
原発再稼動に反対している保守の人もいれば賛成の人もいますし、護憲派という人もいれば改憲すべきという人もいますし、細かいところで、それぞれの違いはあって良いのです。
大切なのは、小さい考え方の違いなどはあっても日本を守りたい、
日本を良くしたいという根底にある本当の意味での愛国心があれば多少の違いはあったとしても互いを尊重し、認めあい、受け入れることができると思うのです。
ところが、そんな小さな違いを許せないという心の狭い保守の人がいます。
自分と考えや価値観が違う部分があるとあいつは似非保守だとかあいつは、工作員だ、とか決め付け、レッテルを張り、攻撃をしてくる輩がいます。
相互理解をする努力もしないまま、自分と考え方が違うと敵視し攻撃してしまうのです。
とっても心と視野が狭いと思いませんか?
そんな事で、保守同士が叩き、潰しあいして日本の為になるんでしょうか?
もしかしたら、そういう人こそ、保守を分裂させるためのなりすまし保守の工作員、似非保守かもしれません。
仮にそうじゃなく、本当の保守の人だとしても、保守以前の問題として、人間として問題があると思いますね。
本当に、日本人なんでしょうかね?
もしかしたら、朝鮮人なんじゃないか?
とさえ疑ってしまいたくなります。
日本人の心の根底にあるのは
「和をもって尊しとなす」
の精神だと思います。
調和の心です。
これは、決して「とにかくカドを立てないで仲良くするのが一番大切」といった意味ではありません。
別に、いいたい事も言わずに妥協しろっていう意味ではありません。
もし、不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと、
その中でお互い歩み寄り(妥協ではない)理解していくことが「和」である(注)この時に親しい関係で無ければ無いほど相手を気遣う礼節をわきまえる必要がありますね。
自分が相手に対して、あいつはこういう奴だと決め付けてしまって心を閉ざしてしまっては相互理解も出来ないし、調和はできませんね。
大切なのは、どっちが正しいかではないと思います。
どっちが正しいかを言い始めたら、そこには争い・敵対・という構図が生まれます。
そこに幸せはないのです。
その為には、たとえ自分にとって都合が悪い事であっても、他者の考え方や価値観の違いを許し、受け入れ、尊重しようとし、相互理解をしようとする考え方や生き方が出来るようにならないといけないと思うのです。
争いが絶えない人や人生が幸せになれない人の共通点は誰かを許せないと思っていること、
それは、人かもしれない、
過去に起こった出来事かもしれない、
あるいは、自分自身かもしれない、
あるいは、親や環境かもしれない、
許せないという感情をあなたが手に、胸に、持ち続けている限り、
あなたは幸せにはなれません。
だからこそ、あなたが幸せになりたいのであれば
「許す・受け入れる・認める・尊重する」
という感情を持てるように日々、意識して、訓練して、身に付けていかなければいけません。
特に自分にとって、不都合な出来事や不都合な相手などを許してあげれるようにならないといけませんね。
なかなか、難しいことかもしれませんが「許す力」が大きければ大きいほど不幸せにはなりにくいのです。
「許す力」が大きければ大きいほど人生でイライラする事が少なくてハッピーなのです。
人生どっちかっていうと自分の思い通りにならない事のほうが多いじゃないですか・・その度に、毎回イライラしたり、凹んだりしてたらいつまでたってもハッピーになれませんよ。
嫌な出来事が起こるたびに、振り回されぱなしになりますから。
なので、
ギラがお勧めしたいのは許す力を養いましょう、
違いを認めて、
受け入れてあげる力を養いましょう、
違っていていいのです、
それが、当たり前なんです。
なんか、宗教くさい話になってしまいましたが日常生活してても、あるいは、ブログなどで活動してても視野が狭くて、違いを許せなくて、攻撃したり、決め付けてしまう人があまりに多いと感じますのでつらつらと書きました。
自分が正しいとか、言い出すとお前は間違っているという話につながります。
人はだれだって、間違いもあれば過ちもおかすし、欠点があるでしょ。
ギラもありますし、きっとあなたにもあります。
お互い様じゃないでしょうか。
そう、お互い様って気持ちがいつもちゃんと持てていたのなら、相手が悪いと攻撃してしまうまえにちゃんと 相互理解を深めようとするんじゃないでしょうかね。
お互い様って気持ちがいつもちゃんとあれば、感謝の気持ちが先にたつんじゃないでしょうかね。
そういう人のそばには、争いよりもハッピーがやってくると思います。
ギラもそういう人間でありたいといつも思っていますよ。
なかなか、難しいけどね。
であであ
またぬギラ 』
転載終了
どう思いますか?
どこにでもあって、どこでも通じる話です。
特に私の周りでは、トピックですね。
許す力が大きければ大きいほど、不幸せになりにくく、ハッピーだとギラさんは述べてます。
私も、そう思います。
そして、相手への思いやりが強いのが、日本の心だと思うのです。
その日本の心を護りたい、その日本を愛してるなら、争うことは不毛です。
日本を愛し、守ろうとしている人たちが争っては、もったいないし、中国共産党や日本を悪しきものとしたい輩を利するだけです。
保守は、保守どおし、許す、認める、受け入れる、歩み寄る、理解する、最終においてはどんな信条や思想を持とうとも団結し、日本を護りたいものです。
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