梅雨の雨にたたずむ紫陽花を見てると彼女を
思い出す。
殺風景な僕の部屋に買ってきた紫陽花が咲いた植木鉢を窓辺近くのテーブルに置きながら
「紫陽花ってね色の付いた水に浸けておくと
花の色が変わるの。」
彼女は僕にそう教えてくれた。
小学校で子供たちに理科を教えているので
彼女はそんな知識をたくさん知っていた。
最初は彼女の知的で奥ゆかしい所に惹かれて
いったが、それも一瞬の事でいつしか彼女の
そんなところが段々と堅っ苦しく思えてきて
別れ話を切り出した。
そんな時も彼女は相変わらず大人で、
泣き事の一つ言わず
「そう、わかったわ」
彼女のその一言で別れる事になった。
その時の冷静な彼女の言葉とは裏腹に、その
彼女の表情は絶望しかないという顔をしてい
た。
もちろん、彼女のそんな顔をみるのははじめて
だし、そんな顔をするんだという驚きもあった。
普通はそんな顔をするのは当たり前じゃない
かと思うかもしれないが、そんな事で驚いて
しまうほど彼女は大人だったのだ。

しかしそんな顔もすぐに消え、僕の部屋に
くる前にスーパーで買った材料で、勿体ない
からと言って料理を作り、
「作ったから食べてね、それじゃ元気でね」
料理を作り終えるとそう言い残して、いつもの
見慣れた大人な女性の顔で僕の部屋から出て行
った。
出て行く時に開いたドアの外には18時にして
は少し薄暗く、梅雨の雨が降り始めていた。
そういえば彼女、雨に濡れないかな?と思った
が、彼女の事だからこの季節には折り畳みの傘
を絶対持ってるだろうと思った。
とにかく彼女はそんな人だった。

その時の僕はあっという間に忘れ、夏には
絵に描いたような、少し抜けた所もある
可愛い子と付き合っていた。
そして秋には関係が深まり、クリスマスを
迎える頃には僕の部屋に彼女が住んでいた。
でもそれも束の間で春にはその絵に描いた様な
可愛い女の子も僕の部屋からは居なくなって
いた。
仕事から帰ってふとテレビのニュースを
見ると梅雨入りを伝えていた。
僕は何となく部屋のカーテンを開け空を
見るとポタポタと小雨が降り始めていた。
18時半を過ぎていたがまだ外は少し明るかった。
冷蔵庫を開けると何もない事に気づき、
「しまった、帰りに買ってくるんだった」
と少し大きな声で独り言を言った。
そして頭の中でよく出来た、大人な彼女の事を
久しぶりに思い出していた。
そうだ、こんな日だった。
彼女と別れたのは。
しかも別れた後に彼女の美味い手料理を食べ
たっけ。
そんな風に彼女の事を少し雑な感じで思い出
していた。
そして僕は
腹減ったし、何もないから買いに行くか。
と1人呟き着替えて外に出た。

そしてドアを開けるとドア正面の僕の部屋が
ある2階の柵の手前に少し小さめなガラスの
花瓶があり、そこには赤くて綺麗な紫陽花が
さしてあった。そして梅雨の小雨をポツポツ
受けながら美しく咲いていたのだ。
僕は
あれ?さっき帰ってきた時は無かったよな。
そう思いながらスーパーに出かけた。
スーパーは歩いて10分もかからない所にあり
料理の苦手な僕はスーパーに行っても惣菜や
カップ麺、冷凍食品くらいしか買わなかった。
そしてその日はお惣菜を数点とビールひと缶
だけ買って部屋へと戻った。
やはりまだ部屋の前には花瓶に入った赤い
紫陽花が置いてあった。

次の日の朝、出勤する時、その赤い紫陽花が
部屋の前にあった。
僕は何も考えずその赤い紫陽花を花瓶ごと
部屋の中に入れた。
そして仕事中もその赤い紫陽花の事が気に
なっていた。
その日も会社から帰ると部屋の前には
赤い紫陽花が一輪。
ただ今回は花瓶は無かった。
そして翌る日も紫陽花が一輪。
その次の日も一輪の赤い紫陽花が部屋の前に
あった。
ますます僕は紫陽花の事が気になった。
やはり彼女なのか?
大人な彼女のせめてもの復縁の願いなのか?
僕はその日、彼女のアパートに行ってみる
事にした。
彼女のアパートは僕の住んでるアパートから
駅が5つも離れていた。
駅から10分くらい離れた所にある、懐かしい
見慣れた彼女アパートに着いた。
そして僕は気がついたそのアパートの庭の
一画に紫陽花がたくさん咲いていたのだ。
そういえば梅雨時期に彼女のアパートを
訪れたのははじめてだった。
そしてその紫陽花がよく見える一階の手前の
部屋が彼女の部屋だった。
引越しする時も楽だし一階の手前にしたと
僕に話してくれていた。
彼女らしい合理的な考え方だ。
あらためてそう思った。
不用心なので表札はなかった。
窓から見える部屋は暗くて不在のようだった。
上についてる電気メーターがゆっくり、
ゆっくりと回っていた。
待機電力で動いているのだと思った。
時間的には彼女が居てもおかしくはないのだが
少し待って見ようと思いながらも無意識に
ドアノブを触ると、回転方向に少し動いた。
あれ?もしかしてと思いながらもドアノブを
回すとドアが開いたのだ。
僕は恐る恐るドアをゆっくりと開いて
「あのー、すいませんー」
と、少し張った様な声で言った。
部屋の方は真っ暗で誰も居ない様子だったが、
玄関近くにあった風呂場の方からは何やら
チョロチョロと小川の様な水の流れた音が
聞こえた。
「居ない様ですが、水が流れてる様なので
確認しますよー」
そう言いながら靴を脱いで、風呂場に向かい
あらためて音を聞いた。
やはり中からはチョロチョロと何か流れている
様な音が聞こえた。
思い切って僕は風呂場のドアを開けた。

僕はその光景に言葉が出なかった。
彼女らしき人がバスタブに入っていた。
肌は白かったが更に真っ白に見えた。
見えたと言うか、生気が感じられなかった。
そしてその中には何本もの紫陽花が彼女と
一緒に使っていた。
アパートの一画にある紫陽花を摘んできた
様だった。
多くは蕾だったがその中には数本、花が
咲いてその色は確かに僕の部屋の前にあった
紫陽花と同じ、赤い色をしていた。
バスタブには蛇口が向けられて細い糸の様に
水が流れてバスタブでチョロチョロという
音を立てていた。
そしてバスタブの端から溢れている水が見えた。
それは水の色はしてなく薄い赤い色をしていた。
僕はその光景にびっくりして慌ててバスタブに
近づいた。
バスタブの中の水は真っ赤に染まり、そこに
浸かっている彼女は裸でその左胸にはナイフが刺さっていた。
風呂場の中は換気扇がまわっていたが少し
腐敗臭の様なものもしていた。
まるで釣れた魚を食べる時に臭みが出ない
様に血抜きしてシメているようだ。

「紫陽花ってね、色が付いた水に浸けて
おくと、花の色が変わるのよ」
彼女の言葉が頭をよぎった。
でもどうみても死んだばかりには見えなかった。もちろん数ヶ月たってるという状態でも
無かったのだが、僕がとにかく気になったのは
彼女がなんでこんな事になってるのか?という
事と僕の部屋にこの赤い紫陽花を持ってきて
いたのは誰なんだ?っていう事だった。
あらためて彼女の顔を見るとどこかで見た
様な顔をしていた。
そうだ、
僕と別れた時に一瞬見せた絶望感しかない
表情だ。
ごめん、ごめん、すまない
僕は心の中で彼女に何度も何度も詫びた。
そして風呂場を出て警察に電話をしようと
部屋の方に向かった。
このアパートの住所らしきものが書いてある
手紙や書類みたいなものはないかと見渡した。
こんな状態になって言うのも変なのだが
さすが彼女である、紙切れ一つ机の上や周囲
には置かれてなかった。
僕はスマホを握りながら手当たり次第、
引き出しをあさった。
すると写真の様なものが出てきた。
裏を見ると丁寧な字で日付と
「私の誕生日、旅先にて妹と」
そう書いてあった。
そして写真をじっくりみて驚愕した。

彼女と一緒に写ってるのはそうあの子だ
彼女の次に付き合った可愛いいあの子。
最近まで、この春まで付き合っていた
あの子だった。
性格が全く違っていたので気にならなかった
のだがあらためて写真をみると顔も似てるし、
なによりも苗字も同じだった。
そうだったんだ
僕は手に持ったスマホと写真を落とし、呆然と
立ち尽くしていた。
するとドンッという衝撃を背中に感じた。
そしてもう一度、今度は突き上げる様な
衝撃をさっきより少し上の場所にドンッと。
二回目の衝撃を受けて僕の足元にはボタボタと
血が溜まっていくのが見えた。
そして身体中の力が抜け、その場に仰向けで
倒れ込んだ。

そこには最近まで付き合っていた彼女の妹が
ナイフを持って立っていた。
「全部、貴方が悪いのよ、ねえちゃんの事が忘れ
られずにいたから」
そういいながら泣いていた。
遠のく意識の中で僕は思った。
付き合ったのは偶然かもしれないが、
どことなく妹の方に彼女の面影を見ていたの
かもしれない。
妹に刺された姉は絶望感を抱いて死に、
妹にはめられた僕も妹に殺されるのか、、、。
そう思ってせめてもの償いをしようと
妹の顔を見た。
彼女は僕の方を見ておらず、玄関側を向いて
真っ青な顔をして歯をガチガチと言わせながら震えていた。

僕はそれが気になって残る力をふり絞り、
妹が見ている方を向いた。
すると妹の姉である彼女が立ってこちらをみて
いた。

彼女の表情からは絶望感は消えて、薄っすらと笑みを浮かべているようだった。

そして彼女は僕にこう言った。

「ねぇ紫陽花の花言葉しってる?

          移り気とか無常なんだよ」


そして僕は、、、、、。

〜終わり〜