七夕には絶対新作を!

と思ってましたが、私の誕生日5日にコロナに

かかってしまい断念しました。

過去作の焼き直しですがよろしくお願い致します。


息子は13歳で小児癌だった。
しかも悪性度が高く進行も早い脳神経腫瘍だ。
最近では会話も難しくなってきており、

横になってるだけでも精一杯だった。


そんな息子は私達夫婦が喋ることは理解している

のだが、自分の言いたい事が言葉では伝えられ

なくなっていたのだ。

そして彼が私達とコミュニケーションをとる

唯一の手段は頷く事だった。

妻が「気持ち悪いの?」と聞くと、
うんと言う代わりに頷いた。
「ごめんね、何もしてあげられなくて」
と言うと、
ううんと首を横に振って微笑んだ。
そして微笑んだまま私達をずっと見つめるから
「何か言いたい事があるの?」と聞くと、
うんと頷いたが、そこから先を私達に伝える
表現方法を息子は持ち合わせていなかった。
それがたまらなく不憫で、私たち夫婦は病室を

出て声を押し殺して泣く事しか出来なかった。
そんな中でも私達と目が合うと微笑んでくれる
息子が愛おしくてたまらなかった。

そして息子は七夕の前日の梅雨の合間の
よく晴れた日に旅立っていった。
最後は痙攣がおきていて見守る事しか
出来ない私達夫婦にはつらい状況だった。
そんな中、妻と声に出して会話まではしなかったが、こんな辛い状況から一刻も早く息子を
開放してあげたい、楽にさせてあげたい
と夫婦で願っていた。

私達の思いが届いたのか、旅立つ直前は
発作も落ちついて私達の夫婦の見守るなか
安らかに息を引き取った。
病室の窓からは青々として澄んだ夏の空が
見えた。
痛みや辛さから開放された息子があの青空に
向かって笑顔で登っていって欲しいと心から
そう願った。
ふと病室に目をやると息子の居なくなった
ベッドは整えられていて、星が好きだった息子が
七夕に向けて作った小さな笹飾りが病室でエアコン

の微風に寂しく揺れていた。
その笹飾りの短冊には
"病気が治ります様に"とか"喋れる様になり
ます様に"とか切ない事が書いてあるのだ
ろうと思って見てみたが、
"お父さんとお母さんが笑顔でいられます
様に"
それだけ、、、
ただその一つだけ短冊に書かれてあった。

それから一年が過ぎたが、息子が居なくなった
ショックはまだまだ残っており、私達夫婦に
重くのし掛かっていた。
それどころか、息子があの時期に亡くなって

しまったのは早くつらい事から解放させてあげたい

と願ったからではないのか?
私達夫婦の息子へ対する無責任さを隠すために
そう願ったのではないのか?
いや、それはもう願いではなく、呪いなのでは
ないか?とさえ思う様になっていた。
そしていつしか妻は息子の仏壇の前でこんな事を言う様になった。
「私達を呪っていいのよ、私達を憎んでいいのよ」
と、、、。
そして日に日に弱っていく妻の後ろ姿に声をかけ、やめるようにと促す事しか出来なかった。

昨晩は息子の事が特に頭から離れず、一段と
寝つきが悪く、息子の愛用したグローブを
膝に抱えてついつい深酒をしてしまった。
土曜日ではあったが、こんなに遅くまで
寝ていた事は初めてだった。
酒がまだ少し残った重い身体を引きずって二階からゆっくりとリビングの方へ降りていった。
公園に出かける時、リビングから2階にいる息子を呼ぶとグローブとボールを持って嬉しそうにドタドタと息子が二階から降りてくる光景が頭を

よぎった。
昨晩出し尽くしたのかもう涙もため息も

出なかった。
ふと時計に目をやると13時はとうに超えていた。
いつもならこの時期は息子と飾り付けた
大きな七夕飾りがリビングで扇風機の風に
なびいていたのに今年は生活臭が漂うだけの
殺風景なリビングになってた。
妻を探すとやはり仏間にいた。
へたり込んで、肩を落とし、声も出さずに静かに

泣いていた。
そして妻の唇は念仏を唱えるかの様に唇が微かに
動いていた。
「私達を呪ってもいいのよ、憎んでもいいのよ」と。
普段なら妻に声をかけてやめさせるところだったが、私もその日に限って妻の後ろに座って
心の中で同じ言葉を唱えていた。

夫婦でどれくらいそうしてたかは記憶にないが、

しばらくすると昼間なのに仏間が少し暗くなり、

線香の煙と蝋燭がゆっくりとゆらめいて季節に

不釣り合いな肌寒さを感じられた。
そしてリビングから二階につながる階段から

ドタバタという音が聞こえてきた。
思わず妻と顔を見合わせ、そして仏壇にゆっくり

と視線を戻した。

息子が仏壇の前に立っていたのだ。

私と妻は驚き、そして喜んだ。
しばらくして興奮が落ち着くと妻を押しのけて

息子に話しかけた。
「なぁ、俺達を恨んで、そして呪い殺してくれ。

一緒にそっちに連れて行ってくれよ」
私は息子に嘆願してしまった。
すると息子はうんと大きく頷いたのだ。
これでようやく私も妻もこの重苦しい状況から

開放され息子のもとにいけると思った。

そしてまた6年が経ち、夏を迎えていた。
私は2階から起きていつもの様にリビングに
向かった。
時計をみたら12時を少し過ぎていた。
妻が私の顔を見るなり
「寝坊助のクマが夏になってようやく冬眠
 から覚めたわよ〜」
と、コチラをチラチラ見ながら3歳の息子と
2歳の娘に話しかけていた。

私は子供達に「ガォーッ」と言って熊の真似を

して見せた。
キャッキャとはしゃぐ子供達の声がリビングに

鳴り響いた。
それを見守りながら、今度は仏間に歩いて
いった。
妻が作る昼ごはんの匂いが仏間にまで届いて
いた。
私は仏壇の前にどっしりと座り、あの時の
ことを思い返していた。

息子は私達の呪ってくれという嘆願にうんと
頷きこう言ったのだ。
「わかったよ、お父さん、お母さん、
 僕、呪うよ
 ずーっと幸せになる様に呪ってやるよ」
と言ってイタズラ小僧の様な顔をして微笑んだ。

そしてあの日の病室で見せた
何か言いたそうな顔をし、
その唇はあの日の病室で伝えられなかった
「ありがとう、
 お父さん、お母さんの子供でよかったよ」
という言葉を私達夫婦に残し、息子は笑顔で
ゆっくりと消えていったのだ。

私はあの日の息子の笑顔を思い出しながら線香を
供えた。
「ごはんよーーーっ」
妻の明るい声が聞こえてきた。

家族4人で飾りつけた仏間には不釣り合いな
大きな笹飾りがどこからか吹く風に楽しそう
に揺れていた。


今年ももうすぐ七夕だ。

星が好きだった息子の笑顔がまぶたに浮かんで
涙と一緒に流れ星の様に私の頬をつたった。

〜終わり〜